五十・ウスリー河 饒河の埠頭 |
陸路が未開の饒河は、ウスリー河の連絡船が唯一の交通機関。虎頭とは一日二往復くらいの便がある。 |
*補足(藤本) 満州国とソ連の国境を分かつウスリー河で、敵味方の船舶がにらみ合うさまが想像される。些細な発砲事件から両軍が激突するのではないか、と石坂准尉は気をもんだことだろう。 *補足二(藤本) 船橋忠利『歩兵第三十連隊・支那駐屯歩兵第一連隊 中国大陸五年の歩み ハルピン駐屯 大陸横断作戦 野戦病院』に、ウスリー河の渡河演習に関する文章が載っている。 *** 吾々の部隊は第二十八師団に属し、ソ連と開戦になると師団は東満国境の黒竜江の支流であるウスリー江をエンジン付の折畳舟で渡河して、対岸の沿海洲に上陸し、ソ連の一線陣地を突破することが任務と聞かされていた。 その屍を乗り越えて後続部隊がソ連領内に浸攻してゆく事が関東軍の第二十八師団の戦略と云われ、吾々三十連隊の渡河演習は毎年連隊全部で大規模に実施された。 『歩兵第三十連隊・支那駐屯歩兵第一連隊 中国大陸五年の歩み ハルピン駐屯 大陸横断作戦 野戦病院』の四十七ページから引用 |
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