二十七・占領



 十一月三日、明治節を期して総攻撃を敢行、さしも頑強な敵軍も総崩れ、太原方面に退却した。二十日間にわたる戦闘の戦死者四十二名。

*補足(藤本)
 長年にわたり、わが国と戦火を交えている支那にとって、およそ日本軍の行動は教科書どおりに思えたことだろう。この南庄頭の会戦であれば、明治節を期して総攻撃を決行したわけである。つまり、何かの記念日にかこつけてわが軍が大規模な軍事攻勢に出るのは伝統的なことなのだ。
「日本の明治節が近い。となると、本腰を入れて日本軍が攻撃してくる。そろそろ逃げどきだな」
 つい最近まで、巧妙かつ卑劣な宣撫工作以外、見るべきところがない支那軍と思っていたが、
「生き残るすべは知っていたようだな」
 と、彼らのことを見直した。

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