歩兵第三十連隊


通称号・豊五六二三 編成地・高田(*注・一) 編成時期・明治三十一年三月二十四日軍旗拝受(*注・二) 終戦時の上級部隊・第二十八師団 終戦時の所在地・宮古島 最終連隊長・富沢国松
 当初は第二師団の隷下で、日露戦争では蛤蟆塘、摩天嶺などの戦闘に参加。弓張嶺の夜襲では壮絶な戦闘を展開した。明治四十一年、第十三師団のもとに配属替えとなり、さらに大正十四年となって再び第二師団にもどって、満州事変ではハルビン、北満爽信子(*注・三)付近の戦闘に参加。また日支事変、ノモンハン事件でも活躍し、昭和十五年八月、新編の第二十八師団に併合され麻布第三連隊や鯖江第三十六連隊とは兄弟連隊の関係になった。
 その後は再びハルビンの警備に当たっており、太平洋戦争が勃発してからもしばらくは満州に駐屯していたが、昭和十九年、臨時編成の下令によって宮古島に転進し、そのまま終戦を迎えている。

*補足(藤本)
 本文中に(*注)とある箇所は、藤本が書き加えたものである。原文に(*注)という表記はない。


*補足二(藤本)
 以下、藤本の注記。

(*注・一) そもそも、歩兵第三十連隊は、明治二十九年十一月十二日、新発田の歩兵第十六連隊内に創設され、村松を屯営とする、村松歩兵第三十連隊となった。そして、大正十四年五月五日に、同連隊は村松から高田に移駐し、高田歩兵第三十連隊となった。つまり、正確には、「村松 → 高田」のような表記が望ましい。

(*注・二) 編成時期の項に、軍旗拝受の日時が記されている。やや問題のある表記といえる。歩兵第三十連隊は、明治二十九年十一月十二日に創設されているので、この日をもって、編成時期とするのが望ましい。または、編成時期と軍旗拝受の項をそれぞれ設けて、別個に日時を記すのが好ましい。

(*注・三) 正しくは「夾信子」



引用文献
地域別 日本陸軍連隊総覧 歩兵編』 新人物往来社



戻る