小さい伝令使 (『尋常科用小学国語読本 巻八』より) |
表紙 |
題名 |
尋常科用小学国語読本 巻八 |
著者 |
文部省 |
出版 |
日本書籍 |
版 |
昭和十一年八月十日印刷 昭和十一年八月十二日発行 昭和十一年八月十二日翻刻印刷 昭和十一年八月三十一日翻刻発行 |
備考 |
昭和十一年八月十七日文部省検査済 |
第十三 小さい伝令使 昭和六年十二月三十一日の夕暮、大石橋守備隊の鳩舎へ、血に染まつた一羽の鳩が飛んで来た。取扱兵がすぐ抱上げて、足の番号を見ると、四日前に、錦州へ向け出発した我が軍に連れられて行つた軍用鳩であつた。信書管は血にまみれ、身には重傷を負うて、息もたえだえであつた。錦州へ向かつた我が軍は、三十日とつぜん優勢な敵軍にであひ、烈しく戦つた。早く此の事を大石橋守備隊へ知らせようとしたが、電信も電話も敵のためにこはされ、通信はただ鳩にたよる外はなかつた。 通信紙をつめたアルミニウムの管を鳩の右足に取付けた兵は、しばらく鳩の体にほほをすりつけ、途中の無事を祈つた。小さい伝令使は胸をふるはせ、かはいい目で空を見上げて居た。 戦の真最中、鳩は空高く舞上がつた。二三回上空に輪をえがいて飛んで居たが、やがて方向を見定め、矢のやうに飛び去つた。 落行く夕日を背に受け、寒空を物ともせず東南をさして飛んで居た鳩は、ふと、たかの一群を見たので、すばやく低空に移つた。すると、今度は敵軍に発見され、忽ち一せい射撃を受けた。 一弾は鳩の左足をうばひ、一弾は其の腹部をつらぬいた。 此の重い傷にも屈せず、鳩はなほしばらく飛続けたが、遂にたへかねて、とある木の枝に止つた。 たまたま其の付近に居た我が軍の兵が、これを発見した。つかまへようとして手をさしのべると、鳩は再びつばさを広げて飛上つた。飛去つたあとの木の枝には、いたましくも赤い血が付いて居た。 弱り果てた此の小伝令使は、其の夜どこで休んだことか、翌日になつて、やうやく大石橋の自分の鳩舎にたどり着いたのである。 大石橋守備隊では、さつそく信書管を取りはづし、手厚くかんごしたが、任務を果して気がゆるんだのか、鳩は取扱兵の手に抱かれたまま冷たくなつてしまつた。 しかし、此の報告で敵情は明らかになつた。さうして、間もなく我が軍は錦州を占領した。 |
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