二十八・太原総攻撃



 昭和十二年十一月八日、太原総攻撃。この戦闘におけるわが部隊の戦死者十九名。

*補足(藤本)
 山西モンロー主義をお題目に太原の経済を飛躍的に高めた閻錫山も蒋介石に敗れた後は中央軍の統制下に置かれ、反日闘争に加わった。しかし、昭和十二年十一月八日、山西省の省都・太原はわが軍の手に帰し、閻錫山は南の臨汾に遁走したのであった。

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