歩兵第三十連隊~連隊歌


連隊歌その一

歩兵中尉 原田久男 作歌

一、創設
 明治二十九年の
 時は霜月中旬頃
 皇御国の鎮護とて
 我聯隊は設てられぬ
 愛宕の松の色深く
 菅名の山の雪潔し
 丹き誠心いとたかく
 永久に御国を護るらん。

二、軍旗親授
 越えて三十一年の
 三月二十有四日
 あやにかしこき大君の
 御手より護国の軍旗
 うけ奉りしぞ畏こけれ
 旭の光かゞやきて
 御稜威を揚くる旗風に
 靡かぬものこそ無かりけれ。

三、皇太子殿下行啓
 三十五年の皐月末
 儲の君のかしこくも
 越路はるかに出まして
 将士を労ひ給ひけり
 春のかたみの山ざくら
 咲のこりたる昨日今日
 恵の露の繁ければ
 栄え増すこそ目出度けれ。

四、動員下令及出征
 頃しも三十七年の
 如月まだき五日の夕
 動員令は下りけり
 君の御君予てより
 誓ひし本分竭さんと
 貔貅三千勇ましく
 馴れし屯営後にして
 宇品をさして出でたちぬ。

五、上陸及行軍
 波路にむすぶ旅枕
 戦の巷夢みつつ
 逆捲く波濤を蹴破りて
 鎮南浦に上陸す
 雪消の泥路を踏み蹂り
 寒さと飢を忍びつゝ
 朝鮮山野七十里
 苦辛の程ぞ知られける。

六、鴨緑江の戦闘
 氷流るゝ鴨緑江
 靉河の流れも乱れつつ
 渦巻く中を押渡り
 九連城を占領し
 疾風砂塵を捲く如く
 勇往邁進追ひ撃ちて
 砲兵陣地に突入し
 勝閧あげし蛤蟆塘。

七、摩天嶺の戦闘
 決河破竹の如くにて
 逃げ行く敵を追ひ乍ら
 進みて占めし摩天嶺
 高嶺峻嶽巍峨として
 雲の表に聳えたり
 俯して谷間を眺むれば
 夏草深く生ひ茂る
 断崖万丈霧深し。

八、摩天嶺の戦闘(其二)
 時しも七月十七日
 露営火薄るゝ暁に
 巖間に響くものすごき
 ウラー〳〵の閧の声
 すは敵襲と微笑みて
 弾丸や剣の引出もの
 剣戟摩して敵火散り
 敵は拙く潰乱す。

九、楡樹林子の戦闘
 時は八月朔日の
 金石溶くる炎熱と
 連日連夜睡らざる
 艱難辛苦忍びつゝ
 要害険阻の楡樹林子
 息をも吐かず攻立つる
 武者振り猛き北越の
 男子の前に敵はなし。

十、遼陽会戦(其一)
 進むに猛き我隊は
 八月念五の真夜中に
 冴えたる月の影を踏み
 枚を銜みて粛々と
 懸崖絶壁攀ぢ登り
 弓張嶺を襲撃し
 閃電敵に衝き入れば
 はや万歳の声高し。

十一、遼陽会戦(其二)
 時は長月二日の夜
 黒英台に肉薄す
 こゝを先途と敵兵は
 逆襲々々又逆襲
 斃るゝ屍のりこえて
 死地に駈入る我兵の
 鋭き刃に敵兵は
 支へかねてぞ破れけり。

十二、沙河会戦(其一)
 月日は早し神無月
 攻撃せむと健気にも
 全線挙げて攻寄せし
 山なす敵の影黒く
 狂へる獅子にさも似たり
 我劣らじと寺山に
 仇なす敵を邀へ撃ち
 南下の企図を挫きけり。

十三、沙河会戦(其二)
 矢玉は射尽き剣は折れ
 身に負ふ傷は深くとも
 斃さで止まぬ追撃に
 堅き塞の揚城寨
 名も麗はしき蓮花山
 廟溝山や西溝山
 沙河の戦の功績に
 軍感状を賜はりぬ。

十四、黒溝台の戦闘(其一)
 明治三十八年の
 一月末に敵軍は
 我が戦線の左翼をば
 薄弱なりと侮りて
 連戦連敗その恥辱を
 雪ぐの時は来にけりと
 雲霞の如く大挙して
 黒溝台へと攻め寄せぬ。

十五、黒溝台の戦闘(其二)
 右翼に在りし我隊は
 朔風寒く肌を裂き
 雪は戎衣に降り積る
 艱苦を冒して急行し
 砲煙弾雨の其中に
 屍を馬革に包むまで
 悪戦苦闘の甲斐ありて
 十数万の敵を破りたり。

十六、奉天会戦(其一)
 春まだ寒き二月末
 その名も高き奉天の
 大会戦は始まりぬ
 楊大人山西孤嶺
 東孤嶺より英守堡
 紅塵万丈そのなかを
 厭はず進む我隊の
 攻め破らぬはなかりけり。

十七、奉天会戦(其二)
 頃は三月十四日
 鉄嶺陣地の鎖鑰なる
 蘇牙屯東方巖の山
 敵も必死と防ぎしが
 如何で敵せん忠勇の
 我聯隊の手に帰せり
 高き誉は香ばしく
 再び感状賜はりぬ。

十八、凱旋
 東亜をおほへる戦雲も
 平和の光明らけく
 凱歌をあげて聯隊は
 故国を指して帰りしも
 八百有余の丈夫は
 君の御楯と雄々しくも
 軍旗の下に命を捨て
 無上の名誉を留めたり。

十九、結尾
 松の緑の愛宕山
 尽きぬ流れの阿賀野川
 動きなき世に変りなく
 勅語の旨をかしこみて
 樹てし勲功の跡見ゆる
 尊き軍旗捧げつゝ
 忠義の心一筋に
 君と国とを守らなむ。


引用文献
『歩兵第三十連隊史』 帝国連隊史刊行会



連隊歌その二

歩兵第三十連隊歌

北越新報寄贈

一、朝日に映ゆる妙高に
  正気溢るゝ雪の色
  夕日輝く春日山
  義勇を叫ぶ松の音
  謙信生みし地を占めて
  集る精鋭意気高し

二、抑々三十聯隊は
  村松平地に生れ出で
  あやに畏き大君の
  御手より軍旗賜ひしは
  明治三十一年の
  三月二十四日なり

三、日露の国交断絶し
  如月はじめ五日の夜
  動員令に勇み立ち
  鍛へし勇武試さんと
  宇品の港を船出して
  上陸せしは鎮南浦

四、妖雲低し鴨緑江
  誉は高し初陣
  黒英台や摩天嶺
  遼陽の野に奉天に
  常勝軍の名を得たる
  武勲は今に輝けり

五、勝ちてぞ締むる兜の緒
  吹雪の中に武を練れば
  氷に鎖すシベリヤの
  猛鷲虎狼も何あらん
  長駆敵地に征め入りて
  皇威伸べしも我が軍旗

六、又もや曇る満蒙の
  風雲望み雄々しくも
  昭和六年駐箚の
  任に着きたる折も折
  菊月十八日の夜
  轟然響く柳条溝

七、昻々溪やハルピンと
  正義の御旗押し立てゝ
  生命線を死守せんと
  重き使命に燃え立てる
  越後健児の剣太刀
  何か遮るものあらん

八、東亜の天地事繁く
  平和は永久のものならず
  迅雷一度轟かば
  草蒸す屍何のその
  君に捧げし此の命
  護国の神と仰がれん





連隊歌その三

(一)
 あゝ神州に桜咲く 日本に生れ男かな
 君が御楯と集い来て 広漠千里の満州の
 朕が股肱と宣はれ 唯感涙に咽ぶなり

(二)
 思へば畏し明治の代 忝なくも御手づから
 御旗賜いし其の日より 吾ますらおは山行かば
 草むす屍海行かば 水漬く屍と誓いけり

(三)
 聖戦既に幾千里 転戦東亜に幾万里
 黒英台や摩天嶺 鉄角嶺の嶮峻も
 軍旗の威武に打破れ 三度の感状輝けり

(四)
 緑林李杠も何のその 豺狼醜鷲何かある
 厳寒酷暑も突破して 東辺道やノモンハン
 鎧袖一触告知るや 無言の威圧君見ずや

(五)
 見よや懐し顧郷屯 疾風迅雷入城の
 大ハルピンに我立ちて 痛快無比の追撃を
 今香坊に拉々屯に 勲を偲び武を練らむ

(六)
 伝統茲に五十年 不言実行忘れんや
 湛へよ我等が先進の 尊き血潮の其の武勲
 燦然たりや御紋章 嗚呼我軍旗我軍旗

*(石坂准尉と藤本)
藤本 「かしこまった催しがあると、この連隊歌を歌ったり、曲が演奏されたりするんでしょうか」
石坂 「それがよお、全然歌ったことないんだ。歌詞を読んでくれれば分かると思うけど、歌が作られたのはかなり後だからね。そのせいもあって、浸透しなかったんだ」
藤本 「えっ、そんなもんだったんですか」
石坂 「そう、そんなもんだった」
藤本 「せっかくの部隊歌なのにもったいないですね。歌ってもらおうと思っていたのに(笑)」
石坂 「それは難しいね。どういう曲調だったか、さっぱり覚えていないぞ」


引用文献
『歩兵第三十連隊史』 歩兵第三十連隊史編纂委員会




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