「タイ製の昆虫標本」
 わが国には生息していない虫たちが興味深い
「万国式3米用試視力表 山地医学博士 選」
 読書好きなのに、私は不思議と目がよい

 私の部屋には数々の安物が転がっている。ここはその一部を紹介するところである。ただの骨董品から用途不明の品など、いろいろあるので見ていってほしい。



■『女 その局部的研究

表紙

 世の中に存在する仕事はやりたくないものばかり……。
 ほとんどの人は自分が就いている職業に誇りを持っていない(断言)
 何となく、流されていって、毎日を過ごしているか、もしくは、「あえてだまされる」という選択肢を盲目的に選んで、自分が就いている職業に、やりがいや生きがいを見いだそうとしている。
 日々、悪戦苦闘している、ほとんどの編集者も同様であろう。不安定なやくざ商売に就いているのだから……。
 真面目な編集者であれば、学術書のようなまっとうな本の制作に携わりたいと思う。しかし、そんなまともな本を出せる出版社など限られているし、仮にそういう機会に巡り会えたとしても、会社の売上にはまず貢献しない。ちっとも売れないからだ。
 まともな本を出すには、それ以外の本でお金を稼いでくることがときに必要になる。
 手っ取り早く利益を出すにはエロ本がいい。しかし、そうはいっても、男気のある編集者があっさり降参して、単なる卑猥な本を出す気にはなれない。
 そういった考えがあったのかなかったのか、推測することしかできないのだが、この『女 その局部的研究』というエロ本は、妙に格調高く仕上がっている。
 女性の髪・ひたい・眉・目・まつげ・鼻・唇・声・耳・頸・肩・乳房・ウェスト・ヘソ・背中・手・指・爪・ヒップ・ふくらはぎ・足などの各部をクローズアップしたヌードを各ページに載せ、感心するほどの知的な解説文を添えている。
 例えば、「足」の項の文章は以下のとおり。

***



●雲から落ちた仙人

 裏町のお内儀さんが、夜、風呂へいく。
 八丈の変わり縞に金糸のしぼり。両国織の幅広をしめかけ、内股まで白粉を塗り、八文字に歩いていくのを通りの人が見て、
「あれ見ろよ、とほうもねえ白いこと。黒田さまの上屋敷のようだ」
 と、悪口をいう。
 お伴の長松、胆をつぶし、うろつく拍子に石にけつまずき、お内儀さんの裾へバッタリ。
 お内儀さん、振り返って、
「長松や、今のはなんざえ?」
 長松が、
「ハイ、あたくしがけつまずいて転びました」
 というと、お内儀さんがいった。
「オヤ、あたしゃまた、仙人かと思ったよ」

 という笑話が、安永年版の『春遊機嫌袋』にある。題は『はつ湯』というが、この笑話の仙人というのは、久米仙人が裾をはしょって大根を洗う女の白い足を見て神通力を失い、雲から降っこちた――あの仙人であることはいうまでもない。
 もちろんこの場合の足≠ェ、裾をはしょっているところから、それがいわゆる脛≠セ。けれども、俗に足≠ニいっているのをみると、それが膝≠ゥら以下をひっくるめてのことで、もっとおおざっぱに、足というと股から膝、そして脛までふくめて言う人もいる。
 しかし、そのいずれも間違いであって、足とは踝≠ゥら下の部分のみをいうのである。
 このことは、足袋を見ればわかる。つまり、足袋は足の袋なのであって、股引でもなければ脚絆≠ナもないのである。脚絆には脛衣≠ニいうレッキとした別名があることからしても脛は足ではないことがわかる。
 とはいうものの踝以下の足には、それ相応の魅力がある。その踝以下の足で浮かんでくるのは、昔、中国の女性がやっていた纏足≠ナあろう。

●なぜ足を小さくしたか?

 纏足≠ヘ、小さいときから足に袋をかぶせ、足の発達をとめて、女性が成人しても足だけは子どもみたいにしていた奇風俗である。もちろん今の中国ではもう無くなってしまうような風俗がどうして生まれたのであろうか。
 それにはいろいろの起原説があるが、つぎの性的起原説は有名である。
 纏足をするとかかとによって歩くことになる。そうなるとからだの重心を保つために、下肢腰部の筋肉を緊張させることとなり、手を振って小きざみに歩くことが必要となる。
 これが性器への肉体的変化をおこさせ、愛情行為のときにすばらしい効果をあげるという。
 もう一つは、フランスの詩人であり作家であったジャンコクトオが、その著『僕の初旅・世界一周』でも書いているような説となる。
 ――ところがシナ婦人の纏足のもとは、これとは別だ。
 首切人の人種には、苦痛のない恋愛は想像もできないひん曲げられた足は、その折れ目のところが、何時までも感じが敏感だ。ここへ、ちょっと触わられただけで、拷問の苦しみだ。他のさまざまな洗練されたものと、いっしょに失われかけている、あの人を驚ろかす奇習のこれが真の理由だ。シナが西欧の模倣をいよいよ多くするにしたがって、いよいよ多く、その神秘的な特権を失いつつある。エロティズムがヨーロッパから粗野に変じる。
 料理の秘法も、恋愛の秘術も、すべて失われ、すべて伝説化してしまう。今ではシナの若い花嫁たちは(中略)あの夫婦のいとなみを怖るるにはたりなくなった――

 たしかに、これも一面、当をえている纏足分析でおもしろい。が、それよりもぜひつけ加えておきたいのは、纏足の靴で酒を飲んだ連中があったことである。
 元の詩人・楊鉄崖。明の文人・何元朗などはその代表的人物となっている。愛らしい女の纏足の靴に酒をいれて飲む。見ようによっては衣類的節片情乱症≠ニみられるが、それはともかくとして、可愛い女の足ぐらい男心をかきたてるものもない。

●女の足は敏感である

 僕は接吻したものだ、
 彼女の華奢な足頸に。
 不自然に、彼女は暫く笑っていた。
 甲高い顫音になって散るような水晶の笑い声だった。

 可憐な足は逃げ込んだ、
 シュミイズの裾の中へと、
 「よしてようお!」
 どうやらこれで最初のぶしつけは赦されたわけ、
 笑いが罰すと見せかけた。

 わななく足から唇をはなすと見せて、
 今度はそっとこの人の瞼の上に、接吻した。
 可愛い顔をうしろへ引いて、
 「あら!、こんなこと、なおいけないわ!
 あなたっていけない方ね、
 叱っておくわ、あたしが……」
 あとは僕一切を大きな接吻にまとめあげ、
 彼女の胸ぐらへおんまけた。
 すると彼女が笑ったものだ、
 合意を告げてにこやかに……

 ランボオは『三度接吻のある喜劇』で、足の接吻をうたっている。
 ところで、足はどのような感覚帯かというと、これは乳頭などと同じように、マイネルス氏小体が分布している、いちばん多いのは足のかかとである。したがって、エロゲーネ・ツォーネとしても重要な個所である。
 足についての巷間俗説として、背の高い低いにかかわらず、またからだの太っている痩せているにかかわらず、足の小さいものは女のポイントが大きいという説がある。
 またその反対に、足が大きいという女性は、女のポイントが小さいという説である。

***

 ポルノ小説でもない限り、エロ本はビジュアルが全てであって、解説文など必要ない。全編、写真だけでいいはずだ。しかし、この本は、文章が三分の一を占めている。
 活字部分に、男性の性的欲求を満たすものは何もない。先に引用した文章のように、堅苦しくて、真面目である。正直言って、そんな目的はなかったのに、勉強になってしまう。
 私がこの本を、池袋の古本屋で見つけた際には、背表紙の題名から何かを感じた。
 『女 その局部的研究
 明らかにエロ本なのに、エロ本らしくない感じがする。
 しっかりとビニールでラッピングされているので、中身を確認することはできない。しかし、この本が醸し出しているオーラが充分過ぎるほど、私には伝わった。
「何かあるぞ、この本」
 そう思った私は、迷うことなく、二十代の女性がレジ係をしているカウンターにこの本を持っていった。
 エロ本を買っているという意識はほとんどなかったので、若い女性とのやり取りに羞恥心は覚えなかった。
 家に本を持ち帰ると、手洗いとうがいをするのももどかしく、玄関先で、エロ本を覆っているビニールを破り取った。
 絵本のようにしっかりしている装丁に手応えを感じながら、ページをめくった。
 女の裸が次々に目に飛び込んでくる。しかし、私の目はそんなものではなく、この本の三分の一を占めている、格調高い解説文にくぎづけになった。
 文章を読み進めながら、解説文を書いている川崎 拓なる人物について思いをはせる。
 何かこう、突然、暴漢から頭を殴られたような衝撃を受けた。
 笑いがとまらなかった。
「よくやった」
 と、つぶやいた。
 しかし、だんだんと悲しくもなってきた。これだけのうんちくを語れる人間が、どうしてエロ本なんかを作っているのだろうか。冒頭で述べたとおり、エロ本を作らなければやっていけない、経済的な理由があったのか。
 いざ、エロ本を作って売上を伸ばす、となったとき、適当なエロ本をこしらえるだけでよいのに、解説文を書いている川崎 拓と、この本を世に出した、三崎書房の編集者は違った。
 『女 その局部的研究』と題して、エロ本を装った、ためになる本を作ってしまった。
 この本は昭和四十三年に出版されているので、かれこれ、半世紀近く前の仕事となる。だいぶ時間がたってしまったが、今、こうして、私を喜ばせている。
 単なるエロ本であれば、私を引きつけることもなかったし、今このような文章を私が記すこともなかった。
 たとえ、本意ではないエロ本制作であっても、何かしらの抵抗を見せれば、いつか必ず、その抵抗の証しを認めてくれる人が現れる。
 私はそう信じて、日々、やりたくもない仕事に精を出し、隙を見て、自らの主張をその仕事に潜ませるべきなのではないか、と思った。

■川崎 拓『ギャンブル格言集』(東京スポーツ新聞社)のカバーに載っている川崎 拓の紹介文


編者略歴 〈川崎 拓〉

作家。拓殖大学出身。昭15年に大学相撲部から、相撲協会満州巡業に派遣され、相撲を覚えずに、麻雀、花札、サイコロのギャンブルばかり修行して帰る。これがヤミツキ、戦後は、新聞記者をしながら競輪、競馬、パチンコにセイ出し、横浜の米軍宿舎でアメリカ兵相手にポーカーでかせいでいたという逸材(?)
三十年のジャン歴を生かして、かせぎまくるので出版界では文名よりバク名の方が高し。

*藤本・注
 引用文にあるランボーの詩に誤字脱字がある。『ランボー詩集』(アルチュール・ランボー 著 堀口大学 訳/新潮社)をもとに該当部分を訂正した。

ぶつしけ → ぶしつけ
あと僕一切を → あとは僕一切を
むんまけた → おんまけた


履歴
平成二十五年五月二日



■ガイコツ弾のメンコ

ガイコツ弾に肝をつぶす支那兵
同型のメンコに比べると、ガイコツ弾の個性が突出していることが分かる

 頑強な敵兵であろうとも、ガイコツ弾を投げつけられてはたまらない。ガイコツ弾が発する瘴気によって発狂してしまう。
 明治三十七年八月二十一日、一七四高地(旅順)での戦いにおいて、ガイコツ弾ははじめて用いられている。翌年には本格的な生産が内地ではじまり、大量のガイコツ弾が大陸の戦場に運び込まれた。
 その後、第一次世界大戦が勃発するまでの間、ガイコツ弾にさしたる進歩は見られなかったが、大戦末期の大正八年、八年式ガイコツ弾と八年式ガイコツ擲弾筒がともに仮制式となり、数度の改良を経た大正十四年に制式化されている。数十メートルの飛距離にとどまっていた日露戦争型のガイコツ弾が、この新式のガイコツ弾と擲弾筒の開発を受けて、百五十メートル先にまで投擲できるようになった。
 しかし、問題もあった。八年式ガイコツ擲弾筒によって投擲される八年式ガイコツ弾は十秒間で爆発する延時信管になっていたために、擲弾筒を用いないで手投げする際には、その延時秒数の長さから敵兵に投げ返されてしまうことがあったのだ(日露戦争型ガイコツ弾の延時信管は五秒間に設定されていた)
 威力についても難点があった。日露戦争型ガイコツ弾よりも小型化しているために、発せられる瘴気の総量が三割ほど少なくなっているのである。
「一発のガイコツ弾さえあれば、ときに敵の一個中隊を足止めすることができる」
 といわれたガイコツ弾も、八年式ガイコツ弾については、飛距離が延びた分だけ威力が落ちているために、この言葉どおりにはならなかった。
 結局、ガイコツ弾が兵器としての完成を見るのは、九七式ガイコツ弾と八九式ガイコツ重擲弾筒の登場を待たねばならなかった。

引用文献
『独立ガイコツ擲弾筒隊いまだ投擲中』 藤本泰久/キジバト社

左・日露戦争型ガイコツ弾、右・八年式ガイコツ弾(藤本家蔵)
八年式ガイコツ弾は日露戦争型より小さくなり、意匠も簡略化されている

 ……と、何となく買った、戦前・戦中のメンコの中に、ガイコツ弾なる文字を見つけて卒倒した私が、その変な瘴気に当てられて、この謎の兵器の設定を作ってみた。
 こんなふざけた兵器、絶対にあり得ない。ガイコツ弾とはこれいかん。
 支那兵とおぼしき兵隊が、えらくびっくりしているが、そんなに威力あるのか、ガイコツ弾!
 ガイコツが黄色く光っているのは、ビビビビッてな具合に帯電していると理解するべきなのか。私は瘴気を発しているように解釈したが、一種の電気兵器という設定でもよかったのかもしれない(ぶっちゃけ、どっちでもいいけどね)
 それにしても、よくもまあ、こんなメンコが市場に出回ったものである。軍や警察が文句をつけなかったことが信じられない。
 戦中に田河水泡の『のらくろ』にけちがついて、連載が打ち切りになったそうだが、このメンコの方がはるかに不謹慎である(お役人さん、こっちを取り締まってよ)
 わが帝国陸軍に、ガイコツ弾ときたもんだ。わけが分からないばかりでなく、有効性も疑わしい。
 一体、どうしたら、このような兵器を思いつけるのだろう。殺人光線や地底戦車などの妄想兵器は数多くあるが、ガイコツ弾のばかっぽさに比べると、ましに思えてくる。
 できることなら、当時のメンコ絵師を呼びつけて、こう説教してやりたい。
「何だこれは。ガイコツを敵に投げつけてどうなるんだよ。チャンコロ、もとい、支那兵が『アイヤー』てな感じに驚いているが、驚かすだけなのか。驚かせた先に何があるんだ。殺傷能力はあるのか。謎過ぎて、何も分からん」
 しかし、思う存分、彼を罵倒した後に、
「これ、面白いよ。よくやった」
 と、褒めてやりたくもなる。

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平成二十四年十一月二十九日



■『慄然の書 ウィアード・テールズ傑作集

継書房『慄然の書 ウィアード・テールズ傑作集
定価八百円

 H・P・ラヴクラフトというアメリカの怪奇小説家が好きで、彼の著作物を集めている。国書刊行会『定本 ラヴクラフト全集』『真ク・リトル・リトル神話大系』、東京創元社『ラヴクラフト全集』、青心社『暗黒神話大系シリーズ クトゥルー』をはじめ、ラヴクラフト、クトゥルー、クトゥルフ、ク・リトル・リトル、ウィアード・テールズなどと名のつく本は片っ端から買っている。
 気合の入ったラヴクラフト信者がいるので、恐れ多くて、ラヴクラフティアンを自称する気はさらさらない。しかし、単純に今まで収集してきた、グッズを眺めてみると、なかなかのマニアであることは間違いない。日本で発売されたラヴクラフト関連の書物を全て持っているからだ(おおやけの刊行物。同人誌などは除く)
 さて、この『慄然の書 ウィアード・テールズ傑作集』も、そんな収集癖のある私の目に留まって、広義のラヴクラフト関連本として買ったものである(購入価格六千円)
 本書を読み終えた感想はというと、題名どおり、慄然(りつぜん)とした。ただし、本の中身に慄然(りつぜん)としたのではない。この『慄然の書 ウィアード・テールズ傑作集』を販売するに当たってのマーケティングリサーチに慄然(りつぜん)としたのである。
 巻末に載っている、荒俣 宏の解説文の一部を以下に引用しよう。

***

 この本が、いったいどういう意図で編まれたか、という話を書く必要はありません。その代わり、この本がどういうロマンスの末に生まれてきたかを記しておく必要はありそうです。ある日継書房に二冊の古めかしい洋書が持ちこまれたことが、すべての始まりでした。それはザラ紙で印刷されたかなり分厚い恐怖小説集で、どうやら一九二〇年代のはじめに怪談の本場イギリスで出版されたもののようでした。題名はそれぞれ『夜読むべからず』『夜には灯が欲しくなる』といって、なにやら意味ありげでしたがなかに収められた物語の作者はまったく無名な人ばかりで、どんな作家事典を検べても出てこない名前です。ところが物語を読んでみると、これがひどく面白い。それも、古くからある幽霊や化け物の話とはちがって、なにやら魔術小説めいたり科学小説めいたりして異様な熱気にあふれていました。そこでこの恐怖小説集をともかく実験として出版してみることになったのですが、ただし、こうした種類の本が読む人にどんな反響をひき起こし得るかを調べるために、あらかじめマーケット・リサーチを行なうという条件が付されました。方法は、『ノック』と同じように、小説集の一部を何の前触れもなしに読者に突きつけて、そのとき読者が示す反応を集計しようというのです。
 マーケット・リサーチの企画者はそこでひとつのアイデアを思いつきました。小説集のなかの一作品をばらばらにして、その部分をそれぞれ一枚ずつ葉書に書きこんで不思議なハガキ≠ニ名付けて、『幸福の手紙』とまったく同じやり方で何千人かの人びとに郵送したのです。反響は『ノック』とほとんど同じでした。震え声の電話、非難の電話が殺到し、警察にまで通報がいったということです。もしかしたら、あなたもその葉書≠フ一枚を受け取られているかもしれませんが、それはざっと次のような文面の葉書でした。


 ところでこのリサーチによって安ピカの恐怖オブジェが快い試練の代替物として機能し得ることが証明されたころ、この本に関するもうひとつのロマンスが生まれました。
 本書の原稿がすでに活字になったところで、たいへんなことが分かったのです。というのは本書が、一九二〇年代初期からおよそ三十年間にわたって、アメリカに恐怖オブジェを提供しつづけた偉大な血みどろパルプ・マガジン(ザラ紙を使った煽情小説雑誌の総称)『ウィアード・テールズ』の、日本における最初の傑作集になるべく運命づけられていたことです。『ウィアード・テールズ』誌は、H・P・ラヴクラフトやロバート・E・ハワードといったわが国でも人気の高い恐怖小説作家を生みだした雑誌で、全号合わせると約三百号に及ぶ、最も長命だったパルプ刊行物のひとつです。『ウィアード・テールズ』については、日本でも何人かの研究者がいろいろな形で紹介していますし、見本作品もいくつか訳されていましたが、オリジナル・テキストの入手難などがあって傑作集の刊行までは実現しない状況でした。そして継書房にもちこまれた二冊の洋書というのは、クリスティン・キャンベル・トムスンという女性編集者がイギリスで出版した『ウィアード・テールズ年刊傑作選』(全十二巻のなかの、第二巻と第三巻だったのです。
 そういうロマンスのなかで、本書は生まれました。古めかしい『ウィアード・テールズ』のファイルから挿絵を集めてきて、本物のアメリカの恐怖ショーが出来あがりました。
 ここに収められた物語は、古くさい怪談でも目新しい恐怖小説でもありません。ひとつのゲーム、ひとつの迷路のために設らえられた舞台です。ぼくたちはこの舞台の上で、あのミイラみたいな包帯男や国勢調査員たちと出会わなければなりません。
 あの不思議なハガキ≠フなかで、あなたがチラと垣間みた覗きカラクリの世界が、扉をあけてあなたを待っています。

***

 マーケット・リサーチと称して、不気味なはがきを何千人かの人々に送りつけて、その反応をうかがったそうである。
 本当なのだろうか。
 何千人かの人々、というからには、千人や二千人とは思えない。最低、三千人に、はがきを送ったと考えるべきである。
 上記の画像にあるようなはがきを三千通も書くとなると、相当な労力が必要になる。継書房のスタッフが総出ではがきを書いても、難しく思える。
 それに、はがき代だって、ばかにならない。『慄然の書 ウィアード・テールズ傑作集』は昭和五十年に刊行されている。当時のはがき代は一通十円である。つまり、売れるかどうか分からない、日本初のウィアード・テールズ傑作集(本書)を販売するのに、継書房は三万円の経費をかけているのだ(3000×10=30000)。ちなみに、三万円といえば、当時の高卒初任給の半額程度に当たる。
 小さな出版社の従業員数やその厳しい懐事情を考慮すると、ちょっと信じられない。
 しかし、私は、荒俣 宏お得意のエンターテインメントと解して、ささいなほらにはこだわらないこととする。三千人超は大げさな表現であったとしても、たくさんのはがきを送ったこと自体は信じているからだ。以前に『慄然の書 ウィアード・テールズ傑作集』の価格をインターネットで調べていたら、実際にこのはがきを手にした方が残した、好意的なコメントを目にしたことがある。
 わけの分からないはがきを送りつけた、荒俣 宏と継書房は褒められてもいい。後の世に語り継がれるほどのいたずらとして、楽しむことができるではないか。

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平成二十四年九月十三日



■ゆとり絵はがき


 インターネットを利用して古本屋から本を買っていると、そのうちの何店かが古書目録を送りつけてくる。デザインもへったくれもない、文字だらけのものがほとんどなので、たいして目を通さずに捨ててしまうことが多い。しかし、先月、送られてきたものの中に、珍しくいいのがあった。わらべ書房というお店が発行している『絵葉書と古写真 第一号』というカタログだ。全ページ、古写真や色彩鮮やかな絵はがきが載っていて、目録というよりもビジュアルブックのように思える。
「こりゃ、見応えがある」
 などと、独り言をつぶやきながら、ぱらぱらとページをめくっていると、妙な絵はがきが売られているのを見つけた。
 商品名「どこかのお寺の宝物絵葉書 明治〜大正初期 ¥1,050」
 店主の商品説明文は以下のとおり。

***

被写体が小さくて、仏像という以外、何が何だかよくわかりません。完全に撮影する大きさを間違えたとしか思えない一枚。

***

 的確なコメントだ。この絵はがき、突っ込みどころ満載である。
 私にも言わせてほしい。

「絵はがきにしたいくらいの仏具なんだろうが。なぜ、もっと、被写体に寄らないんだ。何が写っているのか、よく見ないと分からないじゃないか」
「女子高生に見せたら、『何これ、ちょこんと置いてあって、超かわいい』とか言われちまいそうだ。ありがたい仏具がそんな扱いでいいのか」
「こんなシュールな絵はがきをもらったら、信徒が宗旨変えしたっておかしくない」
「被写体のチョイスも間違っている。どこの寺にもありそうな仏具にしか思えない。無名の作り手の作品を、勝手に祭り上げているだけなんだろう。寺の外観とかにしといた方が無難だったんじゃないのか」
「絵はがきをこしらえた(であろう)写真屋も写真屋だ。坊主に何か言ってやれよ。明らかに変だろう」
「もしかして、この被写体よりもスペースを取っている余白は、禅における無の境地を表しているのか。深いよ、深過ぎるよ。誰も理解できねーよ」

 珍商品が放つ邪気に魅了された私は、目録が自宅に郵送されてきた翌日に、「どこかのお寺の宝物絵葉書 明治〜大正初期」を注文した。私と同じような勇者、もとい、好事家に買われていたらどうしよう、などと不安を覚えたが、無事に購入することができた。
 店主の粋な計らいによって、送料は無料だった。また、絵はがきがちょうど入る大きさのハードプラスチックケースもついていた。
 ありがたい。実にありがたい。被写体になっている仏具のありがたさ以上に……。

履歴
平成二十四年八月二十一日



■秘密の拳銃

外観上は『椿姫』の古本にしか見えないが、その中には……
ブローニングと南部十四年式が隠されている

 内部がくり貫かれている本の中に、極秘文書や拳銃などがしまってあるシチュエーションに憧れている。
 理屈抜きで格好いい。
 秘密結社から命を狙われているような気にさせてくれる。
 ところで、秘密結社といえば、私が十代の頃に取りつかれていた妄想の中に「知識の殿堂」というのがある。当ウェブサイトの題名にもなっているのだが、世界を裏から操っている謎の組織のことである。
 当時の私が記した設定書を以下に引用しよう。

***

 「知識の殿堂」とは、日露戦争前の一九〇三年に日本で創設されたと伝えられている秘密結社です。その起源は古く、思想の根底は、はるか平安時代にまでさかのぼるといわれています。結社の目的は、いまだ知られていない、あらゆる事柄を解明して、きたるべき人類の真の覚醒をうながし、最終的には世界統一共同体のようなものを作り上げることが目的だといわれています。その模範となっているのが、人類の歴史上に伝説として記されているだけの「並行世界」であり、その幻の世界を垣間見た人々が結社の会員として多数招かれており、彼らを中心に熱心な研究が進められています。
 結社の会員は科学者を中心に、政治家、画家、弁護士、医師など、さまざまな職業の人々であふれ、日本の有力者や知識人は、現在に至るまでその大半が「知識の殿堂」の会員であったといわれています。そして、現在、「知識の殿堂」は主要国(日本、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランスなど)を中心に大規模な支部を持ち、世界全体の会員は数万人を数えます。
 「知識の殿堂」に入会するには社会的地位の高い者や一流の科学者などにその資格が限られます。また、結社に関するあらゆる秘密を口外しないことが会員に課せられています。
 なお、「知識の殿堂」に関する事柄で一番知られているのが「知識の殿堂付属図書館」の存在でしょう。「知識の殿堂付属図書館」は、日本の結社本部の地下深くの広大な空間にあり、数々の貴重な書物を所蔵しています。

***

 せっくなので、この恥ずかしい妄想に乗っかることにした。「知識の殿堂」の工作員が禁断の知識に通じている私を狙っていることとしよう。私が『椿姫』の古本の中に拳銃を隠し持っている理由になる。ただし、この拳銃は応戦するときのために用いるのではなく、秘密を漏らさないようにするためにある。つまり、自決するときに使うのだ(エアソフトガンだけどね)

履歴
平成二十四年四月二十七日



■支那・江西省産イグアナ

支那・江西省産イグアナ
左・イグ子、右・イグ夫

 昔から、ホルマリン漬けの標本に憧れていて、手に入れたいと思っているのだが、なかなか、その機会がない。法律上の問題などから、ホルマリン漬けの標本が一般市場に流れないからであろう。それならば、自分でこしらえてしまえばいいじゃないか、と思って、それらしいものを作った。
 イグアナの標本である。支那の江西省で作られたイグアナ酒(瓶入り)から、漬け込まれているイグアナと液体を取り出して、コルクのふたがついているガラス瓶に入れ替えた。かれこれ、藤本家の書斎に十年くらい飾られている。
 だんだんと水分が蒸発していくので、時折、日本酒や麦焼酎を継ぎ足している。瓶についた水あかやコルクかすなどもその際に掃除している。
 イグアナ酒のイグアナだけあって、はらわたがごっそりとえぐられてしまっているところが残念ではあるが、まあまあ、ホルマリン漬けの標本に見えなくもない。
 先日、渋谷の東急ハンズに行ったら、理科コーナーの一角に、ホルマリン漬けの容器らしく思えるガラス瓶が販売されているのを目にした。このガラス瓶を買って、イグアナたちを移し替えようか迷った。しかし、ガラス瓶の値段が意外に高かったことと、まがい物はまがい物らしく、このままの状態でいいじゃないか、という気がしたので、買うのをやめた。

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平成二十四年四月十六日



■卒業記念のリボン

全長十五p

 平成二十三年三月十五日、私が通っていた中学校の近くで、画像にあるとおりの物を拾った。「ご卒業おめでとう」との文言から、卒業生が胸につけるリボンであると分かる。
 いやしくも、学業をつかさどる教育機関が、正しい日本語を知らないことに驚かされる。「ご卒業」と丁寧に表記するなら、後に続く言葉は「おめでとうございます」とするのが正解だ(「ご卒業おめでとうございます」)。もしくは、「ご」の一文字を取って、「卒業おめでとう」とでもすべきである。お祝いの言葉を丁寧に述べたいのか、上から目線で偉そうに言いたいのかが、さっぱり分からない。
 私のような頭の悪いブルーワーカーですら違和感を覚える文言である。取るに足らない間違いであるとはいえ、教師の程度がいかなるものか想像することができる。
 誰も気がつかなかったのだろうか。国語教師は何をしていたのだろうか。
 事実、私を指導した教師たちはくずばかりだった。
 私の中学生時代が思い返される。
 ある体育教師など、竹刀を片手に校門の前にでんと構えながら、風紀の取り締まりをおこなっていた。こういう手合いは、ギャグ漫画にしか登場しないものと思っていたが、意外や意外、実際にいた。この某体育教師はとにかく粗暴で、すぐに暴力を振るうやつだった。何度となく、PTAなどで問題にされる、札つきのワルだった。遅刻常習犯の私も、こいつの被害に遭っていて、投げ飛ばされたり、帽子を飛ばされたり、顎をつかまれて壁に押し当てられたり、額に強烈なデコピンを食らったり、と散々な仕打ちを受けている。
「この恨み、晴らさでおくべきか」
 いつか彼の住所を調べ上げて、お礼参りにおうかがいしようと思っている。武装は三十年式銃剣にしようか、特殊警戒棒にしようか迷っている(おい、おい)
 ほかにも、未成年の女子生徒に手を出す、変態教師がいた。私が覚えている限りでも、当時在籍していた数名の教師が、教え子と関係を持った末に結婚するという筋金入りだった。聖職者の不祥事が当たり前のように報道されている昨今ではあるが、すでに私が中学生だった頃から、そのような問題教師がいたのである。
 一番、強烈に覚えているのはこの中学校の音楽教諭(女)だ。中学三年の頃、文化祭の準備で遅くまで残っていた私が、音楽室の隣にある準備室に入ったところ、この音楽教師は何をしていたのか、下着姿で奇声を発しながら、生徒らが提出したプリントを破り捨てていた。どうやら、室内にはもう一人いるらしい気配があったが、見てはならぬものを見てしまった私は、足早にそこから立ち去った。
 本来なら、彼女の首が飛ぶような事態である。しかし、当時、友達が一人もいなかった私(今も一人もいないが)は、誰にもこのことを告げられずに今に至っている(今まさに、インターネットでばらしちゃっているけど……)
 給湯室に忍び込んで、冷蔵庫の中に入っている、もなかアイスを勝手に食べたり、図書室に所蔵されている横山光輝作『三国志』全六十巻を盗み出して、古本屋に売って小銭を稼いだり、好きだった女の子に宛てられた、陸上部のエースからのラブレターを、彼女が不在のときを見計らって、のぞき見したり(横恋慕)、大嫌いだった担任教諭に用意された給食の牛乳を二週間前の物にすり替えたり、と、なかなかの武勇伝を誇る私であっても、これだけの異常事態を目の当たりにしては、何かを語るすべを持たない。
 今頃、彼女は何をしているのだろう。とっくの昔に教師の職を辞していて、結婚しているのかもしれない。しかしながら、きっと彼女は、こんな狂態を演じたことを覚えてはいないだろう。
 さて、最後にちょっと述べておきたいことがある。
 戦前・戦中、そして、戦後しばらくの間は、恩師なる存在が社会的に認められていて、それなりの尊敬を受けていた。
 学校の先生が先生であるが故に無条件で敬意を払われるという幸福な時代があったのだ。もちろん、現代の教員に比べて、育ってきた環境や高い職業意識によって、かつての教師たちの質がよかったことは事実であろう。しかし、それを差し引いて考えたとしても、先生が先生であるが故に尊敬される時代は虚構に違いなかった。
 聖職者がかぶっている、偽りの仮面があらゆる局面において剥ぎ取られていった末に、教師など、単なる、つまらない大人にすぎないことがもはや判明している。
 前述したとおり、私が通っていた学校の教師たちの顔を思い返すと、一人として立派な人間など、いやしなかった。どいつもこいつも胸くそが悪くなるようなやつばかりだった。
 見逃せないのは、この印象はそのまま、現在の私が思い浮かべる、会社の上司・同僚・部下たちの顔と重なることである。
 ところ変われど、私を取り巻く状況にたいした違いはない。

履歴
平成二十四年三月三十日



嘔吐物緊急処理剤 ノンゲーロ

ノンゲーロ
  ラベル

 嘔吐物はおがくずをふりかけて処理するもの、と思い込んでいたが、最近は粉末状の凝固剤をまいて掃除するのが一般的なようである。
 先日、秋葉原駅近くの定食屋でとんかつ定食を食べていると、隣の席に腰かけていた子供が紙ナプキンを使って何度も口を拭っている姿が植栽越しに見えた。次から次に唾液が込み上げてきて、止まらないらしい。
(こりゃ、やるな)
 と、思って身構えたのはつかの間のこと、子供が胃の中の内容物を一挙に吐き出した。テーブル、いす、床が嘔吐物まみれになった。
 子供の親が若い女性店員を呼び止めた。
 状況を見て取った店員は厨房の方に引っ込み、程なくして清掃用具の入ったカートを押して戻ってきた。
 カートの中身は雑巾、ちり取り、モップなどといった、当たり前の得物ばかりだったが、おがくずだけが見当たらなかった。
(屋外であればいざ知らず、屋内でおがくずをまくと、かすがあちらこちらに飛び散るおそれがある。それ故、おがくずを使用しないのだろうか)
 などと思った。しかし、店員はエプロンのポケットから銀色の包みを出して封を開けると、粉粒状の内容物を嘔吐物にふりかけた。
 前々からそのような凝固剤があるとは耳にしていたが、実際に処置する場面を見るのははじめてだった。
 シュガーパウダーのような粉が米粒、小えび、のり、たくあんの切れ端とおぼしきものを覆い隠していく様子を興味深く見守った。嘔吐物がどのように固まるのか知りたかったのだ。
 店員は粉をまき終わると、カートからちり取りを取り出して手早く床を掃き清めた。どうやら凝固剤は即効性のものであるらしく、固まるまで時間を要さないようである。
 定食屋で食事をしていた客の表情に目を移すと、随分と気分を害しているようだった。しかし、私だけは好奇心の方が勝っていたので、俗にいう『もらいゲロ』によって吐き気を催すことはなかった。
 次の日の午後、昨日見た光景を職場の同僚に話すと、その彼から同様の凝固剤がこのオフィスビルにあることを教えられた。早速、私は席から立ち上がると、事務用品が詰まっている棚をあさってお目当てのものを探し当てた。
 凝固剤の袋の正面に張られている説明文を何気なく読んでいると、とてつもない違和感を覚えて目がくらんだ。どう考えても釈然としない文言が書かれていたのである。

瞬時に固めて、即脱臭・お掃除!!
不快な仕事も簡単な作業で、楽しく、気分よく処理できます。

***

●掃除の際には、サラサラとした状態で処理でき、楽しく作業していただけます。

 一体全体、どうしたことであろうか。幾ら何でも、この日本語のセンスはどうかしている。
 嘔吐物を片づけるのに「楽しく、気分よく処理できます」ときたもんだ。
 ゲロを掃除することのどこに楽しさがあって気分がよくなる要素があるのだろうか。誤訳の女王・戸田奈津子(映画字幕家)の言語センス並みの奇妙な日本語である。
 自社の商品を必死にアピールしようとするあまり、常軌を逸した文章になってしまっていることに、腹がよじれそうになるほど笑った。しかし、それだけではない。この独特の言語センスは、そもそもの商品名からもうかがえる。
 「嘔吐物緊急処理剤 ノンゲーロ」
 ノンという単語はいいとしても、ゲーロって……。
 ゲロという、とてつもなくイメージの悪い単語を堂々と採用するばかりでなく、長音符でもって「ゲーロ」と延ばしてしまうところがすごい。まるでひきがえるの鳴き声みたいだ。
 そうか、分かったぞ。きっと、ノンゲーロを作っている会社(有限会社共栄)にはひきがえるがいるのだろう。だって、霊長類では、とても思いつかないような言語感覚ではないか。
 そうして、居ても立っても居られなくなった私は、有限会社共栄の電話番号がノンゲーロの袋に記されているのを見て、ことの真偽を確かめるべく、問い合わせてみようと思った。しかし、何の予備知識もなく、あれこれ質問するのは失礼だと思い、インターネットで情報を集めた。すると、妙な事実が発覚した。残念ながら、有限会社共栄のウェブサイトは存在しなかったのだが、ノンゲーロをインターネット上で販売しているウェブサイトをのぞくと、以下のように紹介されていた。

(キレイがイチバン http://www.kirei1ban.jp/shop/products/detail.php?product_id=151
(有限会社イスパ テクノ ジャパン http://www.k4.dion.ne.jp/~e-spa/sub5.html
(西本薬品株式会社 http://www.nishimoto-med.co.jp/topics/nonge.html


掃除の際には、サラサラとした状態で処理でき楽に作業していただけます。

「何じゃこりゃ」
 と、松田優作がドラマの中で放った最期のせりふが私の口から飛び出した。
 ノンゲーロの袋に張られているシールには「楽しく作業していただけます」となっているのに、インターネット上では「楽に作業していただけます」と文言が差し替えられているのだ。
 ノンゲーロをインターネット上で扱うことにした会社の担当者が文章に手を加えたのであろうか。その彼の胸中は推し量ることしかできないが、随分なことをしてくれたもんだと思う。「楽しく作業する」のと「楽に作業する」のとでは意味が全く異なる。ノンゲーロがふりまいている怪しい魅力を半減させている。
 これは犯罪行為に等しい。ひきがえるがそのような無礼を許すなんて考えられない。
 いや、待て待て、ちょっと落ち着こう。その彼だって、単に会社に雇われているだけのオフィスワーカーに違いない。きっと、妻がいて子もあるのだろう。幸せな家庭を守るために、彼は必死に働いているのだ。非力な会社員が生き残るためには、ことなかれ主義しかない。
 戸田奈津子の言語センスに等しい、ノンゲーロの説明文を、そのままウェブサイト上に載せることなど絶対できない。ノンゲーロという商品の有用性を消費者に誤解されてしまうかもしれない。取引先のひきがえるの恨みを買って顔中をなめまわされたとしても、一般常識という非常識にはあらがえない。
 多分、この説明文改変問題を巡って人間対ひきがえるのすったもんだの言い争いがあったように思われるが、私はこれ以上、この件について触れない。歴史の闇に葬られるべき事実を詮索するような行為は、やぼというものであろう。
 私はしばらくの間、オフィスワーカーの嘆かわしい一生について思いを巡らしていたが、やがて気を取り直して、いよいよ覚悟を決めた。電話機の受話器を取って、株式会社共栄の電話番号をプッシュした。数コールの後、担当者が出た。社長本人であった。関西弁をしゃべる、気のいい大阪のおっちゃんという感じだった。
 霊長類である。こわもてのひきがえるが電話口に出たらどうしよう、などと戦々恐々としていたのが恥ずかしくなった。しかし、そうは言っても、社長本人である。失礼があってはならない。
 私は極度の緊張によって体をこわばらせながら、蛮勇を奮って種々の質問をぶつけてみた。

***

@株式会社共栄のウェブサイトは存在するのか。

「うちでは出していません」

Aノンゲーロを扱っている代理店のウェブサイトでは、商品の紹介文が変更されている。なぜか。

「理由は分かりません。うちは製造元ですが直接は販売していないんです。代理店の担当者が好きなように変えたのでしょう」

 先に私はノンゲーロの説明文を巡って激しい言い争いがあったのではないか、と心配していたが、邪推にすぎなかった。安心した。

B誰がノンゲーロと名づけたのか。

「私です」

Cノンゲーロの名前の由来は。

「特に意味はありません。ゲロに対してノンということです」

***

 私が質問を終えると、親切な社長はノンゲーロについていろいろと教えてくれた。
 以下にまとめよう。

1、発売二十年の歴史を誇る信頼の商品・ノンゲーロ
「ノンゲーロは二十年くらい前から売っています。嘔吐物を処理するのは大変ですからね。それで、この商品を作りました」

 社会貢献の観点から考えると、ノンゲーロは充分に世の中のためになっていると思う。発売二十年の歴史はだてじゃない。

2、JR西日本でシェア百パーセント
「嘔吐物処理剤は数十社から発売されていますが、JR西日本ではシェア百パーセントです。うちの会社以外、あそこには納品していませんから。ただ、JR東日本には納めていません。関東では東京メトロの一部でうちの商品が使われています」

 社長の話によると、有限会社共栄の主な取引先は鉄道会社であるらしく、JR西日本で使われている嘔吐物処理剤は、全て同社の商品だという。
 JR西日本の鉄道員であるならば誰しもが知っている商品、それがノンゲーロなのである。
 鉄道ファンならずとも広く知られるべき事実ではなかろうか。

3、ノンゲーロα
「ノロウィルスが流行しているじゃないですか。三年くらい前にノンゲーロαという商品を発売しています。通常のノンゲーロにノロウィルスの除菌剤をまぜたものです。ノンゲーロより幾分価格が高くなっていますが、よろしければお買い求めください」

 発売二十年の歴史を誇るノンゲーロは、もはや定番商品であることは疑いないが、ノロウィルスの流行を受けて、さらなる進化を遂げていた。
 その名もノンゲーロα。ギリシャ語の語感が心地よい。

***

 当初、私はノンゲーロを怪しげなもののように扱ってギャグまがいの文章を書き連ねてしまったが、実際に製造元に電話して確認すると、なかなかの商品であることが判明した。
 みなさんが勤めている事業所で、嘔吐物の処理に手を焼いているようならば、迷うことなくノンゲーロをお勧めする。征露丸、もとい、正露丸のような息の長い商品である。

履歴
平成二十三年一月二十八日



■野菜と果物

キウイ、レモン、タマネギ、リンゴ、サツマイモ、キュウリ、ジャガイモ
(全部合わせて二千円ほどで購入)

 野菜と果物、である。
 こんなものは収集する価値のない、ただの食料品に違いない。が、実はこれ、精巧に作られている食品サンプルなのだ。
 特にリンゴの出来栄えは素晴らしく、外観だけを見れば、実物であるかのような錯覚を起こしてしまう。
 つまり、このリンゴは、外側から観察している段階では「本物」だといえるのである。実際に手にして質感を確かめるなり、口に放り込んで咀嚼するなりするまで「作り物」であることは露呈しないのだ。
 では、ここで「食品サンプルのリンゴ」の隣に「本物のリンゴ」を置いたら、いかなる問題が生じるのか考えてみる。
 本物のリンゴが二個、そこにある、とはいえないだろうか。
 観察者が先に述べたような行動を起こしてリンゴの真贋を判定するまでは、眼前の物体は「確かに本物」なのである。
 「どう見たって、この二個のリンゴは本物のように見える。だから、本物だろう」
 私に限らず、これを目にした者はそう思うはずだ。
 しかし、本物と偽物の区別がつかないとするならば、外観を見ただけでは、わけの分からない何かとしてそれは存在しているといえ、二個とも本物なのかもしれないし、二個とも作り物なのかもしれない、という疑念を同時に抱く。すなわち、「本物のリンゴ」であろうが「食品サンプルのリンゴ」であろうが、外からの観察のみによって「本物」と断定することはできないのだ。が、人間が生きていく中において、対象となる物体やら現象やらの真贋をいちいち確認していたら際限がないのは分かり切っているから、結局は推量でもって「本物」か「偽物」か決めざるを得ない。
 話は変わるが、私の家に、今度の参院選のお知らせが届いている。何一つ内実を知らない私は、とどのつまり、自民党に投票することになるだろう。
 投票理由はただ一つ。リンゴの話のように上っ面を見ただけの判断でもって、自民党は多分「本物」なのだろう、と思わざるを得ないのである。
 さて、さて。

履歴
平成十九年七月十ニ日



■キャサリン(愛称・キャシー)

全長約四十三p

 類は友を呼ぶ、とは言ったものだ。知り合いにFさんという五十代の独身男性がいるのだが、私に負けず劣らずの変わり者なのである。
 この際、全長およそ四十三センチメートルのアダルトフィギアについては何も語らない。キャサリン嬢(命名者・藤本)をFさんから無償で譲ってもらったことだけを述べるにとどめる。Fさんの反社会的な志向を理解してもらう取っかかりになれば、それで充分なのである。
 私とFさんは同じ会社で働く同僚であった。はみ出し者には打ってつけ、と言わんばかりの長時間拘束・重労働(三、四日は家に帰れない)の仕事だったが、意外に楽しく毎日を過ごしていた。女っ気のない野郎だらけの環境のせいか、猥談に華を咲かす自由が許されていたからだ。
 毎晩毎晩、十数人が寝泊まりする十畳ほどのたこ部屋で、Fさんは卑猥な冗談を連発していた──中学出ばかりの肉体労働者たちのすさんだ心を慰撫するのが役目であるかのように。
 ある日のこと、こよいも一日十数時間に及ぶ仕事の労をねぎらう宴会が開かれていたが、やはりFさんが一番目立っていた。
「僕は一応、以前は世間さまから白い目で見られることのない職についていたんです。とはいっても、僕はもちろん、今と変わらず変態でした。その頃、自家用車の助手席にダッチワイフを座らせて道路を走る遊びをしていましたからね。
 車が動いているときはいいんですが、止まったときが大笑いでね、通行人があっけに取られて立ち尽くすんです。まあ、こんなことができるのは僕くらいのものでしょう。
 味を占めた僕は、今度はタクシーを拾ったときにダッチワイフを抱えて乗り込んでみたんです。愉快だったのは、運転手さんが妙に冷静だったことです。はじめはリアクションがないのでがっかりしたんですが、突然の珍客にうろたえた彼は、あまりの出来事にあぜんとしてしまって、ただただ沈黙することしかできなかったのかもしれません。何をしでかすか分からない異常者を乗せてしまったことに恐怖していたんですよ、彼は……」
 酒に酔っているFさんの冗舌はとどまるところを知らず、次の日も仕事があるというのに、結局、深夜二時過ぎまで皆で盛り上がってしまった。
「Fさんの作り話はなかなかのものだな」
 と、私は感心したのだが、後日、多数の仲間から、さらなる情報を聞くに及んで、
「えっ、まさか、あの話は本当だったのか」
 と、卒倒した。
 何でもFさんは、そのダッチワイフを職場に持ち込んで、つい最近まで一緒に寝ていたというのだ。
 さすがに驚いてしまった私は、上司に問いただしてみた。
「藤本、何そんなきょとんとした顔をしてるんだ。Fさんの有名な武勇伝じゃないか」
「しかし、曲がりなりにも株式会社のうちで、そんなばかげたことをやらかしていいんですか」
「構うこたぁない。だって、藤本よ、うちで働いているメンバーを一人一人眺めてみろよ。生まれてこの方、年金、健康保険、住民税、NHKの受信料を一度も払ったことのないつわものがいるし、ほかには風俗嬢に入れ込んだ揚げ句、うん百万円の借金を作ってしまったやつもいる。またはこじき──もとい──ホームレスだって雇っているじゃないか。こんな株式会社で、雑魚部屋にダッチワイフを持ち込むばか野郎がいたって、驚くこたぁないだろう。
 だいたい、お前なぁ、毎晩毎晩どんちゃん騒ぎして、二日酔いで仕事しているくせに、まともなことを言うなよ」
 さすがにそうまで言われてしまうと、私は押し黙るしかなかった。
 ときは流れ、私はこの会社に三年半在籍した後、転職した。それから一年くらい経った頃であろうか、衝撃的な情報が飛び込んできた。Fさんが仕事中に発狂して病院に担ぎ込まれた、というのである。
 現場に居合わせた知人の話によると、あるとき突然、Fさんがわけの分からない独り言をつぶやいたかと思うと、そのまま地面に腰を下ろして、まるで団子虫のように身を丸めて固まってしまったそうである。おかしな様子に気づいた仲間が声をかけるも、意味不明な幼児語が返ってくるばかりで、焦点の定まらない異様な目ははるか遠くを眺めていたという。
 そんなこんなで、そうして仕事を続けられなくなったFさんは、そのまま精神病院に入院することとなった。退院したのは、しばらく経ってからのことである。しかし、表向き休職扱いになっていたFさんの復職は実現しなかった。社会不適合者が集まる最低の企業ではあっても、さすがに精神病患者を再雇用することはできないと判断されてしまったからであろう。正式な解雇通知が届いたのかどうか怪しいものだが、とにかくFさんが職を失ってしまったのは事実である。
 現在、病状がだいぶ回復したFさんは、アルバルトをしながらほそぼそと生計を立てている。もちろん、病気のことは新しい勤め先には内緒にしている。
 涙ぐましいほど地面にはいつくばって頑張っているFさんだが、もとの会社の仲間はそれほど同情している様子を見せず──というより、冷淡でさえある。はじめ私は、彼らの態度に憤慨したものだが、よくよく考えてみると納得がいって怒りが収まった。しょせんはアウトローの集い、Fさんの末路は己の末路でもあるのだ。明日をも知れない日雇い労働者は、ただただ淡々と悲惨な毎日を送って、酒、煙草、賭博、売春婦で自身の不幸を慰めるしかすべはない。仮にFさんが発狂しようがしまいが、はなから彼の人生はどん底だったのである。精神に異常をきたしたことによって、哀れな最後が少し早く訪れただけにすぎない、と皆は無意識のうちに厳しい現実を受け止めているのだろう。
 私には、みんなの気持ちが痛いほど分かる。

履歴
平成十九年一月二十二日



■全裸歯ブラシ




 大人向けの桃色玩具はしゃれているアイテムが多い。卑猥なものを忌避する偽善者の方々にとっては生涯出会うことのない商品なのだろうが、この全裸歯ブラシなど、その最たる例である。
 秋葉原のアダルトショップで全裸歯ブラシを見つけたときには、私はうれしさのあまり小躍りせずにはいられなかった。帰りのJRの車中にあっても、全裸歯ブラシの入った手提げ袋を胸に抱きながら、早く使ってみたいと思っていたほどである。歯ブラシの柄の部分を裸の人体に模すとは、あっぱれではないか。
 家に着くと、食事をしたわけでもないのに、全裸歯ブラシで歯を磨いてみた。すると、ちょうど右手の親指が乳房に触れて、中指はお尻に当たった。それが楽しくて仕方なく、何かにつかれたように、しばらく笑いが止まらなかった。おかげで、私のまき散らした歯磨き粉によって洗面台が随分と汚れてしまった。
 桃色玩具は愉快なものだ、と常々思う。

履歴
平成十九年一月八日



■ガマのお財布

正面 表面 裏面
お土産物とは思えないくらい精巧
水をかいて泳いでいるしぐさが再現されている
全長およそ十三p
お尻にファスナーがある
ベルト通しつき
謎の機構である

 つくば市で売られているとおぼしき、ガマのお財布。ガマとくれば筑波山であろう。
 実際に現地で販売されているところを確認できないのは残念だが、骨董品屋さんを介してこれを手に入れられたことは幸いに思っている。藤本コレクションの中でも、五指に入るほどの珍品だからだ。
 特に驚かされるのは、ハリウッドの特殊メイクの人が真っ青になるくらいの出来映えである。お土産物の範疇を越える作り込みには脱帽するしかなかった。スピルバーグの映画に出てくるE..Tと互角に張り合える、と言っても言い過ぎにはならないだろう。
 加えて、ガマが泳いでいる姿を再現しているところなど、実に憎い。ガマが手の平を向けて、今まさに水をかき分けようとしているではないか。無頓着な消費者であれば見逃すこと必至の些細な点ではあるが、細部にこそ、作り手の魂が宿るものである──緩慢極まりないがまに動きをつけるにはどうしたらよいか、という問いに対する作者の答えが、ここにある。
 しかし、勢い余った作り手の情熱は、ときとして狂気を帯びる──まさか、ガマのお財布にベルト通しをつけてしまうとは。
 確かに、街行く人がベルトに小物入れを装着している姿を見かけはする。が、だからといって、こんな気持ちの悪いガマのお財布を身につけて外を歩くなど、想像するだけでも寒気がする。変人扱いされるのは間違いない。幾ら、ガマのお財布という冗談めかしたお土産物だとしても、これはやり過ぎである。しかし、同時に、実用性というものを完全否定した「漢向けのアイテム」として、こうして藤本コレクションの仲間入りを果たせたこともまた事実である。あまりにも世間離れした商品に私が魅了されて、骨董品屋さんで即買いしたことは述べるまでもないだろう。
 一般の規格から外れた難物には謎がつきものである。何と、このガマのお財布はフィリピン製と表記されているのだ。
 原型となるガマを日本人が製作して、それをもとに現地で複製生産し、わが国に輸出されている、と仮定したとして、さて、どうしたものか、しっくりこない。ガマのお財布は筑波山のお土産物などではなく、ご当地フィリピンのお土産物であるとも考えられるからである。
 ガマのお財布という発想を日本ならではのもの、という先入観にとらわれていると、誤りを犯すかもしれない。
 私はガマのお財布を前にして、沈思黙考するものの、いつまでも答えを導き出せずにいる。

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平成十九年一月八日



■えせ焼き物

高さ約二十五p
(価格八百円)

 リサイクルショップで手に入れた偽の焼き物。年代物の人形に見せかけるために、表面には小麦粉のような白い粉がまぶされている。よく見ると、朱色の汚し塗装まで施されていることにも気がつく。
 どこぞの国のお土産物なのかはっきりしないが、素人目にも偽物だと分かる。
 このままだと誰も買わないと思った私は、散々迷った末に購入した。
「だてと酔狂も悪くない」
 と、えせ焼き物を手にしつつ、つぶやいた私は、古物の魅力について、しばし考えた。
 本来、骨董品収集とは、富裕階層のたしなみである。しかし、私のような無産階級であっても古い物に対する憧れは強く、心意気だけは気高い貴族を演じているが故に、たとえ八百円のがらくたからでも、古きよき時代を思い描くことができる。
 有り余る財力を注ぎ込むお金持ちの収集家より、俗悪極まる安物を集めている変わり者の方が、骨董品の楽しみ方をわきまえているのかもしれない。古物をいかに捉えるかが、両者の分かれ道である。
 過去を夢想することに重きを置けば、真贋や値段はあまり関わってこないと思う。しかし、もしも私が裕福だったら、間違いなくこんな怪しい品は購入していないだろう。理屈では分かっていても、状況次第で考え方が変わってしまうのが私の弱いところである。

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平成十八年四月十日



■拾ったプリクラ

縦三p、横二p
(顔はモザイク処理してある)

 平成十八年三月初旬、池袋駅前の歩道で拾得した。強風の吹きすさぶ日だったので、飛ばされてしまったのだろう。
 普通の人ならば、道端に落ちているプリクラなど気にもしない。しかし、私にとっては格好の遊び道具になる。写真に写っている人物を推理して遊ぶのである。
 顔つきから、二人の年頃は二十代前半だと思われる。ピースサインをしている無邪気なところも加えれば、ほぼ間違いない。画像では分かりづらいが、黒のコートの女性は左側の薬指に指輪をはめている。彼氏がいる、もしくは結婚しているとするのが適当である。しかし、落ち着いた雰囲気のある、まずまずきれいな女性なので、男を寄せつけないようにするための「未婚娘の魔除け」、または単なるファッションと考えられなくもない。どちらにせよ、貞操観念がしっかりしている女性なのであろう。左手でコートの裾を閉じている。たかがプリクラ一枚を撮るにしても、はしたない姿をさらさないように気を使っている。
 しかし、部屋の中にいるのに、二人とも外套を着たままというのは品がない。室内では外套を脱ぐのが礼儀である。ただ、羽伸ばしのプライベートタイムを過ごしているので、普段の社会生活の反動とすれば理解できる。些細なマナー違反に目くじらを立てる必要もなかろう。
 灰の外套の女性は左手でピースサインをしている。大抵の人が右利きであろうから、実際に左手で同じポーズをしてみるとよい。多少なりとも違和感があるに違いない。
 まさか、プリクラを撮るのに堅苦しく構える人はいない。リラックスした中で、彼女は左手でピースサインをしている。彼女は左利きであるのかもしれない。
 性格については、俗にいう「甘えん坊」である。少し大きめの外套を着て、指をかわいらしくのぞかせている。独立独歩の志向に乏しい、他人任せのところがあるのだろう。すると、自動的に二人の位置関係も推し量れる。黒の外套の女性が主導権を握っていて、灰の外套の彼女が受け身になっているのである。わずかな差ではあるものの、写真でも黒の外套の女性が前に出て、灰の外套の彼女が後ろにいる。また、灰の外套の彼女が背の低いきゃしゃな体格であるのも、よく観察すると分かるので、生まれついての体型が個人の気質形成に多大な影響を与えていることを考えれば、これを補強する材料になるだろう。
 プライバシー保護のためにモザイク処理をしているのは致し方ないのだが、驚くべきことに、灰の外套の彼女はほとんどノーメイクである。服装もどこにでもあるようなジーンズをはいていて、おしゃれには縁遠い印象を受ける。多分、彼氏がいないのだろう。首にネックレスらしきものをつけてはいるが、焼け石に水である。
 打って変わって、黒の外套の女性は、男好みのする真っ赤な口紅を抜け目なく塗って、前髪もうまく処理している。恋愛経験がそれなりにあると見てよいだろう。写真写りの技術もなかなかのもので、自然な笑顔を取り繕っている。一方の灰の外套の彼女は、幸の薄い笑みを浮かべている。前述の位置関係のくだりに戻ると、ますますこの二人の間柄がはっきりする。

***

 何やかんやと、拾ってきたプリクラで楽しませてもらった。推論がどこまで当たっているのか自信はないが、少なくとも頭の体操にはなった。
 気がかりなのは、灰の外套の彼女を少々批判的に書いてしまったことである。しかし、そつがない女性だけが男にもてるとは限らない。不器用もときには愛される。
 お相手次第ではあるが。

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平成十八年三月二十一日



■怪紙片


 平成十八年三月十三日早朝、京浜東北線の上り電車内で発見した怪紙片。乗車口付近の広告スペース(アルミ製の枠)に挟まっていた。

「あんちゃん おじさん びんぼう こじきしても 勉強できなくても 堂々と胸はって歩けよ しかし左側の鬼なるな (以下、赤枠) 暴力団 暴走族 悪党 弱者いじめ」

 と、記してある。
 ここぞとばかり、通勤客に対して己が思想を披歴している文章である。しかし、忙しい通勤時間のさなか、誰一人目を留める者はなく、唯一私だけがあっけに取られながら、この怪紙片を回収した。
 怪紙片をこしらえた人物は一体どんな人間なのであろうか。少し考察してみよう。まず、本文に「あんちゃん」と書いてあるところから、対象者は「あんちゃん」と呼ばれる年齢層ではない。十代から二十代の青年が、自らを「あんちゃん」とは称さないからだ。また「あんちゃん」の後に「おじさん」とあるが、およそ怪文をばらまくやからは自分の属する世代を「おじさん(おばさん)」と呼ばれることを嫌って、まだまだ青臭い夢を追っている若人と思い込む虚栄心があるから、この文章を記した人物は若者気取りの中年だと思われる。まっとうに考えれば、三十代とも受け取れるが、半生を過ごした人間のつぶやきのようなものが文全体から感じ取れるので、中年とする方が納得がいく。別に、高齢者という可能性もあるものの、お出かけする場合を除けば、おしくらまんじゅう状態の通勤電車に乗車しているとは思えないので除外しても差し支えないだろう。
 「あんちゃん」「おじさん」と、男性にのみ訴えているので、作者は男性であると思われる。女文字でないことを併せて考えれば、ほぼ間違いない。
 中年男性であるとの仮定を踏まえて、次はその人物の知識水準について考えてみよう。一読して思ったのは、出来のよい文章ではない、ということである。「びんぼう」「こじき」という言葉がひらがなになっているし、「左側の鬼なるな」という箇所も、「左側の鬼になるな」というように、「に」という一文字があった方が文章がすっきりする。さらに「暴力団」「暴走族」「弱者いじめ」という言葉をまとめて一般的には「悪党」と呼ぶ。同じような意味合いの語彙が重複しているではないか。多分、満足な教育を受けている人間ではないのだろう。高卒または中卒程度の学歴だと想像される。
 文章の内容が社会的に成功した人間が訴えるものではないことから、怪紙片の作者は、うだつが上がらない肉体労働者であるように思える。結婚をしていない独り者の可能性も高く、生い立ちは不幸だったに違いない。しかし、怪紙片の作者は、たとえ世の人々に受け入れられることはなくとも、独特の正義感を有している人物ではある。気が小さいばっかりに、わずか縦十センチ、横七センチの紙切れに己が主張を書き殴ることしかできないとはいえ、
「私のような惨めな人生を送っていたとしても、暴力団、暴走族、弱い者いじめをするような連中よりはましです。どうか皆さま、ぶざまで構いませんから、道を踏み外すことなく、真っすぐに、胸を張って人生を歩みましょう」
 と、本人は至って真剣に悲痛な叫び声を上げている。

履歴
平成十八年三月十九日



■朝鮮娘

お琴大好き、許梅花

 インターネットでのお買い物。八百円で手に入れた。およそ六分の一の大きさで、許氏工房との表記がある。
 当初、チマ・チョゴリのお人形さん(野郎は除外)を三百体ほど集める野望を秘めていたが、すでにほかの収集品によって部屋が圧迫されている状況はいかんともし難く、一体のみの購入で諦めた。
 そもそも、朝鮮人形を収集しようと思い立ったのは、甲州街道沿いのある焼き肉屋さんのディスプレイに見とれたことからはじまった。ガラスケースに収まった何体ものかわいらしい朝鮮人形から、派手な色彩を好む半島文化の香りが漂ってきたのである。
「やる気のない朝鮮人商店で買ってきた安いキムチだろうが、朝鮮娘三百人に囲まれれば箸が進むこと間違いなし」
 平素から辛辣な批評で朝鮮人をやっつけている己から、そうした着想が生まれた。しかし、前述のとおり、計画は頓挫した。分不相応なたくらみとはいえ、残念である。いつしか、朝鮮人形三百体が藤本家に飾られる日はやってくるのか。もしその日が訪れたら、誰かに見せびらかして眉をひそめさせてやろう。
 なお、上掲の画像の彼女に名前をつけた。許梅花である。梅花は適当に思いついた名だが、姓の許は許氏工房から拝借した。

履歴
平成十八年一月二十六日



■てんぐのオルゴール

表面
裏面

 平成十七年十一月二十五日午後、石坂准尉の息子・明夫さんと一緒に上野駅から西日暮里駅までを散策した。途中、「EXPO」という骨董屋を教えてもらって立ち寄った。いろいろと古道具屋を訪れているがEXPOの充実した売場に圧倒された。かえるのホルマリン漬け、人体解剖模型、し尿瓶、昆虫標本、仏像、南洋の像など、垂ぜんのアイテムが目白押しだったのだ。特にてんぐのお面を見つけたときには卒倒した。想像を絶する珍品だったからである。
 お面にしては厚みがあるので妙だなと思って手に取ったのが最後、何とオルゴールになっていた。恐る恐る紫色のひもを引っ張って再生してみると「エリーゼのために」が流れた。
 空前絶後の怪現象である。なぜ、てんぐがドイツのピアノ入門曲を奏でるのか意味不明だ。深淵の闇に葬られた謎と言っても過言ではない。
 激情あらわな朱色の塗装、眉間に刻まれている深いしわ、つり上がった太い眉、見開いた恐ろしい目、いかめしい鼻、獰猛な牙がのぞく口。
 生き生きと彫刻された妖怪から、たんたんと優しい調べが演奏される。ベートーベンの苦悩など超越して、存在そのものが語りかけてくる。異空間に転送された私は、しばらく強烈な目まいに襲われた。しかし、意を決して、裏面に刻印されたメーカー名を脳裏に焼きつけた。
 PRINCE。
 少なくともてんぐである以上、国産品の可能性が高い。そこそこ年代物だと思われるので、支那製ではないと思われる。
 果たして、PRINCEという会社は今もあるのだろうか。奇怪な和洋折衷の謎が知りたい。

履歴
平成十七年十一月二十六日



■古銭


 JR東川口駅近くで見つけた古銭。大きいのが天保通宝、小さな二枚が寛永通宝である。江戸時代の貨幣だが、数百円程度の価値しかない。
 小学生の頃、昔のお金や白磁の破片が出てくる荒れた畑があって、クラスで話題になった。興味を持った私はクラスメートを集めて、有志の発掘隊を結成した。スーパーバイザーとして第一発見者も三顧の礼で迎えた。しかし、私のやる気とは裏腹に隊員の遠足気分が問題だった。木の棒で地中を探っている有様なのだ。
 装備の拡充に努めなければ、見つけられるはずがなかった。そのうち無力感に打ちのめされた隊員はスコップやつるはしを携行するようになった。地主に見つからないようにするための隠密作業計画が昼休みの議題にさえなった。ようやく、皆が重い腰を上げた。
 およそ二週間の奮闘の後、古銭発見の朗報が現場を駆け巡った。場所は農家の小屋の脇にある土まんじゅうである。すぐ近くに「不審者出没、注意」の看板が設置されていたのが盲点になった。意識してその辺りの発掘を避けていたのである。
 古銭を手にしたわれわれは、ハワード・カーターがツタンカーメン王の墳墓を発見したときのような感涙にむせんだ。ことのほか喜んだのは私である。たとえごみのような値段で取り引きされている古銭だとしても、宝探しの冒険を成し遂げたのだ。
 燦然と輝く少年時代の思い出である。

***

(天保通宝)

 江戸時代末期の天保六年から鋳造された貨幣。百文銭。
 陸軍大学卒業記念章も「天保銭」と呼ばれる。形が似ているからである。

(寛永通宝)

 寛永十三年から江戸幕府が鋳造した貨幣。渡来銭を撲滅して通貨の統一を目指した。
 画像右上が四文銭、右下が一文銭。

履歴
平成十七年十一月二十一日



■埴輪と土偶


 埼玉県立博物館で購入した埴輪と土偶。
 埴輪は人間の頭部大、土偶二体が四十センチメートルくらいの大きさで、博物館に飾られていた本物とほとんど相違ない出来である。一体一万円もしなかった値段の割にはなかなかの一品といえる。ただ、私のような人間以外、買う人がいないのか、売店で埴輪と土偶が売れている様子は全く見受けられなかった。
 実際、購入者が珍しいのか、売店のおばちゃんは勘違いして、こう私に言っている。
「大学院のお使いですか。教授によろしく言っといてくださいね」
 多趣味であることを説明するのが面倒だったので、そのまま適当にうなずいていたら「親切でおせっかいで早合点なおばちゃん」はアンデス民芸品の書籍と、螺伝細工や戦国時代の甲冑などが載った美術本をただで私にくれた。



■骸骨の置物


 知人の誕生日祝いに、嫌がらせと冗談のつもりで購入した二体のうちの片方。知り合いには色違いの青を贈って、黒は上の画像のとおり、私の物とした。
 量産品にしては型抜きがはっきりしていて、単一の黒色塗装も悪くなく気に入っているのだが、プレゼントした相手は、
「俺と藤本君でおそろいかよ。悪ふざけが過ぎるな、こんな不気味な物を」
 と、評判は最悪だった。

***

(補)

「骸骨さまをインテリアにしたいのですが、どこの店に行けば買えますか」
 と、中年の男性から当ウェブサイトにメールで問い合わせがあった。しかし、つぶれてしまった店から手に入れた物なので取り寄せられなかった。致し方なく、
「よろしければ、私のを譲りましょう。言い値で結構です」
 と、返信した。すると、金一万円という高値を提示されて驚いてしまった。金に汚い私もさすがに気が引けた。
「半額の五千円で勘弁してください」
 と、遠慮した。
 物はゆうぱっくで送ってもよかったが、会うことにした。当日は上野駅で待ち合わせて、買い物ついでに埼玉から出てきた。骸骨の置物を手渡した後、
「お若いので驚きました。あなたのウェブサイトの文章を読むと、年のいった方だと思っていました」
 と、はじめて会う人から、そう評された。
 今までにも、
「藤本君は年寄り臭い文章が好きだね」
 と、知り合いから言われていたので、ますます納得した。



■松ぼっくり、どんぐり


 さいたま市のリサイクルセンターで日雇いの仕事をしたときの入手物。
 一応、勤務時間は朝八時から夕方五時までなのだが、午前十時には車整理の仕事が終了してしまったので午後いっぱいを使って、のんびり拾ったのである。契約時間厳守というわけの分からない社則によって仕方なく現地待機をしていなければならず、人っ子一人いない敷地を意味もなく走ったり、流行歌を歌ったりと、時間つぶしに苦労した日であった。
 当日は机や縫いぐるみなどの廃品を無料で地元住民に配る催しが開かれていた。しかし、物さえもらえば用はない。想像力の乏しい市職員の考えた展示物などに住民は目もくれずに、そそくさと帰ってしまった。見かねた職員も早々と帰宅してしまうか、建物の中に閉じこもってしまう。残されたのは私だけである。実に寂しかった。
 帰りのバスの車中、松ぼっくりとどんぐりを手で転がしていた私は、記念に取っておこうと何となく思ったのだった。



■アルマジロの剥製

後になってから気がついたのだが、本当はセンザンコウの剥製とのこと

 近所の骨董屋で買った物。同じ値段のサンタマリア号(帆船)にしようか迷ったが、こいつの顔が私の家で暮らしたいと訴えていたので連れて帰ってやることにした。後日、店に行ったら、サンタマリア号は売れてしまっていて、
「やはりあのとき、買っていれば」
 と、悔やんだ思い出がある。故にこいつの責任は重大で、存分に観賞用として私を楽しませてくれなければならないはずなのだが、とんでもない事態を引き起こしてくれた。
 ある休日の朝、昼過ぎまでゆっくり眠っていた私は睡眠時間が多すぎたためか、頭がどうにも重く、気分が優れなかった。
 冷たい水でも飲めば脳がはっきりするかと思って、寝台から起き上がって台所の方に千鳥足で歩いていった。
 そのときである。右足の土踏まずに強烈な痛みを感じたのは。
 眉間にしわが寄っているのを意識しながら、苦悶の面持ちで右足に目をやると、真っ赤な血が流れ出ていた。かなりの深手である。
 こぼれ出る血を手で押さえながら、何を踏みつけてしまったのか確認してみると、アルマジロだったとは思いもしなかった。まして背中のうろこが意外ととがっているなどとは知りたくもないことだった。
 とにもかくにも、早く医者に行かなければならない状況である。私は血だらけの右手で電話の受話器をつかんだ。
「車の手配頼む。早く来てくれ」
 そうして、数軒先に住まう知り合いの協力で病院に連れてこられた私は、外科医と向き合うこととなった。深手と思っていた割には、家を出る前に巻いてもらった包帯を取ってみると、完全ではないものの、血が止まっていた。
 負傷の程度が軽いので少々騒ぎ過ぎてしまった、と恥ずかしながら医師に顔を向けると、
「どうなさってけがを」
 と、彼が質問してきた。しかし、非常に答えづらい、とどめのせりふに違いなかった。
 まさか「アルマジロの鋭利なうろこで負傷しました」とは、普通ならあり得ないことなので話すことに戸惑いを覚える。だから、絶対に恥をかくまいと、思いついたことを適当に述べたのだった。しかし、そのとき、何てことを言ってしまったのか、と後悔の念に打ちのめされた。
 私はこう言ったのである。
「妹とやり合いまして、そのときに階段の角で切ったようです」
 二十歳過ぎたいい大人が、恥ずかしさのあまり混乱していたとはいえ、その発想力はひどいと言わざるを得ない。正直に話した方がましだったかもしれない。
「けんかしないで兄妹仲よくね」
 あきれ顔で吐き捨てるように医師はそう言うと、私の右足をぞんざいにつかんで、消毒液の染み込んだ綿を傷口に押し当てた。
 漢らしく悲鳴こそ上げなかったものの、顔は恥辱のあまり、耳まで真っ赤になってしまった。なお悪いことに、医師の傍らに控えている無愛想な中年看護婦の冷たいまなざしが診察室の空気をさらに重くしていたのが居たたまれなかった。

***

(教訓)

 書籍やがらくたで部屋が埋め尽くされているのを免罪符に、台所などの生活利用空間に鳥獣系の剥製を放置しておくべきでない。ニスで硬化したうろこなどによって負傷すること必至だからである。ただし、その苦い教訓は私のような収集家にしか当てはまらないことではあるが。



■福助


 埼玉県鳩ヶ谷市の骨董品店で発見。八千円という主人の言い値をはねつけて値切りに値切った末、三千円で手に入れた物である。
 主人が言うには、この福助は二万五千円くらいの価値があるという。もちろん、全国の骨董屋の店主に虚言癖があることを私は知っている。うさんくさい親父の言葉など、これっぽっちも信用していない。しかし、背中に硬貨投入口がある現代の貯金箱型ではなく、明治か大正頃の物と思われるので、一応の価値が認められることは事実だろう。だから、主人がはじめに吹っかけてきた値段が割と適正価格なのかもしれない。
 ところで、主人は実に気持ちのよい親父だった。たとえ、客がめったに訪れず、周りの商店街の混雑とは裏腹に、骨董店お決まりの閑散とした雰囲気が店内を覆っていたとしても、ここの主人が発する魅力だけはどうしても隠し切れるものではなかった。多分、年金暮らしの道楽者で、金もうけなどに興味がなく、古くからの近隣住民と仲よくやっている人物であることが容易に想像できた。
 私のような青年がはじめて店にやってきたのをよほど奇異に思ったのか、
「おやっ、珍しい。随分と若いお客さんじゃないか」
 と、開口一番、驚きの声を上げて、顔に笑みをたたえたときから、主人の人間性をそれ以上説明する必要はないだろう。しかし、あえて言わせてもらえば、わざと古くさく加工した俗悪な台湾製の仏像を手に取ったり、束になった明治時代の手紙を私が読みふけったりしている傍らで、優しさと好奇心をたっぷり含んだ大きな瞳を若年客に向けていたことだけつけ加えておこうか。
「割るんじゃないぞ。気をつけてな」
 帰り際、手提げ袋に入った福助を心配してくれた主人が、わざわざ店の前まで出て見送ってくれた。
「親父さん、大丈夫だよ。俺はそんなにうかつじゃない」
 私はそう言うと、自転車にまたがってペダルを勢いよくこぎ出した。後ろを振り返ると、主人は名残惜しいような感じで手を振っていた。
「また来いよ」
 主人は大きな声で私に言った後、店の中に戻っていった。そのときちょうど、お隣の八百屋のおばちゃんが主人を訪ねてきて、何やら話をはじめたようだった。
 私はそこまで確認すると、高く傾斜した帰路の坂道攻略に専念した。



■素描用の木製人形


「わが根城、偏奇館にようこそ」
 と、今にも語りかけてきそうな人形である。私はこいつの姿を見るたびに、昭和初期に流行したエロ・グロ・ナンセンスの臭気を嗅ぎ取ってしまう。不健康な猟奇的印象は幾多の変態作家や漫画絵師の作品によって、私の中に刷り込まれている。
 私は猟奇的な小説や絵などは大嫌いだ。理由は多々あるものの、一番は祖国の軍隊をおとしめている点にある。
 ある漫画では盛んに日本刀を振り回す、考証もいいかげんな憲兵らしき人物が出てきて、文章に書き表すのもはばかる噴飯ものの痴態を演じている。
 うじ虫やハエで着飾ったふん尿まみれの筋立てのない話は不愉快である。エロ・グロ・ナンセンスの三大要素の一つが「無意味」なのだから、意味のない物語が延々と展開して、汚物に覆い尽くされた嫌らしい描写もこれまた延々と続く。
 表現の自由は許されている。作家が何を描こうが勝手である。しかし、個人的な妄想世界で国軍を登場させて、愚弄するとは許し難い。
 当人は意識していないのかもしれない。あくまで趣味趣向として表現しているのにすぎないのだろう。しかし、多くの人を間違いなく不快にさせている。時代が時代なら、逮捕されてしまう犯罪行為である、と声を大にして言いたい。
「やっぱり日本軍は残酷で野蛮な軍隊だったのか」
 と、先入観で誤解して受け止めてしまう無知な人がいることを見逃してはならない。日本国民にとって大きな被害である。たかが漫画、極少数の人たちに向けた作品とうっちゃっておくのは簡単だが、マニアックな分野からも言われなき攻撃を被る日本軍というひずみが浮き彫りになってくるではないか。大問題である。
 世界に誇る優秀な軍隊だったわが軍が、たった一度の敗戦で変態漫画にまで取り上げられて、落ちぶれてしまうとは悲しいものである。是正したいと思っているのは私だけなのだろうか。
 話はそれるが、いつか自衛隊が昇格して、戦前の良識ある世界戦略を持った栄えある「軍隊」になってもらう日が訪れることを切に願いたい。また、一般の人々に、エロ・グロ・ナンセンスの変態人間と、純粋な愛国者の区別がつくようにしたいとも思っている。みな同じように捉えられてしまうことが残念でならないのだ。一見すると確かに似ているが、厳密に線引きできるほど、両者の違いは明白なのである。 

***

 ちなみに、この人形は絵の勉強をしていたときに購入した物である。ある程度、絵を勉強したものの、私に向かないことを当時思い知った。せっかちな私はいきなり巨匠のように描けないと納得しないからである。



■摂氏寒暖計


 山口県下関測候所の改築記念として配られた日本計器製造株式会社製の寒暖計。近所の骨董店にほったらかしにされていたのを見かねた末、購入した。
 画像を見てもらえば分かるが、寒暖計の針は振り切れている。故障品に酔狂で金を出せる私は、よほどの物好きである。
 この寒暖計を手にすると、以前の所有者はどんな人で、どんな思い出があるのだろう、との想像が膨らむ。もしかしたら、押し入れの隅に長年放置されていただけかもしれない。仮にそうだったとしても、藤本家にやってきた段階で「彼」はようやく役に立つ機会に恵まれたのである。
 価値のない物に価値を見いだしてやる独り遊びを私は愛してやまない。



■バリ島の小像


 バリ島で売られているとおぼしき小像。浦和の何でも屋さんで一体二百円くらいで購入した。箱書きは現地語と英語だった記憶があるが定かではない。
 バリ島の土産物なので、当然バリ島の人が作っている、と思うかもしれない。しかし、小像の裏を見てみると、支那製と英文表記されている。
 びっくりだ。
 つくづく支那人の商魂のたくましさに圧倒される。世界経済が発達した結果、まさか南洋のお土産にまで支那製品が流通していようとは。多分、現地に住む華僑が関係しているのだろう。
 海外に移住した支那人の地球的つながりは驚異だ。統計上、世界人口の五人に一人が支那人だという。一見すると、この弾き出された数字にさしたるものはない。しかし、バリ島の観光事業という商売にまで支那人が関係しているとすると、この数字は生きたものとして急に現実味を帯びてくる。
 圧倒的な人口と経済力によって支那が世界に覇を唱える日はやってくるのだろうか。
 否。
 あり得ないと思われる。支那の政治や大陸的国民性が足かせになっているからだ。



■ちび酒


 高さ十センチメートル前後のちび酒。ほとんどが外国製である。池袋の輸入雑貨店に訪れては何本も買っている。画像はその一部である。
 一番気に入っているのは真ん中に写っている二本で、左側が「神風」、右側が「Uボート」。妙な日独同盟である。はじめて見たとき、しばらく笑いが止まらなかった。あまりにもおかしいので、店にあるだけ買い占めてやろうかと思った。
 平安の昔、清少納言が「小さきものはみなうつくし」と随筆の中で述べている。みやびな世界に近づけようとする強引なこじつけだが、ちび酒を同じようにめでている。
 小さなものは本当にかわいい。ちび酒とは関係ないのに、近所の食料品店で、ちびマヨネーズ、ちびソース、ちびしょうゆを買ってしまった。もう何年もわが家に飾られている。賞味期限はとうに切れているので、調味料の役目を果たすことはできないが。



■東南アジアのお面


 突然開店し、突然閉店した近所の古道具屋さんで購入した物。価格は両方で千六百円だったと記憶している。
 この店ではいろいろなお面を扱っていたが、いきなりつぶれてしまったので、手に入れられたのは上の写真にある二点のみである。能面やベネツィアの祭りの仮面など品ぞろえがよかったので残念に思う。
「えっ、すごい物を買いますね」
 お面を買うとき、レジスター係のお姉さんは目を丸くしていた。開店早々のこと、雇われたばかりの無経験な女の子には骨董品やがらくたを買っていく年齢層を年寄りであると決めつけていたためだろう。
「シャネルやグッチ、それにヘルペス、失敬、エルメスだっけ、俺は思うけど、そっちのばか高い詐欺商品を喜んで買ってしまう女性こそ信じられないがね」
 そう言ってやろうかと、お姉さんがしているそれらしい腕時計を見て一瞬思った。しかし、口元を軽くゆがめるだけで勘弁してやった。やがて、彼女の戸惑いは女性らしい好奇心に満たされていくのが分かったからだ。
「袋、二重にしておきましたから」
 男を値踏みする女のまなざしを向けるレジスター係は、うかつにも私と目が合ってしまって、急に恥ずかしくなったらしい。上目づかいに私を見つめながら、彼女は取り繕うようにそう言った。見れば、何がうれしいのか、彼女は明らかに営業スマイルではなく、子供のようなすがすがしい笑みを浮かべていた。袋を持つ手も小刻みに震えている。勘弁してほしいと思った。
「お客さまは近所にお住いですか」
 それみたことか、やはり彼女は話しかけてきた。女と話をすると長くなる傾向があるのは世の男性諸君なら分かると思う。しかも、客がまばらな古道具屋さんである。彼女は死ぬほど暇を持て余していて、誰でも構わないから話し相手が欲しいのだ。こちらから打ち切らなければ、会話は延々と続きそうな気配である。
「そうですよ、また来ます」
 ぞんざいに言うと、足早に店を出た。振り返ることをしなかったので、彼女の反応は分からない。多分、失礼なやつだと思ったことだろう。
 その後、私は数回、店を訪れている。しかし、あのお姉さんと会うことは一度もなかった。そして、ある日のこと、唐突に古道具屋さんは店を閉めていた。



■聴診器


 ふと、自分の心臓の音が聴きたいと思って買った物。価格は五千円くらいだった。安物のせいかイヤホンがきつく、少しつけているだけで耳が痛くなる。
 心音を聴くというのは恐い。自分が生きているという実感より、
「この音が止まったら、俺は死ぬんだな」
 という考えにとらわれてしまう。何度聴いてみても、恐怖心を拭い去ることができない。医師はいつも心音を聴いていて、よく平気なものだ。感心する。
 臆病者なので死に関する想像をしたくない。自分は機械である、電気を食べて生きている、死にはしない、などと荒唐無稽な妄想世界に逃げ込みたくなる。しかし、矛盾していることに、歴史に刻まれた幾多の先人たちの死にざまを学んでいるうちに明鏡止水の境地で人生の最後を迎えたいとも思っている。



■裸身像

自主規制

 知人に土下座して特別価格一万円で譲ってもらった約四分の一サイズの裸身像。
 誇り高い私も、素晴らしい完成度に圧倒されて、頭を下げずにはいられなかった。人形の髪の毛には洗髪粉の香りがつけられているし、女性の大切な部分も完全再現されているのである。
 大人用の男性向け桃色玩具は誰も評価しないし、表に出てくることもない。ひっそりと野郎が楽しむ孤独な遊びである。
 だからこそ愉快だ。
 私はたまに保存箱から裸身像を取り出して眺めることがある。知り合いがわが家を訪れることがあれば、
「今から取っておきの物を見せてやる。期待していいぞ」
 と、ちょっとした娯楽を客に提供してやっている。
 男同士で黄色い歯を見せ合いながら、
「おおっ、すごい。一体どこで手に入れたんですか。自分も欲しいですよ。ねぇ、藤本さん。教えてくださいよ」
 などと、明け方まで盛り上がる夜は、酒と煙草にうまいつまみがあれば、なお楽しい。
 下劣な話をするのは男の特権なのかもしれない。女には猥談を避けなければならない慎みが課せられている。
 男として生まれた以上は、女性の前ではお澄ましを決め込んで、裏では卑猥なしゃれに磨きをかけたいものである。



■化石標本


 東急ハンズで買った物。三千円くらいだった。
 ばらで購入すると、三葉虫のような安い化石も割高になるので、お得な標本セットはありがたい。それに、時代ごとに化石が並べられているのも勉強になる。お金を払った分の見返りは充分ある。



■インド圏のポスター


 川口駅近辺に一時期出没していた謎のイスラエル人露天商から百円で買ったポスター。どうやらインド製らしい。
 私はちっとも欲しくなかったのに、彼は灰色の目を輝かせながら、
「特別に百円で売って上げましょう。あなたは僕に銀色の玉をくれたよい人だから」
 と、聞きづらい英語で一方的にまくし立てるので、仕方なく買ってやったのだ。ちなみに銀色の玉というのは、彼が駅前のパチンコ店に興味を持ったのはいいが勝手が分からずにいたので、それを見かねた私が店内に堂々と踏み込んで数個拾ってきてやったものである。
 彼はことのほか喜んで、
「僕は知っていますよ。本当は日本のお金なんでしょう。ありがとう」
 と、固い握手を求めてきた。私は苦虫をかみつぶす思いで彼の手を握ったが、興味本位で外人に絡むのではなかったと後悔した。しかし、後の祭りだった。彼は私を友達だと認めたらしく、一方的に自分のことを語りはじめたのである。イスラエルでは戦争状態が続いていて悲しいとか、自分の恋人はブラジル娘なんだとか、知りたくもないことを嫌になるほど聞かされた。中学英語ですら悲鳴を上げている私は、彼の言葉を理解するのに四苦八苦だった。しかし、私が爆発寸前となったところで彼も状況をのみ込んだらしい。普段売っている偽物の貴金属ではなく、このインドのポスターをもったいぶって革の鞄から取り出すと、私に差し出したのである。
 手切れ金だとばかりに百円を払った。彼は満足したようにうなずくと、
「今度はいつ会えますか」
 と、言った。
「絶対会うことはないよ」
 日本語ではっきり言ってやった。もちろん、彼は言葉が分からず、私の立ち去る姿を笑顔で見送るのみである。
「ああ、疲れた」
 肩で大きく息をすると、そそくさと駅方向に歩を進めた。



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