人魚の肉の効用


西洋とは想像を異にする日本の人魚。アンデルセンの童話で語られる美女とはかけ離れた風貌である。

 福井県小浜市の空印寺には八百比丘尼(はっぴゃくびくに)という尼僧が命を絶った場所・入定洞(にゅうじょうどう)がある。洞穴の奥には八百比丘尼と彫られた石碑も建てられている。
 八百比丘尼は徳の高い人物として知られ、主に日本海沿岸の各地で植林や架橋などをおこなったそうである。しかし、その善行は後世、おまけとしてつけ足されたもので、彼女を有名にしているのは齢八百歳でこの世を去ったという長命伝説にある。
 各地の言い伝えはさまざまだが、ある若い少女がそれと気づかずに人魚の肉を食べてしまい、その効用で不老不死となった後、世をはばかって出家し、若狭の国に落ち着いた点は共通しているようだ。
 もし人魚の肉を手に入れる幸運に恵まれ、あなたが不老不死を願うならば、刺身にして食すといいだろう。ただし、八百比丘尼のように、不死の苦しみにたえられるかどうか、責任は一切持てないが。
 なお、八百歳まで生きたという伝説を創作の産物として扱うと(夢もへったくれもないが)、この設定には裏がある。八百比丘尼の八をアラビア数字の8とし、さらに横にすると∞(無限)になるからだ。偶然にしては出来過ぎているので間違いないだろう。

(世界無比) 千三百余年以前ノ人魚ノ実体 (正面)

(世界無比) 千三百余年以前ノ人魚ノ実体 (背面)

●人魚の伝説由来及仁徳時の結緒記

我国太古よりの伝説には人魚を食すれば千年の寿を保ち又之れを見ても若返りすると申伝へて居ります(あなたはいつ迄も若く美しいが人魚でも食べましたか又見ましたか)との俗話も有ります然し恐らく当今の人にて食したる人又見たる事ないと思ひます
此人魚は紀州高野山麓苅萱堂仁徳寺の宝物にして石童丸母公千里御前が日常傍を放さず崇拝せられたる宝物にて其昔人皇三十三代 推古天皇の御宇二十七年四月四日近江国蒲生川にて獲たるものと同寺の由緒に記されたり大正十三年四月四日迄の年数を算すれば今を去る事実に千三百四十有三年以前に獲れたる古代の宝物にして之れを拝観すれば長命にして無病息災不時の厄災を逸れ若返りする等惣ての幸福を授かる尚同寺地蔵尊は霊顕あらたかにして安産の御守り殊に子なき人は腹帯を受くば不思議にも子を授かる故に四季参拝の人は絶ゆる事なし世にも不思議なる功徳ありけると

紀州高野山麓学文路 遠照山苅萱堂仁徳寺


其昔聖徳太子仏法お広めの為め諸国御巡回遊ばされたる時近江国琵琶湖より人魚現はれ出で太子を伏し拝み願くは聖者大悲を垂れ賜ひ苦痛を助け給へと申せしに太子御憐みありて仏果を得せしめ給ひ人魚の為め御長さ三尺の千手観世音を刻み給ひて近江の国石場寺村に観音堂を御建立遊ばされ人魚は同寺第一の宝物となされけるが今より三百年以前に同寺は火災にかゝり縁起記録のみ残りて人魚は如何になりしか其行衛知れずとの事であります尚若狭国風土記によれば往年同国小浜に於て人魚を料理せるも人々其姿を見て食する者なし時に七才許りの女子ありてこれを食す然るに不思議なる哉此女子幾年たちても年老ひず八百年を経過するも若くして十五六才の如し時の帝奇異の事に思し召され禁廷に召されて古き事御尋ね有りけるに悉く記憶し居りて一々御答へせり依てかほど長寿せし故其国を若狭と名付け給へりこれは時の帝の御長寿を守らんが為めに海より上りたりしかどもあやしき魚ゆへ下賎の娘に食せられ八百比丘尼とそ申ける後に神となりそれは若狭一の宮遠敷大明神であります即ちむかしより人魚を食すれば千年の長命を保つと申しますは此記事より起りたる伝説であると思ひます兎に角不思議極まる珍物です

人 魚 保 存 研 究 会

人魚(ミイラ)写真

千三百年以前の人魚ミイラの写真

別府八幡地獄怪物館に展示されていた人魚

「日本の沖合で捕獲」
との触れ込みで欧州に紹介されたという

偽物の人魚

 猿の上半身とさけの胴を縫合した作り物だが、オランダのライデン大学にはシーボルトがわが国から持ち帰った人魚が保存されている。江戸時代、わが国では見せ物小屋で剥製の人魚が見せ物にされていて、西洋に輸出用としても作られていたので、そのどちらかをシーボルトが手に入れたのだろう。


参考文献
日本 謎の伝説 大百科』 勁文社
ほか



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