二十二・茹越口



 鉄角嶺の手前約一キロメートルの地点に一軒の民家があった。部隊の戦死者の収容所となっているところである。
 わが片桐分隊はここに立ち寄り、戦没者の冥福を祈った。後日、犠牲者の中に同じ部落出身の石坂武八上等兵が安置されていたと聞く。

*補足(藤本)
 死体の損傷が甚だしく、とても注視することのできない仏様ばかりだったと石坂准尉は教えてくれた。そのため、安置所の中に同村出身の石坂上等兵が横たわっているとは気がつかなかったという。
「あのとき分かっていれば、同郷の犠牲者の顔をよく眺めることができたろうに」
 と、石坂准尉は終生、これを嘆いている。
 この話を聞いたとき、私は目頭が熱くなり、今にも泣き出してしまいそうになってしまった。

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