『くびき野文化事典』の記述間違い


 頸城野郷土資料室が編集した『くびき野文化事典』という本に歩兵第三十連隊の記事が載っているのだが、致命的な記述間違いがある。偶然にも、同郷土資料室の理事長である石塚正英さんとお会いする機会があって、本書の記述ミスについて一読者の立場から申し入れをしておいた。しかし、改訂されるような気配がないので、私の方で訂正文を作成することとした。



■原文

高田歩兵第三十連隊(たかだほへいだいさんじゅうれんたい)
第十三師団の廃止により、いったんは軍都としての役割を縮小したかのように見えた高田であるが、第三十連隊が引き続き、高田に駐屯したことにより、軍都高田はその命脈を保つこととなる。満州事変以降、満州駐屯部隊として第二師団所属の歩兵第十五旅団司令部、第三十連隊もまた満州に渡った。二・二六事件や日中戦争(支那事変)においても、第三十連隊は動員され、特に日中戦争では上海戦線、南京と転戦した。その後、一九四〇(昭和一五)年八月には、第二師団から第二十八師団に所属が変わり、ノモンハン事件でソ連軍とも戦っている。その後、第三十連隊は終戦まで宮古島に駐屯することとなった。第三十連隊は、常に大日本帝国の先兵として戦った連隊の一つであった。(中島浩貴)

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問題点・一
 「特に日中戦争では上海戦線、南京と転戦した」
 と、本文中にあるが、歩兵第三十連隊は支那事変において、上海および南京では戦闘をおこなっていない。実際は北支に出動し、山西省の首府・太原を攻略したことをもって作戦を終えている。

問題点・二
 「その後、一九四〇(昭和一五)年八月には、第二師団から第二十八師団に所属が変わり、ノモンハン事件でソ連軍とも戦っている」
 と、本文中にあるが、時系列に逆らった記述になっている。歩兵第三十連隊が第二十八師団に編入されたのが昭和十五年、一方、ノモンハン事変が発生したのは昭和十四年のことなのだ。前後を入れ替えた方が適切であろう。

問題点・三
 「その後、一九四〇(昭和一五)年八月には、第二師団から第二十八師団に所属が変わり、ノモンハン事件でソ連軍とも戦っている。その後、第三十連隊は終戦まで宮古島に駐屯することとなった」
 と、本文中にあるが、「その後」という言葉が二回続けて記されている。日本語の作法としていかがなものか。別の言葉に差し替えるべきであろう。

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■藤本による訂正文

高田歩兵第三十連隊(たかだほへいだいさんじゅうれんたい)
第十三師団の廃止により、いったんは軍都としての役割を縮小したかのように見えた高田であるが、第三十連隊が引き続き、高田に駐屯したことにより、軍都高田はその命脈を保つこととなる。満州事変以降、満州駐屯部隊として第二師団所属の歩兵第十五旅団司令部、第三十連隊もまた満州に渡った。二・二六事件や日中戦争(支那事変)においても、第三十連隊は動員され、特に日中戦争では
中国の北部に出動し、天鎮、鎮辺、大同、鉄角嶺、原平鎮、南庄頭、太原と転戦した。その後、一九三九(昭和一四)年、ノモンハン事件でソ連軍と戦い、一九四〇(昭和一五)年八月には、第二師団から第二十八師団に所属が変わっている。
一九四四(昭和一九)年、第三十連隊は宮古島に移駐し、終戦まで同島に駐屯することとなった。第三十連隊は、常に大日本帝国の先兵として戦った連隊の一つであった。(中島浩貴)

*青字が訂正部分



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