二十一・鉄角嶺
昭和十二年九月二十八日・二十九日の二日間にわたり、激戦がおこわれた。わが部隊の戦死者二十一名。
*補足(藤本)
笠原参謀護衛のため、片桐分隊の兵として石坂准尉は中隊を離れていた。
任を解かれた後、全力で鉄角嶺に追及するも、戦場に到着した頃にはすでに戦闘が終わっていた。
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