陸軍の敬礼


陸軍礼式令

 たかが敬礼、されど敬礼。
 敬礼にも厳格な作法があって、その動作一つで兵隊の練度が推し量れるという。
 昔はいかなる部落にも軍隊経験者がいて、兵隊の立ち居振る舞いが体に染み着いていた。しかし、徴兵制が廃止されて久しいが故に、現代人は敬礼の仕方を知らない。最近の戦争映画やテレビドラマの俳優たちは、私のような地方人が見ても不自然な敬礼をしている。演技指導がなっていないというよりも、戦うことを忘れてしまった戦後の日本人を見せつけられるように思えて胸が痛む。
 無意味な抵抗かもしれないが、当時の陸軍礼式令と参考書をもとに敬礼の大略をまとめてみた。



室内の敬礼 挙手注目の敬礼 執銃の敬礼

はじめに

 敬礼には「単独の敬礼」と「部隊の敬礼」がある。また「室内の敬礼」と「室外の敬礼」、「徒手の敬礼」と「執銃の敬礼」に分かれる。さらには「行進間の敬礼」と「停止間の敬礼」というのもある。
 順を追って概略を述べる。

***

第一章・単独の敬礼

第一節・通則

(一)上官に対しては敬礼し、上官はこれに答礼する。同級者同士も互いに敬礼する。
(二)敬礼は、受礼者である上官の動作が終わるのを確認してから、旧姿勢に復す。
(三)上官が横を向いていて気がつかなかったり、軍服を着ていなかったりしても、必ず敬礼する。
(四)上官に対して敬礼しなかったならば、懲罰を受ける。
(五)周囲が暗かったり、何かの理由で階級の判別がつかなかったりしたときには、互いに先を争って敬礼する。
(六)海軍の軍人や陸軍文官、または同待遇者には、陸軍武官に準じた官級相当の敬礼をおこなう。

第二節・室内の敬礼

(一)右手で帽子のひさし(ひさしのない帽子にあってはその相当位置)を持ち、右腕を伸ばして右ももにつける。
(二)不動の姿勢で受礼者に注目した後、上体を約十五度傾け、受礼者の答礼が終わるのを待ってから旧姿勢に復す。

■上官の部屋に入る場合

(一)入口で帽子を脱いでから戸をたたき、入室の許しを請う。このとき、戸が開いていたり、半開きになっていたりしても、勝手に入ってはならない。
(二)部屋に入って戸を正しく閉めたら、入口に近い適宜の位置において敬礼する。それから、上官の方に近づき、用件を果たす。
(三)室内に上官がたくさんいたならば、その中の最上級者に敬礼し、続いてほかの上官らに一回敬礼する。
(四)退出時は再び入口に立ち、敬礼してから去る。
(五)執銃のときは、室外の敬礼に準じる。

■上官が自分のいる部屋を訪れた場合

(一)もし下士官兵の居室に将校が現れたら、誰構わず最初にこれを認めた者が「敬礼」と呼び、室内にいる者は皆その場に立って敬礼する。将校の許可が下りたら、おのおのその業務に服する。
(二)すでに別の将校が部屋にいたときは、その将校より上級者が現れない限り、「敬礼」と呼ばなくてよい。
(三)就寝の許可が下りている者は「敬礼」と呼ぶことなく、そのままの姿勢で受礼者に注目し、敬意を表す。
(四)前項の者が離床しているときは敬礼する。

■上官から書類などの物品を受け取ったり、または渡したりする場合

(一)敬礼した後、上官の面前に進む。
(二)帽子を左脇にはさみ、右手もしくは両手で、これを受けたり、渡したりする。
(三)辞令や賞状などを受け取ったときは、自分の名前があるかどうか確認する。もし他人のものであったら、その旨を伝える。
(四)用件が済んだら、敬礼した後、退去する。

最敬礼(遥拝) 最敬礼(神社参拝)

第三節・最敬礼

 最敬礼は天皇陛下(ご真影)を拝したり、神社を参拝したりするときにおこなう。執銃せず、徒手に限る。

■ご真影拝賀

(一)敬礼は、ご真影奉安室の前で一回、室内に入ったら直ちに一回、ご真影から六歩手前まで進んで一回(最敬礼)、出入口に戻って一回、部屋を出てから一回、併せて五回おこなう。
(二)前項の敬礼中、最敬礼は一回のみ、そのほかは通常の敬礼とする。
(三)最敬礼はご真影に面して不動の姿勢を取り、まずご真影に注目し、次に頭を正しく上体の方向に保ったまま、徐々に体の上部を約四十五度前に傾けた後、徐々に旧姿勢に復す。

第四節・室外の敬礼(徒手の場合)

(一)室外においては挙手注目の敬礼をおこなう。ただし、挙手注目の敬礼をおこなえないときには帽子を脱ぐことなく室内一般の敬礼に準じる。
(二)挙手注目の敬礼は姿勢を正し、右手を上げ、肘を曲げて、指をそろえて帽子のひさしの右側(ひさしのない帽子にあってはその相当位置)に当て、手の平をやや前に向けて、受礼者に注目する。その際、肘はほぼ肩の高さまで上げる。
(三)傷痍疾病により右手を使用できない者は左手で敬礼する。

■行進間

(一)行進間にあっては歩きながら上官に敬礼する。
(二)もし、行進中に以下の人とすれ違うときは停止して敬礼する。皇族、軍旗、教育総監、陸軍大臣、師団長、旅団長、連隊長、大隊長、中隊長、学校ならば学校長、生徒隊長。ただし、直属上官のみであって、他隊の上官に対しては停止する必要はない(例・他大隊の大隊長、中隊長など)

■上官のもとに至る場合

(一)上官の手前約八歩のところで停止し、敬礼する。
(二)それから、上官に接近する。

■上官を追い越さなければならない場合

 任務遂行のため、急ぐときには、上官に「急ぎますから、お先に失礼します」と述べてから通り過ぎる。

■上官の引率する部隊に出会った場合

(一)部隊の最上級者に対して敬礼する。
(二)たくさんの上官がいても、いちいち敬礼しなくてもよい。

■自転車、自動車、電車、人力車、馬などに乗っている場合

(一)上官に出会ったら、乗車したまま姿勢を正し、敬礼すればよい。
(二)操縦に危険を感ずるときは、単に注目、もしくは体の上部を約十五度傾けることをもって敬礼の代わりとする。

■集団で歩いている場合

 隊伍を組まず、幾人かで歩いているときに上官と出会ったら、誰構わず最初にこれを認めた者が「敬礼」と呼び、一斉に敬礼する。

第五節・室外の敬礼(執銃の場合)

 室外で銃や槍(近衛騎兵)を持っているときは、将校に対する敬礼、下士官以下に対する敬礼、行進間の敬礼、停止間の敬礼と、それぞれ方法が異なる。

■将校に対する場合

(一)停止間において将校が来たとき、もしくは行進間においていったん停止して敬礼しなければならない上官に出会ったときは捧銃の敬礼をおこなう。
(二)捧銃の敬礼は、右手で銃を上げ、その銃を体の中央前に持ってきて銃身を後ろにし、これを垂直にする。同時に左手をもっておおむね木被の下に接して銃を握り、親指を銃床に沿って伸ばし、前腕をほとんど水平にし、両上膊は軽く体に接する。
(三)捧銃をしたら、頭を上官の方に向け、注目する。
(四)上官が自分の前を通過するときには目迎目送する(目迎目送とは、頭のみを左右それぞれ約四十五度まで動かして送り迎えし、上官が自分の前から約八歩遠ざかってから、頭を正面に戻して銃を下ろす)
(五)銃を担って行進しているときに将校と出会ったら、その上官が約八歩前に近づいたところで歩調を取り、頭をその方向に向けて注目する。上官が通り過ぎたら、頭を正面に復し、通常の歩き方に戻す。

■下士官以下に対する場合

(一)停止間において、自分より上級の者(下士官など)が来たときには不動の姿勢を取り、室内の敬礼に準じた敬礼をおこなう。
(二)執銃しているときは、室内・屋外を問わず、帽子を被ったままおこなえばよい。

■拝神、軍旗に対する場合

(一)単独で執銃行進しているときに軍旗と出会ったら、いったん停止して着剣した後、捧銃の敬礼をおこなう。
(二)乗車中などの理由により、やむを得ないときには、敬礼のため停止せず、また起立しなくてもよい。
(三)遠くに軍旗があって、たとえ自分の前を通らないとしても、その場において敬礼する。
(四)軍旗とすれ違うときには、自分より約八歩手前に近づいたところで敬礼する。

第六節・特殊な場合

■直属上官の大尉と、直接関係のない大佐が立ち話をしている場合

 直接関係のない大佐には行進間の敬礼、直属上官の大尉には停止敬礼することになっているが、階級差があるので、どちらの人物に対して先に敬礼するか迷う。そういうときにはいったん停止して、上級者の大佐にまず敬礼し、その次に直属上官の大尉に敬礼すればよい。

■至急の用務を帯びている場合

 上官に出会ったら「急用」と言って、走りながら敬礼しても差し支えない。

■両手に物品を持っている場合

 挙手の敬礼ができないので、歩調を取り、頭右の敬礼をおこなえばよい。

■入浴場で上官と出会った場合

(一)手拭いで局部を隠し、室内の敬礼をおこなう。
(二)裸なので、不動の姿勢は取らなくてもよい。

■かわやで用を足しているときに上官と出会った場合

(一)用便を済ませてから敬礼すればよい。
(二)決して慌てる必要はない。


第二章・部隊の敬礼

 以上、単独の敬礼について述べたが、次は部隊の敬礼である。軍隊では二人以上が隊伍を組めば部隊という。

■部隊を組んで行進している場合

(一)「歩調取れ」、続いて「頭右(左)」の号令を引率者がかけるので、列にある兵はその号令で受礼者に注目する。
(二)その際、引率者のみが行進間における単独の敬礼をおこなう(引率者が准士官以上であれば捧刀の敬礼)
(三)途歩(みちあし)のときは部隊の敬礼をおこなわず、引率者のみ敬礼する(天皇に対し奉るほか)
(四)また、市街地を途歩行進中であれば、速歩(はやあし)行進に復して敬礼する。

■停止している場合

 「気をつけ」、「頭右(左)」の号令の後、目迎目送する。

■演習中の場合

(一)通常、演習中には敬礼しない。
(二)敬礼するのは演習の指揮官である。

■天皇および軍旗に対する場合

(一)行進間ならば車駕の通路に正面して停止し、捧銃の敬礼(着剣)をおこない、君が代を吹奏する。
(二)前項の敬礼は、車駕が隊列より約三十歩のところにきたるとき、これをはじめ、隊列を去ること約十五歩のところに至るとき、これをやめる。
(三)軍旗に対しては、行進間ならば停止しないで「頭左(右)」の敬礼(着剣)をおこない、足曳(あしびき)を吹奏する。

■将官に対する場合

(一)「頭左(右)」の号令と同時に海ゆかばを吹奏する。
(二)吹奏は、大将三回、中将二回、少将一回だが、陸軍大臣、参謀総長、特命検閲使に対しては大将に準じて三回おこなう。

■他部隊に対する場合

(一)一方の隊は将校の引率、もう一方の隊は下士官以下の引率ならば、下士官以下の隊は部隊の敬礼をおこない、将校の隊は指揮官のみ答礼する。
(二)両部隊の指揮官が将校ならば、下級者から先に「頭左(右)」の敬礼をおこなう。

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おわりに

 ほかにも儀式における敬礼など、多々ある。詳しくは陸軍礼式令に載っているので、そちらを参照してほしい。


参考文献
『陸軍礼式令  付録』 武揚堂
陸軍 模範兵講習録』(第一巻・第二巻) 日本国防協会出版部

履歴
平成十八年二月十二日



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