うしの刻参り


宇治の橋姫

うしのとき-まいり―まゐり[〈丑の時参り〉](連語)執念深い女が、ねたましく思う人をのろい殺そうとして、頭にともしたろうそくをのせ、胸に鏡をかけなどして、毎夜丑の刻に神社に参り、相手に模したわら人形をくぎで神木に打ちつけること。満願の日には相手が死ぬと信じられていた。江戸時代に盛んに行われた。

『広辞林』(第六版 特装版) 三省堂編修所 編/三省堂

 俗世間に生きていると、嫌なやからや殺したいほど憎たらしい人と出会ってしまうものだが、だからといって相手に危害を加えれば、犯罪者として処罰されてしまう。
 さすがにまずい。しかし、現代社会に生きるわれわれに打ってつけの方法がある。
 うしの刻参りだ。
 何を今更、古めかしいことを言っているのだと思われるかもしれない。しかし、実のところ、人間心理をついた効力があるのだ。
 偽薬効果はご存じであろうか。何の効き目もない薬を、さも素晴らしい効能があるように説明、投与された患者がその気になって、病気を自然治癒させてしまうことである。病は気から、と昔から言われているが、肉体にもともと備わっている治癒能力を刺激してやるのはうしの刻参りにも通じる。「思い込む」ことが重要なのである。
 以下、そのことを踏まえたうえで、うしの刻参りの効果が現れるまでの経緯を解き明かしてみよう。

一、白装束を着た人物がうしの刻参りをしているらしいと近所でささやかれる。

二、神社の神主が不気味に打ちつけられたわら人形に気がつく。

三、町内が騒然として、呪いをかけられた相手は不安にさいなまれる。

四、病は気から、と言われているように、呪詛された者は精神の均衡を崩して病気になってしまう。呪い成就の瞬間である。

 大抵、うしの刻参りをするのは、か弱い女である。女の執念は古今東西見渡しても恐れられているから、すこぶる気持ちが悪い。
 数ある呪いの中でも、お手軽さと実効性が優れているのは意外と少ない。素晴らしい呪いといえよう。


『宇治の橋姫』

 文献にうしの刻参りがはじめて登場するのは京都の貴船神社を舞台にした『平家物語』の剣巻である。『平家物語』には数種の異本が存在するが、私が参照したのは屋代本『平家物語』の剣巻で、対照資料として田中本『平家物語』の剣巻にも目を通した。前者の屋代本というのは、屋代弘賢の旧蔵から高野辰之の蔵を介し、国学院大学図書館に架蔵された経緯がある。屋代弘賢が所持し、また自身の書き込みが本文にあることから、屋代本なる名称が便宜的に使われている。後者の田中本も同様のネーミングによるものであろう。

 嵯峨天皇の時代、ある貴族の娘は貴船大明神に七日間こもって願をかけた。
「私を鬼にしてください。ねたましく思っている女を殺したいのです」
 すると、お告げがあった。
「鬼になりたければ姿を変え、宇治の河瀬に行って三十七日間浸るとよい」
 娘は喜んで都に帰ると、長い髪を松脂で整えて五つの角を作った。顔には朱をさし、体には丹を塗り、頭には五徳を被った。そして、三把の松明に火を灯して口にくわえた。
 静まった深夜、頭から五つの炎が燃え上がっている娘は、大和大路を走り出て南に向かった。そうして、鬼に生まれ変わった娘は、ねたましいと思っていた女と縁者、自分を嫌って遠ざけた男の親類と配下を、貴賤や男女を問わずにことごとく殺してしまった。

 『宇治の橋姫』と本文にあるが『奥義抄』『袖中抄』『弘安十年本歌注』(古今注)に載っているものとは相いれず、そもそも『宇治の橋姫』は架空の存在である。が、だからといって、うしの刻参り初の文献として『宇治の橋姫』の名は通俗しているので、題を訂正するような野暮はしなかった。ただ「大城大路」とあるところに屋代弘賢の筆跡で「大和大路」と直されている部分には従った。対照資料とした田中本『平家物語』では当部分をはじめから「大和大路」としている。
 なお、貴船神社は心願成就と縁結びのご利益が有名で、一説には絵馬発祥の地であるという。祭神は「たかおかみのかみ」で、本来は山の神だったようだが水の神として信仰されている。『宇治の橋姫』の話にあるとおり、心願成就のご利益があるところから、物語の娘は貴船神社に詣でて、恋愛がらみのうっぷんを大明神にお願いした次第というわけである。


『鉄輪』(かなわ)

 謡曲『鉄輪』の作者を『自家伝抄』では世阿弥としているが、誤りだというのが定説だ。ほかに資料がないので『能本作者註文』にあるように今に至るも作者不明である。『親長卿記』によると、長享二年二月二十三日の手猿楽亀太夫初演が記録上の所見であることが分かっている。

 貴船神社に仕える社人はある夜、不思議な霊夢を見た。都から女がうしの刻にやってくるので、霊夢で見た子細を神の言葉として伝えよ、とのことである。果たせるかな、社人が社頭で待っていると女は現れたのだった。
「くもの糸に荒れ馬をつなぎ止められても、浮気心をつなぎ止めておけないのが男の本性です。男のうそを見破れず、契りを交わした悔しさは自分のせいに違いありません。
 私はこの世で生き長らえる気は更々ないのですが、あまりにも心苦しいので、せめて男に復讐させる機会を与えてください。
 通い慣れた道とはいえ、私がなぜ恐ろしい夜をいともせず、昼間と同様に糺河原(ただすのかわら)を通れるのでしょうか。みぞろ池に身を沈めても構わないくらい、思いに身を沈めているからです。市原野の露を踏み分け、月の出が遅くて暗い鞍馬川の橋を渡ってくるほどの決心なのです」
 悩みに身を焦がしている女に向かって、社人は声をかけた。
「都からうしの刻参りをなさっている方ですね。今夜、あなたの身の上を霊夢で告げられました。大丈夫です。願いは成就されます。以後、あなたが参詣する必要はありません。家に帰ったら、身には赤い衣を着て、顔には丹を塗り、髪には鉄輪を戴いて三本の足に火を灯してください。怒る心を持つならば、たちまち鬼になるでしょう」
「思いもよらぬ仰せです。人違いでありましょう」
「いやいや、あなたの身の上は霊夢で告げられました。さあ、急いで家にお帰りなさい。あなたと話していると、何だか恐ろしくなってきました」
 社人はそう言うと、去ってしまった。
 残された女は独りつぶやいた。
「奇独なお告げではありませんか。早く家に帰って霊夢のとおりにしてみましょう」
 すると、そう言ったか言わないうちに、女の姿は、美女の代名詞といわれる緑髪が逆立って、見る間に変容していった。一面の空に黒雲が覆い、雨も降って風吹き荒び、雷さえもとどろいた。
「たとえ雷であっても夫婦の仲を引き裂けないというのに、それが引き裂かれてしまった。恨みの鬼となって、あの男に思い知らせてやる」
 さて、一方の男は、最近続けて悪夢を見るので、夢占いでもしてもらおうかと思って、陰陽師の安倍清明のもとを訪れていた。
「私は下京に住居を構えている者ですが、このほど打ち続いて悪夢を見るので悩んでおります」
 男を一目見た清明は、大変な事態だとすぐさま看破した。
「あなたは女の深い恨みを背負わされています。今夜のうちに命が危ないとみました。何か心当たりはありませんか」
「近頃、本妻と離別して新しい妻を迎えましたが、何か関係があるのでしょうか」
「大いにあります。本妻が仏神に祈るその数積もり、あなたの命は今夜に極まってしまうのです。私の調法では厄災を払いのけられそうにありませんが、あなたの命を救ってみるよう祈念いたしましょう」
 清明は三重の高棚を据えて、その内側に一畳台を置いた。下の棚に幣を乗せて、四隅には五色の幣を立てた。男の形代である侍えぼしと女の形代であるびんとわら人形も用意した。
「あなたの死すべき命を形代に転じるため、等身大のわら人形をこしらえました。夫婦の名字を内に込め、三重の高棚と五色の幣、おのおの供物を整えましたので、後は肝胆を砕いて祈るのみです」
 清明は文言を唱えはじめた。
「謹上再拝、天開き地固まってこのかた、イザナギ・イザナミの尊、天の盤座にして男女夫婦の語らいをなし、陰陽の道長く伝わる。なんぞ魍魎鬼神妨げをなし、非業の命を取らんとや」
 続けて清明が、大小の神祇、諸仏菩薩、明王部、天童部、九曜七星、二十八宿に勧請すると、雨が降り、風が吹き荒び、稲妻が鳴り、ご幣もざわめいて天地が鳴動した。
 そのうち、三本の足に火を灯した鉄輪を頭に戴いた鬼が現れた。手には打枝を持っている。そう、あの女である。
「春の花は斜脚の暖風に開け、同じく暮春の風に散る。月は東の山から出て、早くも西の嶺に隠れてしまう。この世の中の無常である。
 因果応報、私に辛く当たった人々に、たちまちにして報いを思い知らせてやらなければならない」
 鬼は高棚に近づき、男の形代をにらみすえる。
「恨めしや。契りを結んだとき、私はお前を信じ切っていたというのに、どうして別の女を愛してしまったのだ。
 私は捨てられて涙に沈んだ。あるときは恋しく、またあるときは恨めしく、起きても寝ても忘れられない思いに身をやつした。だが、お前の命は白雪のようにこよいで消え去ってしまう。かわいそうな人だこと。
 私は悪くもないのに辛い思いに嘆き悲しんでいる。捨てられて年月が経つうちに思いに沈む恨みの数、積もり積もって執心の鬼となるのも当たり前ではないか。
 さあ、命を頂戴するとしよう。夢とも現実ともおぼつかない苦しい世に、因果は巡り巡って報いが訪れようとしている。もう後悔しても手遅れだ」
 打枝がわら人形に打ちつけられる。そして、恨めしい男をいよいよ取ってやろうと次に打枝を振り上げた瞬間、鬼はたじろいでしまった。
 三重の高棚と五色の幣、三十番神ましまして魍魎鬼神は退散せよと鬼を責め立てたのである。
 こうして、神通力の勢いが絶えた鬼は、いずこかに消え去った。

 先の『宇治の橋姫』から、平安時代にはうしの刻参りの風習があったことが分かる。室町時代になると『宇治の橋姫』に影響された『鉄輪』という謡曲が登場している。
 興味深いのは、わら人形、五寸くぎ、木づちの三品が呪詛の道具として登場していないことである。それらの物が話に出てくるのは、どうやら江戸時代になってからのことらしい。
 『鉄輪』で清明がこしらえた形代のわら人形は小型化され、打枝ではなく呪いを込めたくぎを打つように変わった。服も赤い衣ではなく、白装束をまとう姿が基本になった。鬼になる女が一本脚の高げたを履くように発展さえしている。時代を経るに連れて作法が整えられ、われわれが知っているうしの刻参りの姿になってきたのである。
 いまだにうしの刻参りは廃れていない。全国の神社で五寸くぎに突き刺された呪いのわら人形が発見されている。そして、江戸時代になってから変わっていったように、現代ではわら人形ではなく、相手の写真であったり、思い出の品であったりする。
 憎い男を恨んで取り殺すうしの刻参りは、女の嫉妬深さが不動である限り、手を替え品を替えて、いつの世になっても忘れ去られることはない。
「男性諸氏、くれぐれも注意するように」
 と、忠告して筆をおく。


参考文献
『特命リサーチ200X F.E.R.C.極秘調査報告 松岡征二ファイル』(超常現象編) 日本テレビ
新潮日本古典集成 謡曲集』(上巻) 伊藤正義 校注/新潮社
『屋代本平家物語』(下巻) 佐藤謙三 春田 宣/桜楓社
屋代本 高野本 対照 平家物語』(第三巻) 麻原美子 春田 宣 松尾葦江 編/新典社
『広辞林』(第六版 特装版) 三省堂編修所 編/三省堂
『日本お伽物語』 小野小峡/博文館
ほか



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