二十四・原平鎮



 昭和十二年十月六日早朝五時、原平鎮総攻撃の命が下った。わが第七中隊は第一線部隊となり、中隊長森大尉指揮のもと、激しい戦闘を終日続けた。
 日没前、城内の一角を占領した。これにより原平鎮攻略の糸口をつかんだ。
 当中隊の戦死者二十名。

*補足(藤本)
 歩兵第三十連隊第七中隊の奮戦が語り伝えられている原平鎮の戦いである。石坂准尉の軍歴中、最大の激戦でもある。
 戦いの苛烈さは当時一等兵だった石坂准尉の負傷を説明するだけでもこと足りる。石坂准尉は三発の敵弾を浴びているのだ。

1、三八式歩兵銃の銃床。大きな風穴が空き、使い物にならなくなってしまった。
2、円匙(スコップ)。背中に背負っていた円匙に敵弾がえぐった跡がついていた。
3、右足のつけ根。戦闘が終わった後、石坂准尉が起き上がると、軍袴が血で真っ赤に染まっていることに気がついた。幸いにも弾がかすっただけだったので致命傷にはならなかったが、この傷痕は戦後半世紀以上、はげになっていたそうだ(最近ようやく消えた)


←前の絵 次の絵→



戻る