『歩三〇営内月報』(高田時代)




題名
歩三〇営内月報
著者

出版


大正十四年八月一日発行
備考



大正十四年八月一日発行 歩三〇営内月報 第一号 毎月一回一日発行 (一)

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賜天覧 新版歩兵第三十連隊史 見ヨ!! 光輝燦然タル我ガ軍旗ノ歴史ヲ

一部約九十銭
広ク予約ヲ募ル歩兵三十酒保

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歩三〇 ☆ 営内月報

創刊号
(定価金弐銭)

新潟県高田市上小町
編集及発行 兼印刷人 熊田亀治郎

新潟県高田市上小町
印刷所 高田印刷株式会社

新潟県高田市上小町
販売所 春陽館

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発刊の辞

連隊長 田代大佐

営内新聞の企ては吾が連隊がさきがけをしたといふのではない既に早くから発行を続けて居る連隊がいくつもあるのである自分も其有益なるを認めて是非之を発行して見たいと思ふて居つたのであるが整理とか転営とか種々多忙なことが続いた為之に手を着くることが出来ず延び延びとなつて居つた然るに編合に伴ふ諸般の業務も一段落を告げ古くして新しくなつた吾が連隊が軍備整理といふ歴史的の一大変革を経て其第一歩を勇ましく踏み出すこととなつて見れば斯る時に営内新聞があつたらばさぞ便利であらうといふ感じが益々痛切になつて来た恰も其時山本旅団長閣下からも新聞を始めてはどうかといふ御勧めがあつたので茲に愈々着手といふ運びになつたのである。
此の新聞は四分の一版四頁の月報といふ極めて小さなものではあるけれどもその使命は決して小さくない、乃ち上下意思の疎通、在営者と其家庭、連隊と其関係地との連撃、精神の修養、情操の陶冶、軍事並一般常識の普及向上といふ様なことは其の主なるものである、連隊長は今何を考へて居るか委員はどんな計画を立てて居るか兵卒は今何を欲して居るか何に困つて居るかといふ様なこと兵営に在る自分の子供は今どんなことをやつて居る何時何処に行軍をした特別射撃には一等賞を貰つた隣の何某一等卒は善行があつて表彰されたといふ様なことも此の月報によりて承知することが出来るであらう。或る上級将校や名士の精神修養に関する談話や或る軍曹の涙の出る様な所感や西行芭蕉もはだしでにげ出す様な或る二等卒の名句が掲載されることもあるであらう斯くて吾々は此のささやかなる月報を藉りて軍隊内務書に示してある兵営生活の意義を拡充し兵営生活其の者をして極めて愉快な極めて神聖な極めて崇厳なものとすることに努めたいと思ふのである。
最後に一言したいのは此の月報は連隊の将校下士卒の協力によりて成立つものであつて決して少数委員の専業ではないといふことであるどうか此の月報の使命といふことを充分了解して吾が隊としては初めての此試みを中途に挫折させるといふ様なことがない様に全員一致の尽力が望ましいのである。

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敬礼

藤川中佐

敬礼は服従心の発露であつて軍隊の強弱は此服従心の如何によつて其一端を覬ふことが出来ると云ふても敢て過言でないのである、我陣中要務令にも「軍紀ハ軍ノ命脈ニシテ其張弛ハ勝敗ノ由リテ岐ルル所ナリ而シテ軍紀ノ要素ハ服従ニ在リ故ニ全軍ヲシテ至誠上長ニ服従シ其命令ヲ確守スルヲ以テ第二ノ天性タラシメ所謂万人ノ心ヲ以テ一人ノ心ノ如クナラシムルヲ要ス」とある此万人の心を以て一人の心の如くならしむると云ふ事が戦争に最も必要なことで之がなかつたならば所謂烏合の衆で到底戦争に勝を制することは出来ないのである、彼の明治三十七八年の戦役に於て当時世界の最大強国と呼ばれた露西亜に対し、兵数に於ても兵器材料等に於ても武技に於ても、数等劣つて居つた我帝国が立派な戦勝の栄冠を贏ち得たと云ふことは他にも色々の原因があつたに違ないけれども、我の献身殉国的精神より発した上下の一致に反し彼は上下の一致を欠き上長の命令部下に行はれなかつたと云ふことが其大なる原因の一つであつたと云ふことは争はれぬ事実である。話は大分古いが今から十五六年前自分の友人が北支那駐屯軍に加はり天津に勤務中、或日曜日に独逸の同地駐屯軍の将校と共に郊外散歩に出掛け田舎の細道に差しかかつた時向から一人の独逸兵がやつて来て丁度狭い橋の上で双方が行き合つた、此頃はまだ独逸でも将校に対しては停止敬礼をやつて居る時分だから、此兵卒は忽ち直立不動の姿勢をとつて立派な挙手注目の敬礼をやつた、之を見た自分の友人は、さすが世界の強国と呼ばるる独逸兵の敬礼は立派なものだと感心をして居ると、彼の独逸将校は、つか〳〵と其兵卒の前に進み、大声をはりあげて「コンナ狭い橋の上で上官の通行の出来ないやうな敬礼は敬礼にして敬礼でない今一度やり直せ」と叱つた、此言葉を聞くや彼の兵卒は翻然身を躍らして深さ腰に達する水中に飛び込み、川の中で再び立派な停止敬礼を行つたと云ふことである、此話を聞いた自分は「ナアニ独逸兵は外形ばかりで其内実は立派なものではあるまい」と半ば軽蔑の心持で聞いて居た、然るに其後欧州大戦の結果に依て見ると成る程独逸は、最後には内訌の為屈服の已むなきに至つたけれども殆んど全世界を対手としての数ケ年間の戦争に於て軍隊其者としては常に勝ちを制して居つたのを見て自分は始めて友人の見た敬礼が決して一つの形式でなく、真に服従の赤誠から出た立派な華であつたことを覚つたのである。連隊長殿が此敬礼に就て絶えず御注意なさるのは、蓋し其意茲にあるのであろふと自分は推察するのである、然るに近頃巡察将校あたりからの報告を聞くと外出先等に於て此敬礼が充分でないとのことであるのは誠に君国の為め遺憾な次第である、こんなことでは、日露戦争に於て国民の犠牲となり戦傷の露と消えた吾人の先輩に対して申訳がないばかりでなく、戦敗国の汚名を蒙つた独逸の兵隊に対しても、恥かしい次第であるのである、我我は御互に注意して此弊を改め、以て連隊長殿の御意図に副ふ如くしたいものである。

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随時検閲に就て

伊藤少佐

諸子は過日第二期検閲を目出度終了し今や第三期の試練場に於て或は武を練り或は徳を磨き或は身を鍛ひ一層其光を輝さんとし修養怠り無く奉公しつゝあるは諸子と共に君国の為慶賀に堪へぬ処である。翻て稽ふるに本年は軍備整理の結果二年兵の大部は既に除隊し初年兵も元五八と三〇との半数宛の編合である故何かに付けて不便なることのありしは誠に同情に堪へぬ次第である然し諸子は之等の不便を排し一致団結して勤勉精励し為に第二期検閲は頗る良好の成績を収め得連隊長殿は勿論師団長閣下及旅団長閣下も諸子の成績に対し大に満足の意る表せられたのである何んと喜ばしく且光栄とすべきではないか処で来る八月十日よりは師団長閣下の随時検閲が施行せらるゝ予定である随時検閲とは諸子も承知の通一年一度の重大な意義ある師団長の検閲で其成績は毎年度末に畏れ多くも師団長閣下より 大元帥陛下に対し奉り上奏の手続きを採らるゝのである斯様に重要な検閲であるから諸子は今より内務や教練等に対し一段努力の覚悟がなくてはならぬ要は我が軍旗の名誉我が連隊の名誉我が郷里の名誉を遺憾なく発揮し諸子の本分を尽すのにあるそれが換言すれば平時に於ける忠義に当るのである諸子今より大に勉めずして可ならんや勉めよや諸子!

御製

今はとて学ひのみちにおこたるな
     ゆるしの文を得たるわらはべ

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大正十四年八月一日発行 歩三〇営内月報 第一号 毎月一回一日発行 (二)

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体育の必要

熱心生

日本人が欧米人に比して体格の劣つて居ると云ふことは今更茲に喋々する迄もないが如何に其差が甚だしいかを次の表に依つて知ることが出来る

日本及独国将校下士兵卒体格比較表
国名
区分
将校
下士
兵卒
人員
一人平均
人員
一人平均
人員
一人平均
独逸
体重
身長
胸囲
205
九、五五四
五、七一
三、一一
835
一九、五一五
五、七〇
三、〇七
3〓67
一八、三八四
五、六一
三、〇一
日本
体重
身長
胸囲
457
一六、一一七
五、四一
二、八八
568
一六、五四四
五、三七
二、九九
399660
一五、三〇三
五、三二
二、八一

表中体重の単位は貫身長及胸囲の単位は尺である又独逸人のものは大正三四年戦役の捕虜に就て検査されたもので日本の将校下士のは陸軍戸山学校の学生に就て検査されたもので一般の将校下士よりは優良な理である

欧米人日本人 体重比較表
国人名
身長一寸に
対する体重
国人名
身長一寸に
対する体重
独逸人
米国人
仏国人
三三  匁
三二九 匁
三二七 匁
英国人
日本兵卒
日本男学生
三二二匁
三〇八匁
二九八匁

日本人中では一番体格の優秀な兵卒が欧米人中では比較的体格の悪い米国人の全部の平均に対しても猶及ばざること遠いのである。身長一寸に対する体重の比較であるから欧米人が仮りに日本人と同じ身長であるとしても日本人がヒヨロ〳〵して居るに反し欧米人は「ガツシリ」とした体格を持つて居る理である況んや身長も我に比し遥かに大きいのであるから体格優劣の差は益々甚だしい理である。
日本人で彼国に洋行した人の誰もが一番感じることは体格の貧弱さが彼等と余りに甚だしい懸隔を持つと云ふことださうである一等国民(体格及財力を除く)と云ふ様な但書は速く除き度いものと思ふ
体格は斯うでも体質はさうでもなからうと思ふと豈図らんや英国人の平均死亡年齢が五十一才に対し日本人は廿六七才だと云ふから驚かざるを得ないではないか
此くの如く我に比して優秀なる体格を有する欧米諸列強が大戦後何故あんなに体育の奨励に努め始めたのであらうか欧米各国は今や其の戦勝国たると敗戦国たるとを問はず軍隊たると一般国民たるとを問はず上下挙つて体育の隆盛に努めて居ると云ふ状態である。
何故だあらう夫れは彼等があの優良な体格を以てしても猶大戦の経過中終始体力気力特に戦場に於ける運動能力の不足を痛感したために外ならぬのである。
勿論気力で体力を補ふことも見逃し難き事実であるが一面又体力は気力の原動力であるとも言ひ得る病気の時の元気は健康時に及ばず少年老人の意気如何に壮なりと雖も其青年時に及ぶべくもないのである。
過去の戦役では常に勝利を得たが我が体力がもつと旺盛であつたならばもつと士気も振ひもつと大勝を博したことであらう。
秋季演習等で二晩も寝ないで三十里近くも歩いた後の我軍隊を見て「これならば何国と戦つても大丈夫」との確信を得る者が何人あるであらうか況んや是れ位で落伍する者が気で勝つと威張つても何にもならないのである
近頃我国でも大分体育が勃興しし来たのは誠に喜ばしい現象であると思ふ併し夫れは極く少数の者に限られて居る様であるもつと国民全般が其必要を自覚する時期になりたいものと思ふ。
之が為めには軍隊が其先覚者となり指導者となつてゆかねばならぬ然るに吾々が体操をやれば之れを監る者は恰も『怠けて居るかの様に邪推し又之れを実施する者も遊びの心算りでやつてゐるやうな現況では未だ〳〵前途遼遠であると謂はねばならぬ。
されば吾々軍人は戦場に於ける運動能力が如何に戦闘に影響するかを考へ体操は其の必要の度に於て決して射撃や剣術に劣るものでないと謂ふことを自覚して全般を指導して行くことが必要である。
又日本人は閑暇があれば兎角室内娯楽や無駄話に時を移す悪い風習を有てゐるが之れ丈は一つ『閑暇があれば運動と云ふ西洋流に改めたいものである。

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『ラヂオの話』

吉野少佐

最近ラヂオなるものが生れ出てこれを聴かなければ、知らなければ一世紀遅れて居るかの様に思はれて来た、然し東京なり大阪付近で放送局に近い所は容易すく聴けるが高田は東京から二百キロ、大阪より四百キロも離れ放送局の通常通達距離の百六十キロより遠いので精巧なる器械でなければ其妙味を味えなかつた
そこで連隊でも下士以下の慰安と又一つには科学新知識普及の為め去る七月三日一夕下士集会所でラヂオ会を開催した。
炊事場の煙筒を利用した高い見事なアンテナが張られた聴衆は続々つめかけた広い集会所も立錐の余地もなくなつた正面に掲げし放送プログラムを眺めて何れもうちくつろいで好奇に、静かに放送を待つた
午後七時東京放送が始まつた!そら!と一斉に拡声器のラツパに瞬を集めた最初は名士の講演次が大阪放送の清元山姥、喉のさえと三味の調子のよいには一同をしんみりさせた次に音楽ギター独奏最後に義太夫太功記十段目、台詞回し、さはりなど流石は斯道の好者の事とて聴きこたえがあり大分油がのつて来たが遺憾ながら放送の終りと共に満場喜びの喝采の内に幕を閉じた
斯様に吾々が高田に居つて手に取る様東京大阪の話なり歌なりがどの様にして聴けるのか一寸御話をしよう、ラヂオは無線電話で明治二十八年に伊太利人マルコニー氏が僅か一哩半に成功した無線電信に電話装置を施した無線電話の発明となつたのを更に米国人デフオレー氏の発明した小さい真空球により今日の如く一層確実に遠い処に達する様に僅か三十年間に長足の進歩をしたのである、結局ラヂオは此無線電話の単に受話装置のみのをしたのである無線電話の原理としては茲に水面の静な池に小石を投げ込むと石を中心として円い環の漣が出来て段々四方に広がつて行く若し途中にある木の葉などは上下に動かす如く空気中にても電気により空気に或る振動を与へて波を出せば電気の波動はアツト云ふ間に地球を七回り半もする速さに走り出し先程の真空球と吾々の耳と同じ装置の受信器により聴き取れるのである
今世界の無線電話、電話は非常に発達して居る軍事に外交に経済上に列国は競ふて其整備を図つて居る又是を実用化したラヂオも米国では頗る発達し今放送局が六百もある次に軍用に此ラヂオが利用せらるるか。随つて空に飛行機が沢山飛び出し地には戦車が走り出す是等との通信は今迄の有線電話では間に合はない記号も毒瓦斯なり煙幕なりて役に立たないから自然に無線電話に依らなければならない現に我歩兵にも既に小さな無線電信機をつけられて居る。然し余り各方面に聴え過ぎる?、夫れは波長を定めれば混信しない、敵に窃まれる?。夫れは暗号を使えばよい兎に角将来は十分利用せらるる事は明らかである
されば此意義ある一夕のラヂオを聴ゐて只面白かつた許りでなく之に親しみを持ち又深く科学の進歩に思ひをいたさねばならん

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第二期検閲終了

第二期検閲は去る十日から十二日迄関山演習場で実施せられた
本年の第二期教育は編合やら転営やら其他之れに付随した色々の事情の為教育に非常な支障があり而も天は此の上にも尚我連隊将卒を試練する為か検閲の初めから終り迄豪雨の降り通しで道路は泥濘夜は鼻を摘ままれても判らぬ程の真暗さ非常の困難であつた然るに各中隊共中隊長を始め将卒の志気は此の天の試練の度が増せば増ず程旺盛で一名の患者もなく平素の技能を遺憾なく発揮し其成績は寧ろ平年に比し良好であつて師団長閣下も満足して御帰りになつた次第で歩兵としても戦闘基礎教練は完全に卒業した次第である。

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今月行事予定

五日
六日

随時検閲
十日
第一回通信手競技会
十三日
第三回下士以上特別射撃
十七日
第三回連隊特別射撃
廿一日
廿二日

名誉旗授受の特別射撃
廿一日
第一回召集者入隊

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軽機関銃の常識 若山少尉

一軽機関銃の発達 機関銃の重量を軽減し構造を簡単にし其の使用法のもつと簡便なものを造ろうとする考を久しい以前から列強の間にはあつて従て軽機関銃を決して欧州大戦の特産物ではない現に日露戦争当時露軍は已に軽機関銃を使用してをつたのである降て欧州大戦となり戦闘が漸次対陣状態に移るに及び遂に各戦場に無数の近戦兵器を現出し機関銃就中軽機関銃等の自動火器が盛んに称揚せらるゝに至つた
尚ほ勝敗容易に決せず戦闘永続状態に陥るに及び両軍は漸次戦闘員の補充難を感じ其の減耗を兵器就中軽機関銃の徹底的増加に依て補ふとするやうに至つて各国軍共銃数の著しい増加を示したのである
又一面各種火器の発達は到底従来のやうな散開戦法を許さなくなつた為軍隊は極力地形を利用し小単位毎に疎散な隊形を以て戦場に点在し戦闘せねばならないやうになつて茲に疎開戦闘法或は戦闘群戦法を現出するに至つたのである。
斯くの如き戦闘方法は敵火の効力を減殺し得らるれとも従来のやうに小銃のみでは忽ち火力に不足を生じてしまう、そこで少数人員を以て短時間に多くの弾丸を送り出し疎散な隊形を採つても尚ほ能く十分火力を発揚し得るやうな火器を必要とするに至つた是れ軽機関銃の著しい発達を促した一因である
上述のやうに銃数の増加は各国共競つて望む所であるが弾薬補充其の他種々の事情を考慮した結果今日では概略歩兵一中隊に対する銃数が次の如くである。

 独逸   六銃
 仏国   一二銃
 英国   八銃
 米国   一二銃

軽機関銃発達の経路を考ふるときは其の任務も自ら了解出来ると思ふが実に軽機関銃は歩兵火戦の主体である其の良否は直ちに疎開戦法の成否に関するのである、されば軽関銃手の責務は極めて重大であると謂はねばならぬ夫れと同時に小銃手と雖も軽機関銃の概略に通して戦場に於て仮令軽機関銃手が全滅するやうなことがあつても直に代つて戦闘を続行し得るやうにならねばならない
次に聊か十一年式軽機関銃の特性を極く常識的に述べて見やふと思ふ(次号に続く)

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兵士の善行表彰

 第六中隊歩兵一等卒 木島房代
 機関銃隊歩兵上等兵 山岸重吉
 同     歩兵二等卒 曽田勇治

右の三名は六月七日日曜外出散歩中市内高田瓦斯会社物置より失火せるを発見し直ちに現場に駆付け極力消火に努め付近瓦斯『タンク』の発火爆発を未然に防いだ行為に対し一般の模範とする旨師団から表彰された尚ほ此のことに就いては付近の人家や町民一同は非常に感謝の意を表してゐる。

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我輩は服である

黒崎主計

産声を挙げたのは七八年前で欧州の小父さん連が大喧嘩の最中である。我等の仲間は亜比利の野に戦功を建て彼地に没した者もある幸か不幸か私は残留せられ今尚高田の空を眺めて居る今から二三過去の思ひ出を語つて見やう
第一主人は亜比利残留組の三年只の上等兵殿で十一月帰休の処を除隊出来ず之が為私を逆待する事御話になりません私は丁度十月十日から半年の間生傷絶える事なく加之縫工場医院にもやられず半死半生の儘第二主人に替りました其の時私の親友の旧式君は初年兵殿に仕へ非常に可愛がられましたから何時も生々として外出の時など初の間私より醜かつたが半年の後には私は極度に面窶れして旧式君と一緒に歩くのも気後れする様になりました、旧式君の御主人へ少し具合が悪ければ直に縫工場医院や靴工場医院に遣つて工長医師や委員博士の診断を受ける様に班長兄さんや曹長姉さんに頼んで一寸も悪い処か無い様に注意されて居ました私は終始羨ましく思つて居ました
併し天の神様は誠を照しまします事は誰も信じて居る様に私の第二主人は非常に親切な御方で前の旧式君の御主人の様でしたが元々私の体は弱り切つて居ますから何としても旧に復しません毎週縫靴工場医院に通ひましたが中々思はしくありませんで遂々一昨年春委員博士は匙を投げ私は不具者となつて居ります。先月久し振りに委員博士が巡視の時旧式君が第何番かの君に仕へて私共の前を通りました其の時大分年老たが丈夫で毎日演習に出て居ると聞き自分は最初の主人を誤つた為今は若い身空で廃品となり毎月青い空を眺めて居る命且夕に迫つた私の両親の里方を遠く思考して黄泉の途に上りませう。
豪州の平原のあの羊の群一年に一人で軍帽なら十三個軍衣袴なら約六割分外套なら半部位出来る
米国、朝鮮、支那の牛一枚の革はよく編上靴五組、長靴なら三組背嚢なら三箇余位出来る斯んな風で多数の同胞は今何処

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本紙四頁

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大正十四年八月一日発行 歩三〇営内月報 第一号 毎月一回一日発行 (三)

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サガレン土産 渡辺(卯)大尉談

一、冬は汗を流すが夏は一滴の汗も出ません冬になりますと氷点下三十度余になりますが毛皮で頭から足の先まで包みますから寒い所か一度室内に入ると美しい草花に囲れ浴衣一枚で冷ビールにアイスクリームと云ふ有様です。
二、鴨を鍬で堀り獲る所があります其処は何万年の石油(原油)がどろどろに固つて広さは営庭の二倍位の池になつてゐる水鳥が誤つて此の池に入つたら最後翼も脚もどろどろの石油に捕らへられていくらもがへても到底逃げることが出来ない其処を近所の人が鍬で堀り獲ると云ふ嘘の様な真の話
三、「猥りに鮭鱒を河岸に捨るべからずと書いた立札
魚類が一般に豊富で鮭鱒の盛りには川底が見えぬ程上つて参ります最初は捕る人もありますが百尾以下の注文では応じませぬ値は十五里もある所から運んで漸く一尾十五銭位です最も盛りの頃になると筋子丈けとつては付近に打捨てゝ置く最後には誰も相手にするものかなくなつて只兵隊さんが折々暇を見て網引きをする位それとて決して食べるのではなく只捕つて見るだけの話です
四、赤露の軍隊
師団長が三十一歳旅団長が二十七歳下士卒が十八九歳位から三十二、三歳位迄の少壮者のみ丁度我が国の維新当時の志士そのものゝ集団で仲々侮り難いものがあります。
政府の法令であり軍隊の規律である所の禁酒(一週間ビール瓶大のもの一本は許可されてゐる)及公娼廃止はよく厳守されてをります。
彼等の敬礼は大変厳格です「日本の軍人は何故時々欠礼するか」と云ふ様なことが赤兵の口に上つた位でした。
捧銃はなく将校に対しては立銃不動の姿勢を以て敬礼に換へてをります戦闘に直接必要がないからだと云ふことです。
序でに申し上げますが地方側でも軍隊に準じで一切の生活改善を断行してをることです余分の椅子机には高率の税を課します林檎等は外国から輸入せられるので全然贅沢品の取扱を受け石油の空箱一つに対して八円の重税を課せられるのであります故に小さな林檎一つが驚く勿れ五十銭と云ふ始末彼等の飯より好きな舞踏会を俄に禁じる訳にも行かぬので従前の入場料に五六倍の税を課してゐる行く〳〵は止めさせる考へらしい
最近薩哈嗹軍司令部から帰へられた渡邊卯一郎大尉の御話は夫れから夫れへと興趣尽きぬ(以下次号)

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読者論壇

命あつての物種

卑怯な弱い言葉の様であるが道徳法第一の命令はこれだ。たゞこれが「汝殺すべからず」と形を変えて来ると前の言は自分の事の様で後のは凡ての人に対しての様に思はれるだけだ。そしてこれは「他人の命を害するな」から「命を尊重せよ」となり、更に「自他の幸福の邪魔を除け」と云ふ風に押して考へる事が出来ると思ふ。死ねば不自由だ。俺も自由に、人も自由にと云ふ点をよつく考へたい。詰らない様な事だが戦闘を基準として凡ての動作をして居る軍人に取つては最も大切な事と思ふ。
脊中に幾千万の同胞の命と幸福を負つてる我々軍人は脊中の者の為にだけ敵を殺すことを許されて居るのだ。
「命あつての物種だ。」だから詰らない死に方はやめなければならない。幾千万の国民の「命があつての物種だ」そうだ殺されても逃げる事はやめだ。この考へ方は間違ひだらうか。(三関屋竜平)

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営内時事欄

七月

二日 長野県下水内郡長外町村長五名在営兵慰問の為め来営
三日 9一等卒黒柳太介 機上等兵黒星〓(たけかんむり+束)
 銃工術修業兵教育助手を命す
 2上等兵水落寛 機一等卒村松久伍
 縫工術修業兵教育助手を命す
 5一等卒小林友治 機同西川勇一郎 2同田辺平吉(防工)
 靴工術修業兵教育助手を命す
 工卒修業命課
 銃工術 二等卒大宮林作以下四〇名
 縫工術 同中山栄以下四〇名
 靴工術 同相場秀治以下四〇名
 防具工 同柳沢栄助以下一〇名
 伊藤少佐出張 地理実査の為め三日より五日間若松、郡山地方へ出張
七日 7二等看護卒徳原列英 機同北原幸之助 十一同堀福一
 日直看護長勤務を命す
八日 上等看護卒藤井一雄 同小林伊一郎 同野本政治
 衛生部下士適任証書付与
九日 上等看護卒藤井一雄以下九名善行証書付与
 上等看護卒柄沢英三衛生部下士候補者として仙台衛戍病院へ派遣
 初年兵軽機関銃手検閲
十日 十一日 十二日 第二期検閲行軍戦闘陣中勤務(別項記事参照)
十三日 2上等兵桜井四郎 6同鎌倉務 機同武士俣良治 予備役計手候補者として経理室へ通習を命す
十四日 7上等兵竹石万吉
 憲兵上等兵候補者として学術修業の為め三ケ月間仙台憲兵隊へ分遣
 未教育補充兵軍隊宿泊見学
 東頸城郡在郷軍人連合分会未教育補充兵一四〇名は幹部付添ひ十四日より三日間営内宿泊
 中魚沼郡中条村夫教育補充兵五〇名は幹部付添ひ二日間営内宿泊
 何れも熱心に隊内起居動作を体験せられ戦闘動作其他を見学す
十五日 高田師範学校教頭柿沼教諭外職員生徒一五〇名一年現役兵を慰問せらる
十六日 四月入隊一年志願兵査閲を行ふ
十七日 作業特別教育開始
十八日 下士以上特別射撃 受賞者
 将校 井上少尉 若山少尉 堀内少尉 駒井少尉 藤川中佐
 下士 山岸軍曹 中村特曹 植木軍曹 藤内軍曹 天野軍曹 宮川曹長 安達伍長 菅沼軍曹 笠原特曹 栗原伍長
 歩兵大尉渡辺卯一郎命課式達式あり
 長岡工業学校生徒六四名は教官鈴木砲兵大尉に引率せられ十八日より三日間軍隊宿泊見学並に射窄射撃を実施せり
 渡辺大尉秋庭中尉出張
 下士臨海教育遊泳漕舟演習地理実査の為め郷津付近に出張す
二十日 連隊長、師団幹部演習の為め福島県へ出張
 予備役見習士官終末試験開始
 5軍曹伊藤貞吉 3上等兵角卯一郎 6同井上秀 十一同宮崎英治
 通信手教育助教助手を命す
 伍長 吉田善二 同柏森忠司
 陸軍飛行学校操縦学生候補者を命す
廿一日 第二回特別射撃(別項記事)
廿七日 下士臨海教育遊泳漕舟演習を中頸城郡谷浜村海浜にて行ふ
廿八日 廿八日より八月三十一日迄五週間午後練兵休止 師団経理検査

***

特別射撃

廿一日早朝から連隊の第二回特別射撃が実施された。
今回は本年入営の初年兵を加へて最初の競点射撃であるといふので兵卒諸君の力の入れ方も一通りでなく其の成績如何は何れも最も興味ある問題として期待しておつたのである、各中隊共最後迄可なり際どく接戦を演じたのであるが勝利の栄冠は遂に第十中隊の握る所となつた。

中隊 将校 准士官
下士
兵卒 { 平均 序列
小銃 軽機 平均
1 二〇、〇〇 一九、一三 一六 八六 一六、三〇 一六、七七 一六、九八 9
2 一八、二五 二二、七〇 一六、五八 一六、八五 一六、九一 一七、一五 8
3 一八、三三 二一、〇〇 一六、八三 二三、六八 一七、九一 一八、一〇 5
5 一一、六七 二二、一七 一六、四六 二三、〇〇 一七、五〇 一七、五九 6
6 一七、三三 一八、〇〇 一七、一八 二三、九〇 一八、三〇 一八、二六 4
7 二七、〇〇 一八、七五 一六、七六 二四、六六 一八、〇二 一八、三五 3
9 二〇、三三 二〇、八〇 一六、八九 一八、四四 一七、一三 一七、四八 7
10 一九、二五 一七、四二 一八、二四 二六、四四 一九、五三 一九、三二 1
11 一九、二五 二〇、〇九 一七、九八 二三、四〇 一八、九七 一九、〇八 2

因に当日の受賞者次の如し
准士官下士
 佐藤伍長 太田曹長 長谷川軍曹 久保田軍曹 天野軍曹 山崎特務曹長 加藤曹長 松沢軍曹 小杉軍曹 小林軍曹
兵卒第一中隊 広井徳松 町田一雄 竹内千代次郎 岩野金次郎 韮沢源一 関与二 大倉寅吉
第二中隊 諏訪茂一 淺野辰一 佐藤良平 相沢正雄 広川惣一郎 重泉末一
第三中隊 吉野達三郎 西片信次 星藤太郎 佐藤留吉 小日向重次郎 羽入田敏雄 西方教五郎 藤縄与蔵 笠原辰治 小林運造
第五中隊 小林友治 岩田直平 滝沢伊作 吉崎善吉 小野塚利吉 清水国吉 星野国治郎 遠山五郎治
第六中隊 中村利夫 松井博 駒沢綱吉 佐藤豊吉 古川新次郎 鈴木祥作 樋口国男 相沢寛一 関十三之助 宮本義則 北村嘉平治 伊藤兼雄
第七中隊 青山一郎 橋本久太郎 池亀数真 五十嵐義忠 樋口久太郎 高山次郎 笠井栄太郎 樺沢政司 神林直治 田宮清二 青木政雄
第九中隊 竹内幸平 鈴木昇 岡村武 勝沼伍作 市村房治 藤田庄三 小林源作 村越貞雄 武井辰三 高沢英一 鎌田好生 倉島勝治 栗原政信 池田慶治
第十中隊 星野長蔵 坂井高蔵 萩原賢一 佐藤重作 池田広仲 渡辺鉄治 草間一美 徳竹睦利 長藤喜八 豊田豊次郎 犬飼軍司 山宮三四郎 甲野高蔵 清水重作 本田虎雄 山口太忠治
第十一中隊 宮川袈裟治 穴沢兎喜雄 松沢賢造 桑原正作 佐藤広生 池田政雄 池田与一 品田平次郎 箕輪十一郎 長谷川与作 星野祐吉 高嶋富造 田村松三郎 田中倉次 近藤勝造 板垣義次

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人事異動

六月廿五日 第二中隊一年現役兵近藤巌同第六中隊歩兵二等卒古田辰雄
七月五日 第十中隊同一等卒吉崎三治
同十三日 第十一中隊同二等卒富井利正
 右疾病に依り各現役及兵役を免除せらる
 陸軍上等看護卒藤井一雄以下九名
七月九日帰休除隊
   歩兵第三十連隊付
      陸軍歩兵大尉 相葉 健
免本職補歩兵第七十連隊付私立関西学院中学部服務を命す
   歩兵第三十連隊付
      陸軍歩兵中尉 清水義虎
免本職補歩兵第五十連隊付長野県東筑摩農学校服務を命す
   歩兵第三十連隊付
      陸軍歩兵中尉 大谷武夫
私立有恒学舎服務を命す
   歩兵第十六連隊付
      陸軍歩兵中尉 浦山省二
免本職補歩兵第三十連隊付新潟県立能生水産学校服務を命す(七月十日)
      陸軍三等軍医 井上 勇
      同      浜田信吉
右陸軍々医学校に分遣中の処七月十六日退校帰隊
      陸軍歩兵軍曹 西沢角平
      同      高橋伝蔵
      同      北村繁一
      同      高沢誠一
右陸軍戸山学校に分遣中の処七月十四日卒業帰隊
七月二十七日伍長吉田善二同柏森忠司所沢陸軍飛行学校に入校

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天職は尊し
 (行軍感想の一節)

五智国分寺にて昼食を喫したる吾々は海の景色を愛すべく海辺に出づ此処にて一時間休憩の予定見渡す大海原の彼方には汽船の黒き煙りをはきて浮べるあり綱引と小舟の忙がしく行き交ふあり其の壮観言語に絶す休憩地より程近き処に綱引けるあり足を運びて其の様に打興じぬエンヤエンヤの懸声勇ましく老幼男女挙りて綱を引く其の心の表に現はれたる尊さ彼の人等は綱を引く以外の事は全て忘れ居れるなりされど其努力の報酬は余に少かりしなり綱にかゝれる魚は小鰯に其の外名の知らぬ魚なりき魚は未だ生きたれど数時間後には何処の人の口に入るらん尊き汗の報酬は余りに少かりしも尚ほ不満の色なき彼の人等の心情の尊さよ尊きものは天職なり時刻迫りて休憩地に帰る道すがら吾は思へらく此の広大なる海原に打よする波は絶えやらずされど此の波の時に大なるあり時に小なるありて同じからず吾は此の打よする波に何をか求めんと欲して求め得ざりしを如何にせん(歩三〇ノ一S生)

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舌代

営内月報は四分の一版四頁の月報と云ふ極めて小規模の新聞でありますが隊内一般の状態を知るに最も便利なものであります
一ケ月僅か二銭(来月号より第三種郵便物取扱となす予定)で精神修養情操陶冶の資料並軍事に関する新知識を得ることが出来るのみならず隊内の者は之れに依つて上下意志の一端を知る事が出来隊外の方は之れに依つて其子弟や朋輩が今軍隊に在つて如何なる軍務に服して居るか其状態は如何であるかが解ります皆様次に申述べます様な方法に依つてどしどし御買求めの程を御願致します
一、隊内者には歩三〇の酒保で販売します
二、隊外御希望の御方は可成く前金で一年又は半年分に取纏め直接発行所(春陽館)へ御申込下さい、前金御申込の御方に限り特に左の料金にて御願致します
 半年分  金十銭
 一ケ年分 金二十銭
外に郵税として六部迄一ケ月五厘を申受ます
従つて数人取纏めて頂けば御利益であります

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祝創刊

歩兵第三十連隊御用

陸地測量部御発行地図販売所

兵用図書
高級万年筆
楽器各種
運動具一式

春陽館書店

高田市上小町
振替東京五七五九番

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大正十四年八月一日発行 歩三〇営内月報 第一号 毎月一回一日発行 (四)

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在営下士兵卒諸君ノ父兄出身地方官公吏在郷軍人青年諸氏ノ投稿ヲ歓迎ス

〆切毎月十五日十九字詰二十行以内
紙面ノ都合ニ依リ掲載セザルコトアルベシ

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涼味

夏三題

中島せん竜

朝………。起床喇叭に跳び起きて、舎前の点呼に整列、青葉若葉を洩れて旭が輝く妙高の峰は絵の如く聳えてゐる。軈て間稽古も始まる。一日活動の第一歩………生気溢るる兵営の朝。
昼………。さしもの激しい戦も終つて、ホツト一息。敵も味方も又銃休憩。汗を拭つて勇ケ丘に腰を下ろす。面を払ふ涼風!のんどをうるほす水筒の水!互に笑ひ興ずる声、かうして疲れも忘れる練兵場の真昼。
夜………。余韻嫋々たる消灯喇叭に。舎内ヒツソリ静まつて、不寝番の足音が次第に微かに消えて行く。窓を流れ入るそよ風に蚊帳が絶えず波打つてゐる。戦友の鼾声に兵舎の夜は次第に更けて行く………。

所感

S生

吾々が向上してゆくと云ふところに人間としての真の価値があるのだ
吾々の心か善に働く時は神に近づきつゝあることを思はなければならぬ。そしてやがて神の恵によりて真に生くることが出来るのだ。
吾々の心が悪に働くとき神に遠ざかりつゝあることを思はなければならぬ。そして暗黒なる世界に彷徨して居ることをも。若し何時までも放つて置いたらやがて天の制裁を受くるか自滅すべきである。

俺の天幕

第五中隊 一兵卒生

俺の天幕
俺の天幕つたつて官給品だ。それが又珍品なんだから面白い。
老朽にして廃品にあらず。只古色蒼然として命旦夕に迫つてゐるもののやうだ。
余程昔製のものとて地はずつと薄くなり。色と来たら全くの異色で海老茶と云ふといやに艶めいて聞えるが。もう処々剥げて。強いて色つぽくすればまあオールドミスと云ふところだ。それでもあるべき処に穴もあるし具備するものは皆んなあるんだから、俺〓して亦連隊としても捨て難いものとして置くんだらう。
正月各班に蜜柑を渡す時一番悪いものを出せとて俺の天幕が選ばれたので俺は………亭主に戦死され二十五の若後家で乃木大将から遺族を代表して蜜柑を貰ひに出された母の話を思ひ出して寂しい気がした。
ひょつとしたら此の天幕は日露戦争当時のものではないかと、妙に思はれてならない大正の今日迄御奉公してゐる位だから、気丈夫ではあらうが、何にしろ歳が歳の老物故雨の日、風の日こき使ふのも気の毒なんだが、上官の命令なんだから仕方がないさ雨降りなどの行軍には、初めの内こそ元気がよいが、関町も過ないうちにすぐぐつたりしてしまつてどん〳〵水を透すので、重くつて、重くつて捨てゝしまいたい気がする。疲れ切つてゐる俺に負んぶして、老人の冷水を浴びながら泣いてゐるのと、未だ五里歩いても、ぴん〳〵してゐる他の天幕とを見比べた時他人ごとゝは思はれない老ゆることの物哀れさを感じた。

それでも仲々頑迷で、今時の若い品物になど負けて居らず、強硬に一人前の権利と、義務を張るんで、天幕演習の時なんか色も合はないし、生れが一時代異ふので紐の折合もつかず、何時も除けものにされてゐるのは彼にとつても不満であらう。お陰で俺は背嚢から下さずにすむのでこれも敬老の賜と喜んでゐる。そればかりでなく濡れた時に発する一種の臭が、変態に好ましいのと何処に干して置いても蹴つぱらはれる心配がないのが、どうしても俺に離縁話をする気にさせない。
どんな激しい雨降りでも飛行機から見下せば、あゝあれが進藤大尉の五中隊かといふ事がすぐ解る徳があるかも知れない………二大隊である事も三〇連隊と云ふ事も……こうして連隊で唯一の珍しい天幕に人の知らない苦と、喜を味はつてゐる俺も先だつての検閲の軍装検査の時来られた有野大尉に見つかるかと思つて、びく〳〵でゐた
かくて其の翌日数多の偉い人の目から逃れた俺の天幕は、勇敢にも関山へ向つて老翼を広げた。

    ――――七、一四記――――

***

夏の衛生 小川軍医

船乗の言葉に『夏の機関士冬の運転士』と云ふことがある、これは彼等の労苦を察しての言葉と思ふ軍隊衛生の上からすれば『夏の胃腸病冬の感冒とでも云はふか。一体夏は消化力が自然に弱つて来るから体重も減り胃腸も損し易いのである。昔から「口は禍の門」と云ふて居るが夏の衛生上最も注意せねばならぬものは暴飲暴食である。外には伝染病の黴菌が今や遅しと猛烈なる毒力を蓄へてゐる、内では胃腸の戦闘力が弱つて来る寒心すべき国防いや体防ではないか。生水の利害がよく論ぜらるゝ今日生水を飲むな等と云ひば時代後れのやうに思はるゝかも知れぬが「真理は永久」である。殊に公衆生活を営むで至る処自由に精粋な水の得られない軍隊では暍病の時以外生水は飲まぬ良習慣を付けることである。生水を飲むものは徒らに予防接種の効力を試験するものである。
氷水や不消化物寝冷等で痛めた胃腸は「チブス」や赤痢の黴菌の好い棲家である。
食物の序に食中毒の話をして見よう。
毒草や毒「ウツギ」で小児が生命を取られることは年々にある。軍隊で起る食中毒は一時に多数の患者が発熱吐瀉腹痛を催し苦むので同じ食物を食べて起るのである。
これは大いに炊事場で注意して居るから容易には起らないが、多くは猛毒力の黴菌例へばパラチブス菌等のためにやられるのである。腐敗缶詰肉、病状肉、しぐれ煮、古き鶏卵其の他魚状肉で疑はしいものはお互に注意することである。
宿営の時等は殊に戒しめて貰ひたい。
夏の行軍で恐しいものは暍病に罹ることである、これは強健なものであれば滅多に罹らないものである、霧雨の前夕方等に多い。行軍出発の前夜熟眠すること出発前飯欲の進まぬものは幹部に申し出ること水筒の湯茶を呑み尽して仕舞はぬこと、以上三ケ条を忘れなければ暍病に罹らずに済むのである

***

営内の愛嬌者

軍用鳩の便り

親鳩十四羽は本年四十五吉米の基礎訓練を卒へたる幼鳩九羽と共に七月廿六日より一ケ月の予定にて若松―高田間、百九十五吉米の山脈横断、長距離訓練を始めた優しい姿で吾等耐熱行軍の魁をするか

***

…詩…
 (夏の真昼)

新緑の桜の葉かげより、焼けつく様な陽の光がさして、なまぬるい風がさあつと頬をなでると、さらさらつと音を立てゝ木の葉は呻く

***

勇ケ丘

第二中隊 岡田緋紗弥

熱が光が遠慮なく伏姿の私の身体にふりそゝぐ
プーンと臭ふ草のいきれ
激しい心臓の鼓動と 流れ出る汗
前進は続く!
銃声のコダマは
青光つた原に金属性に響く
今突撃の予令か発せられた
ウワオツと一時に爆発した
突貫の音声

   ×   ×   ×

『状況終り』
熱が、光が遠慮なく私に降りそゝぐ、拭けど、拭けどひつきりなしに流れ出る汗、休憩十五分、 戦友と語り合ふ口より出づるほまれの煙七月の陽の稍西に回つた勇ケ丘で。

        一九二五七

***

和歌

思ふ事凡て敢果なき二十二の
 年は行くなり涙流るゝ  大野慶吉
賎家はまどに老松音きゝて
 かすかに拝む弥彦山かな 同人
故里の母なつかしみ我一人
  営舎いずれば雪の山見ゆ 同人

***

俳句

炎天や島の宝の一ツ井戸  本間友眠
日曜の舎前静かや春の雨  同人
瑞気満つる代々木の宮や初日の出  同人
花ばなと漕きいでにけりおらが友  宮川久一
諸とともに祝えやけふのはつ舟出  同人
弟に筆づてにせんおらが友  同人
月報を手にして笑ふ日やけ顔  同人

***

ならぬものは何か?

木津軍曹

一売つてならぬものは操
一買つてならぬものは怨恨
一破つてならぬものは約束
一守つてならぬものは利己主義
一通してならぬものは無理
一言つてならぬものは悪口
一聞いてならぬものは秘密
一取つてならぬものは賄賂
一暗くてならぬものは心
一負けてならぬものは生存競争

***

庭園の美化

第七中隊 金子友衛

近年我国に欧米の文化が盛んに入ると共に日本と欧米の長所よりなる建築物や庭園が出来て来ました、そうして我国の昔風の庭園よりも芝を植えたり果樹類花卉、蔬菜等を仕立た園の一隅に子供の運動場を加味して日光浴も充分に出来る活動的に趣味娯楽を主として造つた庭園が好まれる様になりましたそれで植物を植えて之れに手を加へ動物を飼育して之を愛護する等はやつて居る間に自己の芸術的娯楽が見出される事と思ひます。他日皆様が一家を経営するに際して屋敷内の空地軒先垣根等に至るまで種々植物を植えて住宅の周囲を美化し庭の隅に至るまでも四季折々の花が美しく咲いて我国には草も桜も咲きにけり一茶の句の様に美化する。新鮮な果実や野菜等は四季に応じて変つたものを一家こぞつて食膳に供する事は一興ありて一家の和楽をゆたかにし趣味を高尚になし勤勉の美風思想を着実健全にするなど又体育的に児童教育上に種々の効果が現れて楽しく生活の歩を進めてゆくことが出来ると考へます。
今まで申した様な事は既によく出来て居る所もありますが我国一般から見るとまだ〴 〵改良の余地が多くあります。従来のやり方では種類も乏しく栽培法や管理に至るまで疎漏ですから折角心をこめ度い苗や株を植えても植放しにして置くのが多いからしたがつて美観もあまり起らず趣味の涵養にもならないで終るのであります。
それで今少しく植物の種類や品種を豊富にし花卉や草木を問はず庭園木果樹蔬菜等其土地に適当した而もよい品種を植えて手入を完全にしたり異なつた隣家の花卉類と交換をなし又一本の親木を得て之を株分挿木接木圧条法等によりてだん〳 〵と繁殖を計つたならば手近かに金もかゝらず直ちに立派な庭園となる事と思ひます。
之等は予め計画を立て労力などは朝昼夕などの休を利用して娯楽的にやつたら造作なくやれます。
軍隊等に於ても舎前や酒保の付近に立派に位置されて造つた花壇が設けられてあるのですから数人に限らずなるべく多くの人が心をよせられ少しの休に立寄つて自ら雑木雑草の一本も除去し又害虫や病葉等も除去して朝夕美しい花に親しみを深くしたならば頭脳の疲労をも医し美的感情も誘発して無意識の間に植物に対する愛惜の念も生じ趣味も涵養せられて大いに価値あり有益なることと考へられますから特に御望み申す次第であります。
以下参考までに花壇の種類と花卉の栽培法を簡単に述べませう。

花壇の種類

一、模様花壇

この花壇は予め園地に黄白紅紫などの模様を描いてその通りに色彩の異なりたる種々の花をとりまぜて栽植するものですが花はなるべく丈けのひくいものがよくあります。

二、彩色花壇

この花壇は短期花壇を貴び花の種類如何にかゝはらず同期間に開花すべきものをとりまぜて栽植するものであります。

三、季節花壇

この花壇は四季折々の花を植え込み年中その季節に相当せる花の色や香を観賞するもので此花壇はその興味多くあります

四、リボン

この花壇はしやうへきにそふて設くるもので花にても又葉にても美麗なものを植え込むものですその際長いものは後方に短いものは前方に植え込むことを忘れてはならない。

五、ピラミツド

この花壇はその中央に丈けの高い花を植え込み漸次低いもので取り巻いて栽植するものであります(以下次号)

***

編集便り

大変お粗末な出来栄えをお目に懸けまして編集委員一同甚だ恐縮の至りです只私共が此の道にかけては何等経験のない純然たる素人であると云ふ点に免じ又繁忙な本務の余暇に費した努力をお汲みとり下さいまして幸にも寛大なる御批判を賜はらんことを切望して已まない次第であります。
御多忙中甚だ御無理なお願ひでありましたにも拘はらず有益なる御投稿を沢山頂戴致しまして何と御礼の申上げやうもありませぬ生憎紙面の都合で次号に回はすべく余儀なくされた分も少なくありませぬが悪しからず御了承の程をお願ひ致しておきます。これに懲りず今後共どし〳〵御投稿あらんことを切望致します、
何はともあれ「我れ等の新聞」の誕生といふ事実に対しては読者諸君と共に満腔の祝意を表し幸にも諸君の御援助に依り益々将来の発展を期し度いと思つて居ります尚不備の点や御希望の事がありましたなら御教示を願ひます次号から「読者の声」の一欄を設けますから

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広告欄

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軍服軍帽に就て 人は其服装と行動と相一致し行動と精神とは又一致するものであります故に在郷軍人として活躍せらるゝには是非軍服が必要で在ります故に錬磨せられし軍人精神の発動に依り世上の教導と成らるゝに於ては軍服の御調達を御忘れなき様願ます
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