一・宮城
君が代は
千代に八千代に
さゞれ石の
巌となりて
苔のむすまで
*補足(藤本)
私の不勉強によって理由は分からないのだが、「皇居」という言葉はあまり戦前戦中には使われず、もっぱら「宮城」という名称が用いられていたそうだ。確かに当時の新聞を調べてみても、「皇居」という名が出てくるのはまれである。
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