三十八・吉丸高地



 ハロンアルシャンから百数十キロメートルを一昼夜の強行軍で踏破、最前線吉丸高地に到着。ここ吉丸高地はわが戦車隊とソ連戦車隊が激戦を繰り広げた地。
 わが軍は敵戦車約九十台を撃破し、大勝を収めるも、吉丸戦車隊隊長は壮烈な戦死を遂げる。その功績を称え、この地は吉丸高地と名づけられる。

*補足(藤本)
 帝国陸軍の脆弱な機甲戦力が露見したというノモンハン事件。しかし、海に囲まれた海軍国であるわが国に、欧州の陸軍大国であるソ連と同様の機械化戦力を整備すべきであった、という反省自体、無理な話に思える。加えて、当時の列強国とわが国の戦車を見比べてもそれほど引けを取っているわけでもない。結局、後の大東亜戦争で敗れた原因をあら探しするうちにその点が拡大解釈されてしまったのではなかろうか。
 日本陸軍を語る際に頻繁に指摘される「戦車に対する異常な劣等意識」が奇異に思えてならない。

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