鎮辺の戦い


故 吉田少尉
(第三中隊 小隊長)
樹影に



石坂准尉の覚書(鎮辺の戦い)
『駐満記念 鮫城部隊』 満州国牡丹江省穆稜 柏部隊将校集会所 (石坂准尉の書き込みより)

「鎮辺の戦闘」

 敗退する敵の追撃の手緩めず、わが軍は電光石火の進軍を続けた。そのため食糧の補給及ばず、携帯食糧を食べ尽くしてしまう事態となった。
 仕方がないので、農家の取り入れに残された畑の白菜、にんじんなどをかじりながら、兵は空腹をごまかした。ところが、この地はリンゴの産地らしく、リンゴ畑が散在していた。ほどなくして、赤く実ったリンゴが主食になった。
 天鎮から三昼夜の追撃戦に兵は疲れ果てていた。誰もが黙々と歩き続けた。
 そうして、撤退する敵を鎮辺の山岳地帯に追い込み、激戦三日間、大同方面に遁走させた。

 鎮辺の戦闘における戦死者―─八名
 内 中隊戦死者―─二名

 田中上等兵 藤井上等兵



「リンゴ」

藤本 「石坂准尉は鎮辺で、どんな風に戦ったんですか」

石坂 「それがね、俺は鎮辺の戦闘では何もしてないんだよ」

明夫 「何もしてないって、どういうこと」

石坂 「逃げる敵を追撃しただけ、ということ」

藤本 「ざっと資料を拝見しますと、なかなかの戦闘だったようですが、七中隊に関しては銃火を交えていないんですね」

石坂 「いや、宮田少尉(五常下士官候補者教育隊の教官。石坂准尉と関係の深い人物)の第一小隊は戦闘をおこなっているよ。一三七〇高地という重要地の奪取のため、足場の悪い山脚を縫って敵陣に接近、手榴弾の投擲合戦をしている」

藤本 「一三七〇高地が重要地……なぜです」

石坂 「その名のとおり『高地』だから。つまり、鎮辺が一望に収められたんだ」

明夫 「敵の動勢から陣構えまで手に取るように分かるってことかな」

藤本 「(藤本、資料を引っ繰り返しながら)初戦から大同の無血占領に至る電撃戦で輜重部隊が追いつかなくなって、それで仕方なく、進撃路に生えていたリンゴをかじりながら行軍したんですよね」

石坂 「ああ、リンゴの話か。う〜ん、腹ぺこだったからね、ものすごくうまかったと記憶している(笑)。平時だったらリンゴなんてありがたくも何ともないんだけどさ、食う物がないときだと貴重品だよ」



戦いすんで……
地隙を縫って
(宮田小隊長、奮戦の場所)

眠れ戦友!
この望楼の手前、約三十メートルまで接近するも、
突入寸前、中止命令が伝達される



「たばこの吸い殻」

藤本 「鎮辺の思い出話はありますか」

石坂 「(石坂准尉、藤本が口にくわえているマイルドセブンを指差しながら)話題がいきなり飛ぶけど、少し我慢してね」

藤本 (?)

石坂 「終戦になって軍隊から帰ってきたでしょ、俺。戦争に負けちゃったから、もう兵隊はやっていられないよね。だから、下着屋さんをはじめたんだ。女性物のズロースとか売ってさ。
 戦後すぐのときはよく売れたよ。二百枚くらい商品があったら、二十分で完売したもの。当時は物がなかったからね」

藤本 「随分もうかったようですね」

石坂 「ああ、もうかったよ。でもあんなうまい商売はもうできないよね。今は景気も悪いし。
 ところで、俺がたばこを吸うようになった理由なんだけどさ、この終戦直後の下着屋からはじまっているんだ」

藤本 「と、いいますと」

石坂 「つまりね、お客さんでにぎわっていた繁盛店としてもだよ、いつも混んでいるわけじゃないのは想像つくよね。暇な時間帯もあるんだ。そうすると、店の前を歩いて行く人々に目がいってしまうのは自然なことだ。
 見れば、今のあんたと同じようにたばこをうまそうに吹かしているじゃないか。だったら俺も、暇つぶしにたばこの味を覚えてみようと思ってしまったんだな、これが。
 一日に六十本は吸っていたね、あの当時」

藤本 「えっ、六十本って三箱分もあるじゃないですか」

石坂 「そうだよ、体に悪いよね」

明夫 「確かおやじ、軍人時代は吸わなかったんだよね」

石坂 「うん、そうなんだよ、不思議とね。だから、たばこの配給を受けても、煙好きな兵隊にお菓子なんかと交換してもらって、俺は一切吸わなかった。
 ……でね、ここからが本題。あれは鎮辺の戦闘後だ。鎮辺には大きな木が一本生えていてね。そこはなかなかの休憩場所だったんだけど、俺がその前を通ると、ある兵隊が地面とにらめっこして何かを探していた。
『おい、君。どうした』
 と、俺が尋ねるとさ、兵隊はこう答えた。
『たばこだよ、たばこ』
 にっこり笑いながら、兵隊は手の平を向けた。見ると、ちょびた吸い殻が幾つもある。ほかの人が吸い散らかしたたばこを拾っていやがるんだ。俺はまだ喫煙者じゃなかったから、浅ましいやつめ、と思ったよ。でも、俺だって終戦後は、この兵隊以上にたばこ好きになってしまったんだから、ちょっと格好つかないかな」



『支那事変史』
満州第一七七部隊将校集会所

付図第四
 
鎮辺付近戦闘経過要図 昭和十二年自九月八日至九月十日



第三節 鎮辺付近の戦闘 自九月八日至九月十日 (付図第四参照)

空き腹の追撃

 九月八日、文字通り不眠不休の猛行軍はこの日も続いた。糧秣の補給も全く途絶え、わずかに芋、枝豆の煮たのと例によって林檎と、これ以外に空腹を満たすものはないが、林檎はもう見るのもいやになっていた。たまに口に入る豚の天ぷらは油は傘にぬる桐油だったが空腹には天与の美味だった。生キャベツも黒い岩塩をつけると即製のサラダになった。
 十八時三十分やっと鎮宏堡に到着した部隊は、明日の戦闘準備に追いたてられながらも林檎のおくびに悩まされつつしばしの夢路をたどった。
 明けて九日、九時頃陽高方面より敗走中の敵出現との情報を得、兵団長の命令一下速やかに警急集合した部隊は各々部署について満を持していたが敵は遂に姿を見せなかった。わずかに第一大隊方面で南谿谷に向かい退却中の敗残兵約二十名を認めたにすぎず、配備を撤した。
 十五時頃澄み切った秋空を蹴って飛翔し来たった一機、黄色い翼に胴体のスーパーだった。友軍機だった。何しに来たか分からぬが機上からしきりと手を振っているので、我々はただちに通信所を城内門に開設した。二、三度旋回した飛行機はずっと低く舞い下りて来た。と胴体から何やら南京袋のようなものが通信所めがけて投げ降ろされた。続いて幾つか同じ方法で投げ出された。駆けよった兵は何を見たか? 食料だったのだ。鬼の首でも取った如くとはこの事か、我先にと走り寄るその歓喜。将兵は天から降ったこの貴き数梱包の支那高粱パンを前に、限りなき感謝をこめて戦闘帽もちぎれよとばかり打ち振り、去り行くスーパーに別れを惜しんだ。せいぜい二つか三つしか渡らぬ高粱のパンだったが、すぐ血になり肉になる心地だった。
 皮肉にも行李はこれと前後して到着していた。
 この日兵団は陽高に転進し、部隊は猪鹿倉支隊(独立○○兵第十二○隊[二中隊欠]、○兵第二十○隊の一小隊、○線一機、○兵一名属)となって鎮宏堡に残り同地の確保に任じたが、将来大同方面への前進を顧慮して十五時、第六中隊(MG一小隊属)を西方八キロの黄土溝付近に先遣せしめた。
 この中隊が韓家営子に達した頃、鎮辺東西の高地線及び白家溝北方高地に亘る天険の要所要所に砲四門を有する約三百の敵がすでに陣を固めて頑強に抵抗し、小癪にも兵力増加の徴候すら認むとの報告がもたらされた。支隊長は第二大隊(第五中隊及び大隊砲欠)を同地に急進せしめた。

第二大隊の戦闘

 燃えつくような太陽に焼けんばかりに乾ききった赤土の路はもうもう煙とまがう黄塵を立てている。大隊は汗と埃に泥仮面をかぶったようになって前進しようやく目的地に達した。苦しめ抜いた陽もやがて西に傾けば秋冷はいよいよ深まり肌を刺す。気温の激変に大陸の寒さを身にこたえながら塹壕を掘り、それからはふと我を忘れる疲労と睡魔を互いに励ましたたかい、監視に余念ない一同だった。
 深更と共に敵は山脚に移動を始めたらしかった。
 月影とては更になく鼻つままれてもわからぬ闇に、降って湧いたような地隙が魔物のようにポッカリと大口をあける。行動は非常に困難だった。
 明けて十日払暁敵は逐次兵力を増加し、今までになく鉄帽をかぶった敵兵が陣内にうごめくのが見えた。
 やがて○砲は攻撃の火蓋を切った。
 七時支隊長は敵情視察のため○砲兵○隊長及び通信班長と所要の指揮機関と共に二十六村西方長城線に急行した。
 大隊はこれと前後して斥候を黄土溝の敵情捜索に出し、第七中隊宮田小隊を偵察隊として白家溝北方一四一〇高地付近及び黄土溝北方一三七〇高地方向に派遣する等、鋭意敵情の収集に努めていたが、八時に至り敵は不敵にも黄土溝一帯の高地に進出し我が大隊を包囲の態勢に出て来た。敵陣地正面は堅固らしかったが外翼に回るにつれて比較的薄弱だった。植田大隊長は九時に至って、
「黄土溝付近の敵兵は微弱にして、北方山地に近く行動せば、長城線以南の敵歩兵火に対しては大なる損害を受けることなく敵の背後に進出するを得べし。これがため第五中隊を韓家営子に前進し予の隷下に入らしめられたし」と意見具申し承認を得た。○砲の谷村少佐が見えた。大隊長は企図を示して種々協定をすませ、九時敵の左側背を衝くべく進撃した。○砲は敵砲兵陣地に猛撃を加えた。敵歩兵砲も全火力をあげて死にもの狂いの反撃を試みたが、地隙を利用するひたむきの前進にはさやらうべくもなかった。大営子西方地付近まで前進しやがて展開し終わった。

宮田小隊健闘す

 この頃今朝先遣された宮田小隊は一三七〇高地北方稜線に進出して勇敢に独力攻撃していた。この高地こそは鎮辺平地を一望し得るのみならず、鎮辺─豊鎮途上の死命を制し退路を扼すべき要所であった。これの奪取如何はただちに戦闘全般にわたって実に大きな影響をもって来るのだ。宮田小隊は独断二十二名の精鋭をすぐって倍する敵を一挙に殲滅し去るべく、吸い付くように山脚を縫って側背に迫る。敵は近迫を気付いていない。まさに急襲の好機!軽機、擲弾筒は狙いさだめて第一弾を叩きこんだ。不意を食った敵はあわてふためき右往左往していたが、やっと我を認めて銃口を向けて来た。彼我の銃声は次第に激しくなって来た。擲弾筒の威力で小隊は逐次稜線上に出て行ったが、急進はかえって敵後方陣地から早く発見されてしまった。敵弾は身近をかすめてたたきつけるように砂煙を吹く。ここにいよいよ前進も後退も出来なくなってしまったが、やっと射撃の間断に乗じて地隙にかくれた小隊は、更に敵前四五十メートルに肉薄すると、敵は壕の上に乗り出して手榴弾を目茶苦茶に投げはじめた。壮烈な手榴弾戦がはじまった。白煙の中にいきなり突っ立つ火柱をあびた勇士達は憤然山脚より高地めがけて投げつけるが、連日激戦の疲労はこれをうまくさせなかった。情況不利と思われた折しもあれ宮田小隊長の投じた手榴弾数発、もうもう立ちあがる火けむりは完全に視野を閉ざした。ここに小隊長率先陣頭に奮起一番する。兵は遅れじと鋭く肉弾を敵陣に打ちつけて行く。十時四十分遂に日章旗はひるがえった。敵屍累々たる一三七〇高地に、血潮に染んだ銃剣も高らかに咽喉もさけよとばかり勇士達の万歳がとどろいた。
 ほとんど時を同じうして、一三七〇高地の山脚にとりついた大隊主力は、大隊長先頭に一転するとみるや南方高地の敵陣に突っこみ、壊走する敵を高地から猛射を以て攻めたてた。敵兵は面白いほどもんどりうって地隙に落ちこんで行った。

頑敵粉砕

 植田大隊長は眼鏡を片手に仁王立ちとなり敵の猛射も意に介せず敵情を監視している。
 「危険であります、おさがり下さいッ」
 上官の身を案ずる部下の切々の情が再三ほとばしった。
 「指揮官が敵情を監視せずして誰が監視するか!」
 答えはこれのみ。植田大隊長は動かなかった。
 この頃、急追中の連隊砲も韓家営子付近に到着、鎮辺東側高地の敵重火器に対し猛攻を続けていた。
 南部黄土溝を占領した第六中隊は自動車で遁走中の敵兵を発見し一弾のもとに倒した。通信文を持っていたところから察すると伝令らしかった。これに基づいて判断した敵情をただちに支隊長のもとに報告した。

鎮辺付近の敵はあくまで抵抗する意志を持っているが目下糧食欠乏に困難しているらしい。敵は独立第七旅第二十一団で鎮川堡に戦闘司令所があるようである。その他該部隊は連絡用布板を大同の主計に要求しているところから、大同方面には敵の飛行機が若干あるものと判断される。孤山駅付近には敵の旅団司令部があるらしい。

 二十六村を朝たって追及中の第五中隊が大営子に達したのは十八時近くだった。長城線は夕陽に映えてクッキリと浮かび昼の酷暑も知らぬげに高粱はそよ風に揺られていた。敵はこっちの配備が終わらぬうちに待ちうけたものの如く盛んに撃って来た。われは満を持して放たなかった。敵火の中で沈着に機敏に戦闘準備を終わってから機を捉えるやいなや、烈火の如き攻撃を開始した。
 間断なく吐き出される猛火の中、焼け切った銃を固く握りつつ、死を鴻毛の軽きにおくわが将兵は遮二無二突進を続けて行く。敵銃座は一つずつ沈黙して行った。交戦約一時間、神速果敢なわが猛攻にようやく衰えはじめた敵陣に向かって、突如地を蹴って前進をおこした兵隊の一団は、城壁にぴったりよりついた。肩車を作ったかと思うと兵達は次々によじ登った。城壁に第一歩を踏みしめたのは小黒上等兵だった。百五六十名の敵はこの時我が機銃の猛射を食っていたたまらず算を乱して壊走した。中隊は更に第一大隊に対抗している城壁南方の敵に攻撃を加え完膚なきまでに叩き潰してしまった。
 大隊主力も同時刻南部黄土溝の退路を遮断すべく待機中だった。
 闇にまぎれて二三十名の敗残兵が道を迷ったのか、我を友軍と誤認してか大隊正面に衝突した。あわてふためき脱兎の如く、敗残兵は先を争って姿を消した。大隊は小山将校斥候を馬叭南方高地へ派遣したりして依然敵情偵察に力めていたが、敵は十一日払暁までに敗走してしまい、九時頃わずかが鎮川堡にとどまるのみだった。

第一大隊の戦闘

 第一大隊は鎮辺東南方高地線一帯に亘り、天険の要地を占領している頑敵を攻撃すべく、炎熱灼くが如き十日の昼下がりから行動を起こした。
 十五時、早くも二道窯西方高地稜線に達し重点を左方高地に指向し一挙に敵陣地を突破すべく、第一中隊(機関銃一小隊属)右第一線、第三中隊(機関銃一小隊属)左第一線、機関銃隊は両中隊の中間に位置し、敵陣の右側背に向かって攻撃態勢を整えた。
軍旗 を捧じたる光栄の第二中隊は韓家営子南端に展開、長城線に陣を構えた約八十の敵に対し攻撃の火蓋を切ったが、
軍旗 一度動くや敵は周章狼狽ただ算を乱して南方高地に退却した。
 一方北方長城線方面の敵第一線は続々と増強しつつあったので、ただちに機関銃は猛射を浴びせ前進を阻止してしまった。
 その頃長城線南側道路を急進中の大隊砲小隊、速射砲中隊もそれぞれ追及して陣地を占め、全力を傾注して敵陣真っ直中に巨弾の雨を降らした。耳をつんざく砲声炸音、我が部隊の進撃を阻止せんとする敵砲火とあいまって天地を震駭する。高粱は根こそぎ吹っ飛ぶ。黄塵天地を閉じこめ、汗と泥におびんづるのようになった将兵の顔を頭を遠慮会釈もなくおしつつむ。黙々と一歩一歩敵陣ににじりよって行くうちに右翼高地の敵火はいよいよ活気を増し、その兵力も七八百に増加して来た。敵は相次ぐ敗戦の恥辱を一挙にそそがんものと、執拗な反撃である。
 十七時板倉部隊長は部隊長に敵情を報告すると共に高橋副官を砲兵隊に派遣し連絡せしめこれが協同を要求した。やがて我が砲兵陣地は一斉に吠吼を始め仮借なき攻撃火網は敵陣を全く覆い尽くす。交戦約三時間、頑強に抵抗を続けた敵も十八時頃になると火力やや衰え混乱をきざした。時こそ至れこの好機、第三中隊は左方高地を遠く迂回し稜線上に達するやいなや最右翼高地に待機していた敵から俄然猛烈な手榴弾を雨とくらった。稜線をさし挟んで手榴弾戦がはじまった。続行中の機関銃隊主力は、すかさず機銃を据える。夕闇をきって火を吐く銃口、大隊砲、速射砲の飛弾音が交錯して壮烈きわまる戦闘のしばし、敵は陣地を棄てて敗走した。督戦隊に追い立てられてか健気にも再び逆襲に出て来たのもいたが、たちまちうち砕く鉄槌にはすべもなく、退却さえもままならず窮鼠の勇をふるっては冥府行をとげるのみだった。
 右側を衝いた第一中隊は重火器支援のもとに三つ瘤高地に肉薄しつつあった。両中隊共決戦に至らず日没を迎えた。延引は許されぬ。是が非でも今宵のうちに殲滅すべき大隊長の決意はやがて十八時二十分夜襲命令となって現れた。三十分もたたぬうちに第三中隊は奮然果敢な突撃を決行し、敵の最右翼高地を占領した。
 この時支隊命令あり、

「第一大隊ハ一部ヲ以テ鎮辺方向ノ敵ヲ監視主力ハ大営子付近ニ集結スヘシ。尚一部ヲ鴛鴦嘴ニ出シ砲兵ノ援護ニ任セシムヘシ」

 だが攻撃いまだ半ばである。大隊長は独断攻撃を続行し、加藤曹長をして情況を報告せしめた。

第一中隊

 二十時、第一中隊は三つ瘤高地の敵陣地に対して断固夜襲を決行した。
 敵との距離は僅々六七十ないし二百メートルにすぎなかったが、大小数十の地隙が縦横にうねっていた。
 二十時三十分、折笠小隊、伊藤小隊、五十嵐小隊あい並んで粛々と行動を開始した。地隙を縫いすすむため、ともすれば崩れ落ちる足もともあぶなく、歩一歩と敵に肉薄した。暗夜を利して極めて巧妙に地形を利用出来たため敵はよもやと思ったのかカタとも音なく、敵陣地に最も近まった最後の窪から、各小隊がほとんど時を同じうして姿を現したその瞬間、泡喰った敵はめくらうちをはじめたがその時すでに中隊は剣尖を揃えて躍りこんでいた。
 この頃大隊本部は第一線の後方数百メートルの地点にあった。第一線が突撃を敢行してしばらくたった頃粘りつくような闇の中から一人の兵隊が本部の位置にころがりこんだ。見ると第一中隊の菅井栄一等兵だった。左腕を無残にも射ぬかれ顔面から咽喉首にかけてもベットリと夜目にもしるい鮮血である。
 「オイッ!どうした!」
 居合わせた大隊砲の大平曹長が声をかけると、はっと我に返ったか、
 「曹長殿!伝令です」
 きっぱり答える菅井一等兵。
 中隊は二十一時少し前に敵陣に飛び込んだが頑敵の抵抗にあい、第二小隊長伊藤喜久少尉以下兵三名負傷したが陣地を確保して苦戦中との事だった。
 大平曹長が改めて菅井を見ると傷は意外にも重かった。左腕の負傷箇所からの出血はとめどなかった。
 「菅井、お前はここに残れ。連絡は俺の方でする」
 と声をかけると、菅井一等兵はとたんに真蒼な顔を硬直させた。
 「いや菅井は帰ります。小隊長殿(伊藤少尉)も重傷です。菅井が行かなければ小隊長殿は死んでしまいます」
 「馬鹿!その体で何で役に立つ」
 「いや大丈夫であります」
 「俺の言う事をきけ!」
 「いやです!」
 両人はむきになって言い争った。
 菅井は言葉をすっぱくしてもいつかな参りそうにもなかった。大平曹長もこうなれば嘘も方便だと考えた。
 「俺も帰してやりたい。実はおい大隊長殿の命令で本部は一人の兵隊でも護衛のために残せと言われたんだぞ。残れ」
 しばらく頭をたれていた菅井一等兵は、
 「そうでありますか。それでは残ります」
 やっとの事でしぶしぶ残留を聞きわけた。
 第一中隊はやがてこれを占領した。機関銃主力はこれに跟随して陣地確保に協同し、同地を完全に占領した。
 ひねもす天地を震駭しつくした彼我の銃砲声も二十三時頃となっては全く静まり、時折思い出したような銃声が峰伝いにこだまして行くのみ。ひしひしと迫りくる冷気を身にこたえつつ鎮辺城払暁攻略の準備は進捗した。
 かくて十一日未明粛々たる前進を起こし一部を以て望楼高地に向かわせ、主力は一挙鎮辺城を衝き、七時、朝霧もまだ消えやらぬ東門高く日章旗を掲げた。にげ足速い敵はすでに影も形も見せず城内の掃討も手間取らなかった。

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