たくあん漬


缶飯 たくあん漬

 自衛隊の戦闘糧食には「戦闘糧食T型」と「戦闘糧食U型」がある。前者は耐久性が考慮された缶詰食(通称・缶飯)、後者は携帯性が考慮されたレトルトパック食(通称・パック飯)である。炊事の補給班が望めない場所では──ほかに補助食品である乾パンも加えられ──戦闘糧食が頼みにされるという。
 特科の人(砲兵)から聞いた話なのだが、「戦闘糧食T型」のたくあん漬は自衛隊員の不評を買い続けている戦闘糧食の中でもおいしいという。昆布の香りは芳醇至極、口の中で広がる大根の甘みは上品この上もなく、ご飯のお供にはもってこいだと言わしめるそうだ。
 多大な興味を覚えた私は裏を取るために、幾人かの自衛隊関係者に質問してみた。すると、ある陸自の青年一人を除いて、皆同じような答えが返ってきた。
 早速とばかり、予備自衛官の友達に連絡を取って、自衛隊の缶詰を懇願した。そうして、幾つかの缶詰とレトルトパックの戦闘糧食が手に入った。しかし、残念ながら、渡された包みの中にたくあん漬の缶詰は見当たらなかった。予備自の彼が言うには、単純にうっかりしていた、とのことである。私があれほど、たくあん、たくあんと言っていたのをすっかり忘れているとは何とも腹立たしい。
 それはさておき、仕方がないので、インターネットオークションを利用して購入する方法に切り替えた。缶飯五缶に送料を加えて、合計千七百円である。高いのか安いのか判然としないが、とにかくこれでたくあん漬を食べられる。
 私は胸を躍らせながら、わが家に発送されてきた缶飯を缶切りで開けてみたのであった。

たくあん漬を開封 白飯も開封

 たくあん漬だけでは寂しいと思って、白飯の缶詰も一緒に食べることにした。特科の人が言うとおり、ご飯のお供に最適とあらば、同時に味わってみたくなるものだ。普通の白米には違いないものの、自衛隊の白米である。しゃばの銀しゃりではない。軍隊の飯だ。私もいっぱしの自衛官になったような気分になってくるではないか。
 まずいわけがない。
 絶対にうまいはずだ。
 箸を握る手が緊張で震えた。たかが、たくあん漬を食べるだけだというのに、その大げさなしぐさはどうしたものか。
 実のところ、用意周到で疑り深い私は、自衛隊関係者にたくあん漬の質問をぶつける前に──隊員の証言だけではいかがなものかと思い──関係書籍を探し出して、事前に調べをつけていたのである。
 光人社から出版された『そこが変だよ自衛隊!』(著・大宮ひろ志)にこう書かれている。

「缶詰シリーズの中で唯一、傑作と言われたのが沢庵の缶詰。その歯ごたえと味付けは、市販品にはちょっとない美味しさだ。
 僕もたびたび、その味を知る民間の方から『また、あれ持ってきてよ』と頼まれるほどで、これだけは僕たちのように口の悪い連中でも黙って食べたものだ」

 当記述が何よりの証拠である。ただの証言ではない。活字である。まともな文章屋であれば言うまでもない常識だが、証言と活字の間に存在する信憑性の重みは天と地ほどの差がある。証言であれば、気安く感想を述べられても、活字となったら、どのような駄文家でさえ一言一句に気を使って叙述する。それがすなわち、証言と活字の信頼性の度合いである。
 箸を握る手が期待で震えるのも無理なかろう。活字にはっきりと「市販品にはちょっとない美味しさだ」と書いてあるのだから。
 たくあん缶の中身を確認すると、太切りにされているとはいえ、わずか四切れしか入っていなかった。痩せ型のくせに大食漢である私には少々物足りないかもしれない。
 私は一切れのたくあんにつき、二合入りの白飯缶をどれだけ口に頬張ればよいか考えた。たくあん一切れにつき〇・五合の白飯を胃袋に収めればよい手はずである。
 程なくして、いよいよ決心した私は、いざ、たくあん漬に箸をつけた。興奮して小刻みに揺れている箸でたくあんを挟み、恐る恐る箸先を顔に持ってきた。目の前には調味液で黄色くなったたくあんがしっかと見えた。
 だが、口にするのはまだ早い。まずは匂いを確かめなければなるまい。
 鼻にたくあんを近づけてみた。しかし、どうしたことだ。想像していたような食欲をそそるかぐわしい匂いは一切しなかった。何度嗅いでみても、普通のたくあんの匂いしか漂ってこない。
 いや、待て。私の鼻が悪いだけだ。
 問題は味である。
 おいしければ全てが解決する。鼻の利かない己をせいぜい笑い飛ばしてやればいいのだ。
 私は一人でほくそ笑むと、気を取り直して、たくあんを口の中に放り込んだ。
 口内でたくあんがかみ締められる。小刻みのよい音がする。
 私の喉仏が上下した。
 飲み込んだのである。
 味はというと……がっかりだった。
 何の変哲もない、ただのたくあん漬であった。
 一体、どこが市販品と異なる味だというのだ。全く市販品そのものである。多分、天日干しなどされずに、乾燥させた大根を調味液に漬けただけの代物なのだろう。私が最も嫌う下品なたくあん漬の特徴が如実に表れていた。
 歯ごたえうんぬんなどと先の本で述べられていたが、著者は不幸にも昔ながらのたくあん漬を食べたことがないのだろう。真のたくあん漬はかみ切って飲み込めないほどに固いし、味は単純にして奥深く、毎日食べても飽きがこない特徴が備わっている。自衛隊のたくあん缶とは、あまりにかけ離れている。
 私はどうやら、千七百円をどぶに捨ててしまったようである。無論、自衛隊のたくあん漬の味を確認することができたので、その意味においては目的を達している。できれば、美味の感動を加味したかったのだが、残念至極、もくろみは打ち砕かれてしまった。
 私はそのとき、自衛隊関係者に質問をした際のある返答を思い出した。
 陸上自衛隊の青年がこう言ったのである。
「たくあん漬の缶詰ですか。僕はおいしいと思って食べたことはないですよ。だって、普通のたくあん漬と味は一緒なんですから。おいしいなどといううわさはデマです。僕が保証します」
 ちなみに、青年の母親がお弁当をつくると、必ず自衛隊の缶詰を利用して中身に混ぜるので、もう缶飯を見るだけでも吐き気がするそうである。



たくあんの語源

 せっかくなので、たくあんの語源について少し書いておく。
 一般にたくあんを考案した人物は江戸時代に活躍した沢庵和尚だといわれているが誤りである。沢庵和尚が生まれるはるか前から、製法の似た漬物が奈良時代に存在していた。ただ、沢庵和尚がたくあんを広めたという説はうっちゃっておけない。多くの伝説が残っているからである。
 例えば、三代将軍・徳川家光が東海寺を訪れた際に、沢庵和尚の出した大根の漬物をえらく気に入り、これをたくあん漬と命名したとの話が伝わっている。また、沢庵和尚の墓石が漬物石に似ていたことから、以後、たくあん漬と名づけられたとの話もある。
 両方とも語源に関した言い伝えなので、直接的には沢庵和尚がたくあんを広めたこととは関係がない。それこそ、誤った伝説の一端である。しかし、逸話の存在こそ、逆に沢庵和尚がたくあんを広めた証拠として考えられないだろうか。無論、どちらにせよ、はっきりしていないことなので安易な結論は下せないが。
 なお、ほかにたくあんの語源として、長期間にわたって貯える漬物――「貯え漬」が変じてたくあんとなった説や、九州地方で「じゃくあん」と呼ばれていたものが変じてたくあんとなった説がある。

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参考文献
『そこが変だよ自衛隊!』 大宮ひろ志 著 サトウ・ユウ 絵/光人社

履歴
平成十七年二月二十四日



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