伝書鳩 (『尋常小学国語読本 巻十』より)


表紙

題名
尋常小学国語読本 巻十
著者
文部省
出版
東京書籍

昭和四年五月二十日翻刻印刷
昭和四年六月十九日翻刻発行
備考
昭和四年五月二十二日文部省検査済


第十一 伝書鳩

 宝玉をちりばめたやうなかはいゝ目、紅をさしたかと思はれるやさしいくちばし、美しい羽毛に包まれた円い胸、鳩は見るからに愛らしいものである。此の愛らしい小鳥が、他の方法では全く通信が出来なくなつた場合でも、いろいろの困難ををかして、遠い処まで使者の役目を務めると聞いては、誰でも驚かない者はあるまい。
 鳩を通信に使つたのは、余程古い時代からの事で、殊に一時は非常に盛に行はれたが、無線電信などが発明せられて以来、自然軽んぜられるやうになつた。ところが、先年の欧州大戦で、やはり此のやさしい、しかも勇ましい通信者の働の偉大な事が証明せられたので、今では各国共に盛に伝書鳩の改良に力を用ひ、其の飼養を奨励してゐる。
 鳩は余程遠い処で放しても、正しく方向を判定して、矢のやうに自分の巣に飛帰る。それ故鳩の体に手紙を付けて放せば、容易に通信が出来るのである。


 普通伝書鳩を使用する方法は、一定の飼養所から他の土地に連れて行つて、飛帰らせるのである。しかし此の外に、往復通信の方法もある。それは、予め甲乙の二地をきめて置いて、一方を飼養所、一方を食事所とし、飼養所から食事所へ通つて食物を取るやうに馴らして、其の往来を利用するのである。鳩は一分間に約一キロメートルも飛ぶ力があるから、四五十キロメートルの処を往復して食事するぐらゐは何でも無い。又暗い時の飛行に馴れさせて、夜間に使ふ事も出来るし、飼養所を移動し、其処を見覚えさせて飛帰らせるやうにする事も出来る。
 鳩に手紙を運ばせるには、足にアルミニウムかセルロイドの細いくだを付け、又は胸に袋を掛けさせて、其の中に入れるのである。


 伝書鳩を利用する場合はなかなか多い。飛行機の不時着陸地点を知らせたり、漁業者が沖から獲物の多少や難船の有様を通知したり、登山者が路に迷つて危険におちいつた時、救を求めたり、いろいろに利用する事が出来る。又戦争の時戦線から戦状を報じたり、援兵を頼んだりするに使ふのも其の一つである。殊に要塞が敵にかこまれて、無線電信機は破壊せられ、伝令使は途中で要撃せられ、全く方法の尽きた場合などには、此の勇ましい小伝令使にたよるより外はない。
 あゝあのかはいゝ鳩が、一度任務を命ぜられると、勇ましく高空に輪を画がきながら、しかと方向を見定め、矢のやうに目的地へ向つて飛んで行くのを見たならば、何人も其のかしこさと勇ましさに感心しない者はあるまい。



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