関東大震災における歩兵第三十連隊の出動 (『偕行社記事』〈第五百八十九号〉より) |
表紙 |
題名 |
偕行社記事 震災号 |
著者 |
* |
出版 |
偕行社 |
版 |
大正十二年十月二十五日印刷 大正十二年十月二十八日発行 |
備考 |
第五百八十九号 |
東京市付近警戒救護食糧品配給所位置要図 (九月十日ノ状況) |
東京市付近警戒救護食糧品配給所位置要図 (九月十日ノ状況) |
*補足(藤本) 歩兵第三十連隊が、巣鴨と板橋の警戒・救護に当たったことが分かる。 |
関東戒厳地域内警備部隊配置要図 九月十日ニ於ケル |
*補足二(藤本) 歩兵第三十連隊(30i)が、東京北部警備部隊(司令官・森岡守成中将)の所属であることが分かる。 *補足三(藤本) 歴史地震研究会『歴史地震』(第二十七号)という雑誌に、「関東大震災と全国規模の軍事動員 新潟県駐屯部隊の視点から」(吉田律人)という記事が載っていて、歩兵第三十連隊について触れている。 該当箇所を以下に引用しよう。 *** 3、新潟県駐屯部隊の対応 地震発生当時、県内の陸軍部隊を統轄する第13師団長・井戸川辰三は管轄区域内の視察を行っていた。9月3日午後2時30分、村松の歩兵第30連隊を視察していた井戸川のもとに師団司令部から参謀が駆け付け、震災対応について協議を行っている。第13師団司令部作成『明治三十八年以降 師団歴史』(防衛研究所図書館所蔵)に依れば、師団が正式な出動命令を受領したのは同日午後6時10分であるが、それ以前に第9師団(金沢)への電信などから命令内容を断片的に得ていたと考えられる。情報の混乱によって命令伝達は円滑に進まなかった。 第13師団への命令は、@歩兵旅団1個相当の兵力と工兵大隊の派遣、A一週間分の食料と実弾30発の携帯、B食糧の収集と輸送、C衛生部員による救護班の派遣で、軍隊出動の主目的は混乱した罹災地の治安維持にあった。それに基づき、井戸川は隷下の歩兵第26旅団と歩兵第30連隊を中心に派遣部隊を編成し、罹災地に送る準備を整えた。 『歴史地震』(第二十七号)の五十七ページから引用 |
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