自己紹介(平成二十四年度版)

 何だかんだで、当ウェブサイトを公開してから七年の月日がたちました。当初、二十代だった私も年を取り、もう三十代の半ばになってしまいました。
 新旧のコンテンツが混在しているので、書いた文章の年代が異なります。一番古いのが十八歳のときに書いた短編小説、最近のものだと「文書」というコンテンツの中の『たわいない会話集』などになります(更新履歴が記されていない文章のほとんどが十代後半から二十五歳くらいまでの作です)
 この七年間、ミクシィやらツイッターやらフェイスブックやら、いろんなものが出てきましたが、何も取り入れませんでした。ホームページ・ビルダーを使って原始的なウェブサイトを作るだけで充分、と思っていました。怠け者なので、更新も気が向いたときにしかしませんでした。
 でも、どうでもいいことなのかもしれません。宣伝らしい宣伝をしていないばかりか、しゃれたデザインにも背を向けた、ほぼ十年くらい前のテクノロジーで作られているウェブサイトですし。
 ウェブサイトを誰かに見せたい、という気持ちはもちろんあります。しかし、正直言って、私が私に向けて書いている日記のようなウェブサイト、というのが当ウェブサイトの現実の姿です。
 それ故、そもそもの題名からして、わけが分かりません。「知識の殿堂」ですからね。なぜ、そんなタイトルになったのか説明しますと、「知識の殿堂」なる秘密結社があって、この世の中を背後から操っている、という設定を十代の頃に思いついて以来、その妄想をずっと引きずっているからなんです。
 当時書いた設定書を以下に引用しましょう。

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 「知識の殿堂」とは、日露戦争前の一九〇三年に日本で創設されたと伝えられている秘密結社です。その起源は古く、思想の根底は、はるか平安時代にまでさかのぼるといわれています。結社の目的は、いまだ知られていない、あらゆる事柄を解明して、きたるべき人類の真の覚醒をうながし、最終的には世界統一共同体のようなものを作り上げることが目的だといわれています。その模範となっているのが、人類の歴史上に伝説として記されているだけの「並行世界」であり、その幻の世界を垣間見た人々が結社の会員として多数招かれており、彼らを中心に熱心な研究が進められています。
 結社の会員は科学者を中心に、政治家、画家、弁護士、医師など、さまざまな職業の人々であふれ、日本の有力者や知識人は、現在に至るまでその大半が「知識の殿堂」の会員であったといわれています。そして、現在、「知識の殿堂」は主要国(日本、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランスなど)を中心に大規模な支部を持ち、世界全体の会員は数万人を数えます。
 「知識の殿堂」に入会するには社会的地位の高い者や一流の科学者などにその資格が限られます。また、結社に関するあらゆる秘密を口外しないことが会員に課せられています。
 なお、「知識の殿堂」に関する事柄で一番知られているのが「知識の殿堂付属図書館」の存在でしょう。「知識の殿堂付属図書館」は、日本の結社本部の地下深くの広大な空間にあり、数々の貴重な書物を所蔵しています。

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 黒歴史ここにあり、です。穴があったら入りたいくらい恥ずかしいです。中二病なんて言葉がない頃の中二病患者でした、私は。
 つまり、私は最初、この「知識の殿堂」なる秘密結社をもとにしたオカルトサイトを作ろうと思っていたのです。しかし、作っているうちに飽きてしまって、そのまま放置した後、当ウェブサイトのメインコンテンツである『石坂准尉の八年戦争』の制作をはじめました。そして、平成十七年、当初のオカルト路線とは異なる、ミリタリー風味のウェブサイトが誕生した、というわけです。
 しかし、題名は「知識の殿堂」のままです。前述した設定書を読んでもらわない限り、このタイトルでは別の意味が生じてしまうため、インデックスに以下のようなお断りを入れました。

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野老のような野郎による夜郎自大なタイトルで申し訳ございません
当ウェブサイトは「知識の殿堂」どころか「無知の殿堂」です

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 正確な説明ではないのですが、「知識」の「殿堂」ではないことを非難されるよりはましだろう、と思って、掲示してあります。今後もこの文言を変えるつもりはありません。今、この文章を目にしている何人かの人が真相を知ってもらえたらそれで充分です。
 さて、自己紹介と言いながら、当ウェブサイトの成り立ちばかり述べてしまったので、そろそろ私のことを話しましょう。端的に私を三言で言い表せ、と問われたら、以下のように答えます。
 アニメ、軍隊、鳩。
 以上。
 当ウェブサイトではアニメコンテンツを扱っていないので意外に思われるかもしれませんが、私は真性のオタクです。ファーストガンダムの洗礼を受けている最後の世代なので、アニメに対する思い入れは相当強いです。特にリアルロボット物が好きです。ガンダム、マクロス、ボトムズの三本柱を軸にして、大抵の作品は見ています。話が通じないことはないかと思われます(『蒼き狼たちの伝説X』ですら、BL作品としてではなく、リアルロボット物として捉えているくらい、守備範囲は広いです)。ただし、アニメファンであるとはいえ、十代後半から二十代前半くらいまでは、変に突っ張っていて、美少女がたくさん出てくる作品を徹底的に嫌っていました。この時期は漫画も読まず、ゲーム(エロゲーは除く)もやらず、アニメも小難しい部類に入る、押井 守の作品くらいしか見ませんでした。もっと素直になっていろんな作品を見ればよかったのに、若さ故の反抗から、なかなか卒業することができませんでした。当時、「コミケに行こう」と知り合いから誘われても、「どうせ、エロ漫画のお祭りだろ。興味ない」などと言って、絶対に行きませんでした。でも、毎日のように秋葉原に通っては、エロゲーやエロ同人誌を買い込んでいたんですけどね。自己矛盾もいいところです(十四歳からこの年まで、さまざまなエロゲーをプレイしてきましたが、一番好きな作品は『嬌烙の館』。元長柾木の最高傑作だと思っています。しかし、知名度が信じられないくらい低い。絵やゲームシステムなど、確かにいまいちなところはありますけど、あれを超える哲学的なエロゲーは今後も作られることはないと思います)
 しかしながら、人間年を取ると成長します。懐が深くなります。あれほど毛嫌いしていた、女の子だらけのハーレムアニメ、今では大好きです。年々、深夜放送のアニメを見る時間が増えています。一晩中、アニメを見ていて、徹夜で出勤、仕事に励む、という日が結構あります。
 三十代にもなって深夜アニメを見ているような大人って、確実にとんがっているので、どうしてもそういった一端が顔をのぞかせてしまうらしく、会社では異端児扱いされています。でも、職務遂行能力はそこそこある方なので、使いづらいけど使い道はあるやつ、という評価をされているようです。
 とは言っても、あくまで一般人から見た藤本像なので、私がオタクの類型から外れているかというとそうでもないです。『究極超人あ〜る』、『おたくのビデオ』、『こみっくパーティー』、『NHKにようこそ!』、『げんしけん』、『ドージンワーク』、『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』などの、オタクの実態を描いた作品に登場する、いずれかのキャラクターに似ていると思います。つまり、どこにでもいるオタク、というわけです。
 次は軍隊です。私が軍隊に興味を覚えたのは、幼稚園児の頃です。当時、はやっていたガンプラ作りに物足りなさを感じて手を出したのが、田宮模型から発売されていたミリタリーミニチュアズという戦争物のプラモデルシリーズでした。今でも覚えていますが、一番はじめに作ったのが「ドイツ歩兵『突撃』セット」という、兵隊人形が八体入ったプラモデルです。その頃は満足に組み上げることも、塗装することもできなかったのですが、中学一年生のときになって「ドイツ歩兵『突撃』セット」を改めて買ったら、想像以上にうまく作ることができました。それでうれしくなってしまって、ドイツ軍を中心とした、第二次世界大戦当時のことを調べはじめました。少しでもリアルなプラモデルを作りたいと思って、戦争映画なども浴びるように見ました。ガンプラが好きだった頃は、アニメに登場する架空の兵器を作っているだけにすぎなかったのですが、田宮模型のMMシリーズは、現実の兵器を1/35スケールで再現しているので、こちらの方が面白く思えました。ガンプラに物足りなさを感じたことが当然のような気がします。
 そうして、男の子が格好いいと思う、兵隊さんに憧れつつ、ドイツ軍のプラモデルをライフワークのように作り続けました。しかし、それも、十年くらいを境にして飽きてしまいました。何と言っても、私は日本人ですから、結局、ドイツ人の兵器をいくら作ってみても、心の底から共感することができなかったのです。これが日本軍の兵器であれば、戦争の大義に心酔しつつ、作ることができます。しかし、田宮模型は日本の会社だというのに、私が好きな日本陸軍のプラモデル(特に兵隊フィギア)をちっとも発売してくれないので、プラモデル作りそのものから離れてしまう原因になりました。その代わり、日本軍に対する渇望を埋めてくれたのが光人社NF文庫でした。従軍経験者たちが紡ぐノンフィクション戦記は文字どおりの真です。何せ事実なのですから。このブームは今も続いていて、戦記物を片っ端から読んでいます。
 最後は鳩です。常日頃、愛鳩家を自称している私がこんなことを言うのは変なんですけど、鳩、本当は大嫌いです。平和の象徴と言われて久しいですが、鳩の生態に接してみれば、これが全くのうそであることが分かります。鳩の社会は、人間以上に上下関係が厳しく、弱々しい個体は、鳩舎の中で徹底的にいじめられます。いや、いじめられる、なんて表現は甘いくらいです。頭の肉がごっそり取れてしまうほど、くちばしでつつかれて、死ぬまでせっかんされることも珍しくありません。人間が勝手に、鳩に平和のイメージを付与しているだけで、連中の実態は正反対なのです。鳩の競翔家が難レースにたくさんの鳩をつぎ込んで失うことがあったとしても、案外、けろっとしていられるのはこういう事実が少しは関係しているのではないでしょうか。犬や猫と違って、情が移りにくい生き物だと思います。
 鳩を失って、惜しい、とは思っても、かわいそう、とは思わないのです。愛鳩家は鳩レースが好きなだけであって、鳩そのものは、そんなに愛していないんです。ある愛鳩家が、つまらない鳩をまきのように火にくべて淘汰(とうた)しているところを見たことがあります。また、猛禽類が多く出没する、ある地域の鳩飼いが、いい鳩が襲われないように、事前に出来損ないの鳩(脚環なし)を放って犠牲になってもらってから、良鳩に舎外運動をさせている、との話を聞いたことがあります。そうすることによって、出来損ないの鳩を食らって満腹になった猛禽類が、いい鳩を襲わなくなるからだ、と私に説明してくれました。
 鳩レースの世界は、実に残酷です。ある種の戦争といっても間違いじゃないと思います。「損害に構わず前進しろ」とか「いかなる犠牲をも顧みず、現陣地を死守せよ」とかの非情な軍命令と一緒です。鳩の一個体の生死など、一銭五厘の価値しかない兵隊と同じで、どうでもよいのです。鳩の飛ばし屋がこだわるのは、どこまでいってもレースの勝ち負けです。人間の栄光、いや、人間の娯楽のため、鳩は格好のおもちゃとして扱われるだけです。世界中の動物愛護団体が鳩レースを野放しにしていることが、本当、信じられません。
 と、まあ、鳩の愛好者と称する人間の実態を説明したところで、さて、私が鳩に執着している理由なのですが、上述したように、鳩そのものに興味を覚えているわけではありません。鳩の帰巣性を利用した鳩通信に心を引かれています。厳密には、軍隊における鳩通信法です。軍用鳩もしくは軍鳩と呼ばれているものです。
 プラモデル作りと戦記の愛読によって深めた造詣(正確には、軍装品の収集も含む)と、鳩の雑誌社に一時所属していたときに勉強した知識をもとに、将来、まとめておかなければならない題材だと思っています。多分、軍事と鳩のことをそれなりに知っている人間って、日本では私だけです(何せ、軍事と鳩ですからね、両者に共通する点はほとんどありません)。できれば、そんな事実に気がつきたくなかったのですが、日本鳩界の諸先輩方が軍用鳩に関する書籍をまともに出版してこなかったので、二十一世紀に暮らす、私の身にそのつけが回ってきてしまいました。致し方なく、ある種の使命感に燃えざるを得ません。そのうち、本格的に取り組まなければならない研究対象になってしまいました。しかし、そうは言っても、現在、歩兵第三十連隊の戦記をまとめている最中ですし、それ以外にも、いろいろと書きたいことがあります。鳩だけにこだわっているわけにはいきません。予定としては、私が定年を迎えてからになるかと思います。働きながらでは、ちょっと無理です。
 つまり、私は鳩を好きにならなければならないのです。軍鳩の歴史に関して、私にしかできない仕事があるのですから。嫌いなまま調査することはできません。それ故、愛鳩家を自称しているのです。
 さて、長々と記しましたが、私はおよそ、以上に述べたような感じの男です。面白くもないウェブサイトですが、お暇でしたら、見てください。よろしくお願いいたします。

藤本泰久


履歴
平成二十四年一月八日



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