『鳩の戦術的用法』


表紙

題名
鳩の戦術的用法
著者

出版


大正十三年七月
備考
『偕行社記事』第五百九十八号付録


欧州戦の教訓に基き鳩は軍用通信機関として独特の長所を有し重要欠くべからざるものたることを実証せられたるを以て我国軍に於ても大正八年軍用鳩調査委員を設けて之が調査研究を再興して以来年を閲すること約五年此の間或は各兵学校及軍隊要塞等の一部に鳩を分置し或は西伯利亜、薩哈嗹派遣軍等に鳩を配属し研究及実用に供したるに其実績見るべきもの多く軍用補助通信機関としての価値は内外の等しく認むる所となり又昨秋関東地方の震災時に於ける経験は平時の実用上にも亦頗る有効なるものたることを確認せらるゝに至れり
本編は鳩の戦術上の用法に関し委員をして研究せしめたるものにして固より完璧を期し難しと雖近く各師団に鳩を配属せらるゝに至りたるを以て参考の為め掲載することゝせり

軍用鳩調査委員長  畑 英太郎

***

鳩の戦術的用法

軍用鳩調査委員

目次

総則 一

第一章 鳩の用途 五
 第一節 鳩舎鳩(コヤバト) 五
 第二節 鳩車鳩(クルマバト) 六
 第三節 夜間鳩 七
 第四節 往復鳩 八

第二章 鳩隊の用法 九
 第一節 鳩通信網の構成 一〇
 第二節 集中間 一六
 第三節 行軍間 一七
 第四節 運動戦 一八
  第一款 要領 一八
  第二款 攻撃 一九
  第三款 防御 二一
 第五節 陣地戦 二二
 第六節 後方管区 二三
 第七節 要塞 二四

第三章 通信実施 二七

***

鳩の戦術的用法

総則

第一、本書の目的は鳩隊の運用竝之に必要なる鳩の各種事項を記述するにあり

第二、鳩には鳩舎に生育し之に向て帰還するものと鳩車に容れ移動するも之に帰来するものとの二種あり何れの種類を問はず昼間片道通信を為すを本然とす然れども適当なる鳩に特別の訓練を施す時は夜間の通信に使用し又は往復通信を為さしめ得るものとす

第三、通信距離は鳩の良否・天候・地形竝訓練の度等に依り一定すること能はずと雖も一定の鳩を一定の方向にのみ使用する場合に於て其の能力最も増大するものとす其の場合に於ける実用通信距離の標準は概ね左の如し

一、鳩舎鳩  約三百粁
二、鳩車鳩  約五十粁
三、夜間鳩及往復鳩各約五十粁

第四、鳩の飛翔速度は鳩の良否・天候等に依り差異あるものにして天気晴朗無風の場合には善く訓練せられたる鳩は一分間概ね一粁を標準とす然れども鳩を放ちたる時及鳩車(舎)に到着するに当りては通常旋回を行ふものなるを以て短距離通信に於ては之が為死節時を生じ従て右の速度を減少するものとす尚雨・雪・濃霧等は鳩の飛翔速度を減殺し方向判定能力を弱むるものなり

第五、鳩が遠距離より帰来するは方向判定に要する天賦の特性に依ること勿論なるも此の本能は訓練に依り始めて発達するものなり又万難を排し速に帰来せんとする強固なる意志は己の属する鳩車(舎)竝鳩飼育者に対する愛着心に基くものとす

第六、訓練すべき課目は馴致・日々の運動飛翔及通信準備の為にする放鳩訓練とし尚鳩車に対しては以上の外移動性を賦与するものとす

第七、鳩通信を準備するには鳩車(舎)より訓練を終れる故障なき鳩を取り其の用処に応じ之に適する籠に容れ鳩哨に送るものとす、閉置する期間は訓練程度・訓練日数・距離・鳩哨服務回数・鳩の状態及閉置方法等を顧慮し其の都度之を定む而して短時日間に訓練せられたる鳩車鳩に在りては最初の時機に於て一日以上閉置せざるを可とするも善く訓練せられたる鳩舎鳩にして其の方法宜しきを得ば数十日に亙り閉置し得るものとす

第八、通信のため鳩を放つには其の位置に関し左の注意を要す

一、敵と対峙せる場合には発信者の位置を敵に秘匿するため其の都度放鳩位置を変更すること
二、飛翔の際鳩の翼を損傷する処ある電線等の付近を避くること
三、情況之を許さば鳩車(舎)方向に対し成るべく地形の開濶せること

第九、鳩に依る通信は他の通信手段欠如し又は著しく不確実となり鳩に依るの外迅速確実なる通信法なきとき要図・写真又は図解・表示等を以て通信するとき又は無線電信の如き通信法を用ひ得る場合に於ても隠密を主とするため之に依る能はざる場合に於て特に効果を呈すべき特種通信法にして其の用途を具体的に述ぶれば概ね左の如し

一、第一線付近の有線通信敵弾のため故障続出し無線通信は秘密保持の関係上単簡なる記号の交換に止り視号通信も戦場の塵煙等に依り用をなさゞるに至りたる場合
二、捜索・偵察又は観測者にして報告のため他の通信機関を携行し能はざるか若は其の通信確実を欠くに至りたる場合特に敵線内に潜入し適時其の結果を後方に報告せんとする場合
三、繋留気球上よりする他の通信法用をなさざるに至りたる場合
四、航空機上より敵に察知せらるることなく竊に報告を呈し又は不時着陸の際(此の如き際は多くは無線電信を使用し得ず)之を報告せんとする場合
五、他に通信の設あるも輻湊の結果迅速なる通信を行ひ能はざる場合(例へば戦況視察のため上級司令部より派遣せられたる将校又は司令部相互に交換する将校等が通報報告を発送せんとするも通信輻湊し付近の通信網を使用し得ざるとき等)
六、要塞・独立せる守備部隊竝陣地の一部等にして敵の重囲に陥り又は遮断せられ他の通信手段なきか若は其の確実を期し得ざる場合
七、小部隊(討伐隊・派遣隊の如き)等にして有線・無線の通信機関を携行し能はざる場合
八、戦車・装甲列車等より適時情況を後方に報告せんとする場合
九、敵国内に配置せる特別任務者より報告を呈せんとする場合(此の場合に於ける鳩の携行及補給は飛行機に依ること多きものとす)
十、敵に分断せられたる友軍間の通信を要する場合

第十、鳩車(舎)に鳩を移殖するには生後約一ヶ月の幼鳩を馴致上最も適当とし年齢を増加するに従ひ馴致益々困難にして失踪多きを加ふるものとす

第一章 鳩の用途

第一節 鳩舎鳩(コヤバト)

第十一、鳩舎は鳩に健康と愛着心とを与ふるため完全なる設備を有し且常に一地に固定しあるが故に鳩の最大能力を発揮せしむることを得べし

第十二、鳩の実用通信距離は当歳鳩に在りては約百粁二歳鳩に在りては約二百粁を標準とし約三百粁の実用通信のためには三歳以上の鳩を使用するを通常とす

第十三、将来戦場と為り得べき予想地域には平時より鳩舎を適当に配置し置くときは作戦の初期に於て飛行機・騎兵若は間諜に便利を与ふること大なるものとす又要塞には其の性質上鳩舎を常設するの必要あり

第十四、作戦の経過を予想し後方連絡線の延長すべき作戦軍に対し作戦の進捗に伴ひ鳩舎を逐次に配置する時は後方連絡上の通信を確保するに便なり

第二節 鳩車鳩(クルマバト)

第十五、鳩車は任意の地点に移動して短時日の馴致に依り通信網を構成し得るが故に戦場に於ける用途甚だ大なり然れども鳩車は某程度迄其の容積を犠牲に供するため鳩舎に比し鳩の愛着心及健康保持上欠くる所あり且移動の習慣を保持する必要のため一地に永く停止して長距離の飛翔を強要すること能はざるを以て其の通信距離は鳩舎に比し遥に減少するものとす

第十六、鳩車鳩は生地に移動後準備日数の増加に伴ひ通信距離を遞加し得るものにして其の方法宜しきを得ば一日を以て約五粁又は七日にして約五十粁を準備し得るものとす但し生地移動後の馴致竝訓練の難易は旧地に於ける整置日数の長短及新旧両地点間の距離の大小等に関係あることを顧慮するを要す

第十七、鳩車の位置は成るべく指揮官の位地に接近し敵弾・敵眼を避くるに便にして而も鳩車付近には鳩の帰来を妨げ或は飛翔のため障害となるべき地区・地物の存せざるを可とす

第十八、鳩車は大型及小型に区分す大型は比較的地形の制限を受くるも収容鳩数の多きと保育上便なるとの利あり小型は利害概ね之に相反するを以て状況・地形に応じて之を適用するものとす

第十九、鳩車鳩は常に移動性を保持すること必要なるを以て通信に支障なき限り移動訓練を実施するを要す

第三節 夜間鳩

第二十、夜間鳩は薄暮飛翔・夜間飛翔及放鳩の諸訓練を秩序的に施行したる後実用に供し得るものにして通信に際しては夜間のみ服務せしめ昼間は鳩車(舎)内に在りて休息せしむるを通常とす

第二十一、夜間鳩車(舎)は車(舎)内に夜間の照明設備を必要とするを以て敵に発見せられざる如く点灯すること特に必要なり

第二十二、夜間鳩車(舎)の位置は概ね第十七に準ずるも飛翔の障害たるべきもの殊に電線に対しては一層の注意を必要とす

第二十三、夜間訓練を容易ならしむるためには移動訓練を終りたる鳩を使用するを有利とす

第四節 往復鳩

第二十四、往復鳩は棲息鳩車(舎)と食事鳩車(舎)間を往復するものにして棲息鳩車(舎)は固有の鳩車(舎)を其の儘使用し他の食事鳩車(舎)は巣房なき鳩車(舎)又は巣房を閉鎖したる普通の鳩車(舎)を使用するものとす

第二十五、此の種の鳩車(舎)は日々定時刻に通常雌雄各一往復通信を実施し得るも近距離に於ては雌雄各二回実施し得べし
従て定時命令報告の伝達を行ふため命令受領者若は伝騎を節約し得るの利あり又一地に永く滞在しあるときは各司令部間の連絡に多大の便宜を与ふると共に要すれば司令部と共に移動することを得るものとす

第二十六、往復訓練を迅速ならしむるためには交配せる鳩にして移動訓練を終りたる鳩を使用するを有利とす

第二章 鳩隊の用法

第二十七、鳩隊は野戦軍に配属するものは鳩車を以て兵站及守備部隊等に配属するものは鳩車及鳩舎を以て編成せらるるを通常とす

第二十八、鳩隊は軍に配属せらるるを通常とし軍は作戦上の顧慮に基き各師団・軍直属の騎兵集(旅)団・航空部隊及砲兵部隊に小隊若は若干鳩車を分属す然れども軍司令部は自己直接の用途竝将来に於ける補給を顧慮し常に若干の鳩車を掌握すること必要なり

第二十九、通信のため鳩車(舎)より鳩を分配せられ鳩通信の発信に任ずるものを鳩哨と称し通信を開始したる鳩車(舎)位置を鳩通信所と称す

第三十、鳩隊に有する鳩の補給は自ら実施するの外後方より補給せらるるものとす人員・馬匹・器材の補給は一般の戦闘部隊に準ずるものとす

第一節 鳩通信網の構成

第三十一、鳩通信網の構成は電気的通信と趣を異にし戦闘間に在りては通常師団司令部付近の線に鳩車を配置し之より所要の鳩哨を下級部隊に配属し又は必要の位置に派遣す而して通信は其の系統の如何に拘はらず該鳩車を経由すべきものなり而して連絡の確実を期する場合にありては鳩車の間隔は鳩の通信可能距離を超過すべからず又鳩車の数に比し広地域に亙り鳩通信網を拡張せんとするときは鳩車の間隔は鳩通信可能距離の二倍に離隔することを得るものとす

第三十二、鳩哨配置に当りては左の件を顧慮するを要す

一、一般通信網の景況
二、鳩を要する通信の多寡
三、使用し得る鳩数
四、補給期間の長短

一般に鳩は総数の約三分の一を使用し他の三分の一宛は各休憩及補給用に充つるを通常とす

第三十三、鳩通信所受信者の位置と離隔しある時は通信を受信者に速達するの準備をなしあること肝要なり之がため他の通信網の関係を顧慮し要すれば特に電話線の架設を要求するものとす

第三十四、鳩隊長(分属せられたる小隊長・鳩車長)は常に指揮官と密接に連絡し成るべく速に指揮官の意図を承知すると共に要すれば技術上に関する意見を述べ指揮官をして鳩通信の利用を適切ならしむるに努むべし

第三十五、鳩隊(小隊若は鳩車)を配属せられたる指揮官は鳩通信網構成に関し訓練計画上の準縄となるべき左の事項を先づ命令し次で鳩哨配置に関し命令すべきものとす

一、敵情竝友軍の情況
二、我軍の目的
三、鳩車配置に関し必要なる事項
四、訓練方向及要すれば各方向に使用すべき鳩数の比率
五、訓練距離の概要及訓練の終了若は通信開始の時期
六、鳩通信所選定に関し参考となるべき事項(例へば道路・地形の概況・他の通信施設の景況等)
七、指揮官の位置若は報告収集所の指示成し得れば将来此等の予定する地点要すれば指揮官との連絡法

第三十六、鳩隊長(分属せられたる小隊長・鳩車長)は前項の命令に基き直に鳩車位置を偵察し進入の方法及準入の時機を決定し訓練計画を立案し鳩車竝所要の人員器材を鳩車位置に派遣し直に訓練に着手す而して隊長は常に訓練の景況を指揮官に報告するものとす

第三十七、鳩隊長(分属せられたる小隊長・鳩車長)は他の通信部隊長と連絡し其の景況を知り互に協力するを必要とす

第三十八、鳩隊(小隊若は鳩車)を配属せられたる部隊長は訓練を終了するか若は各鳩所望の通信距離を有するに至らは鳩哨配置に関する命令を下すものとす之がため概ね左の事項を命令するを可とす

一、敵情竝友軍の情況
二、我軍の目的
三、鳩哨を配属する部隊若は派遣すべき位置並鳩哨の種類
四、鳩及器材交付の方法及時刻
五、鳩の交付所

鳩及器材交付に関し指示するに当りては鳩通信所と鳩哨との関係位置・通信の多寡及訓練方向を顧慮し鳩を出すべき鳩通信所及鳩数を適当に按配するを要す又各部隊に鳩及器材を運搬すべきや或は各部隊より運搬者を出すべきやを決定すること必要なり

第三十九、鳩の配属を受け鳩哨を配置したる部隊は速に之が配置を指揮官に報告し鳩隊長及其の他必要の箇所に通報するを要す

第四十、鳩哨の配置を受けたる部隊は主として鳩を使用することあるべし此の如き際は鳩哨の鳩は其の数少きを以て鳩隊長は之が補給を迅速ならしむるため鳩哨に近く交通容易なる地点に前進交付所を設け諸種の手段を尽して鳩を補給せざるべからず

第四十一、鳩通信所を開設せば所属部隊長に報告する外直に付近の各部隊に通報するものとす

第四十二、控置する鳩車は爾後の用途を顧慮して其の位置を決定し地形の偵察其の他所要の準備をなさしむるものとす之がため指揮官は鳩使用に関し将来の意図を示すを要す

第四十三、鳩車は軍隊一般の部署により自然に援護せらるべしと雖も敵襲に対し鳩車を援護するは付近にある部隊の義務とす

第四十四、鳩哨は歩兵鳩哨・騎兵鳩哨・砲兵鳩哨・飛行機鳩哨及気球鳩哨等とす

第四十五、歩兵鳩哨は鳩取扱兵二或は一、鳩四、歩兵籠二、其の他器材若干より成り歩兵連隊に配属するを通常とし主として第一線部隊又は斥候に配属す、騎兵鳩哨は鳩取扱兵二或は一、鳩三、騎兵籠二、其の他器材若干より成り師団騎兵に配属するを通常とし主として捜索のため派遣する斥候、小部隊に配属し又は高級指揮官との通信に使用す
砲兵鳩哨は歩兵鳩哨に準じ砲兵隊に配属するを通常とし主として斥候又は連絡将校等に配属す
飛行機及気球鳩哨は搭乗者放鳩するものにして通常飛行機には鳩二、飛行機箱一、気球には鳩四、歩兵籠一、其の他器材若干とす
監視哨、連絡者、航空隊の地上部隊と配属司令部との連絡其の他特種のものに配属すべき鳩哨は其の用途に応じ前記の鳩哨を使用するものとす

第四十六、鳩哨の鳩取扱兵は鳩哨を配属せられたる部隊より出すを本則となすも特別の場合に在りては使鳩隊より鳩取扱兵をも派遣することあり

第四十七、航空機と地上の通信及航空機の不時着陸せる場合の通信にありては特に鳩通信を有利となすを以て概ね常に航空隊に鳩哨を配属するを必要とす

第四十八、鳩哨に派遣せられたる鳩に対し規定外の飼料を給する等愛撫により鳩の帰巣能力を害するは不可なりと雖も適度の給水、必要の休憩をなさしめ通信のため放鳩するに際し直に飛翔し得るの状態にあらしむること必要なり

第二節 集中間

第四十九、軍の集中間に於ける通信は電信電話網概ね完備するを以て鳩通信を必要となす場合少なかるべしと雖も左の如き場合にありては有利なる補助通信とす
一、居民敵意を有し有線通信網屢々破壊せらるる場合にありて無線電信網の補助とす
二、集中援護部隊又は前方に拠点を占領して敵情を捜索する騎兵部隊に鳩隊の一部を配属して其の隊の使用に供すると共に後方司令部との連絡の補助とす
三、集中間成し得れば航空隊に鳩隊の一部を配属して鳩を航空機搭乗者に携行せしむ
四、敵情捜索のため派遣せらるる斥候、小部隊等に鳩哨を配属す

第五十、鳩通信を利用するの企図あるときは鳩隊の一部を初期の集中部隊と共に集中地に到着せしめ成るべく準備訓練に多くの日時を存せしむること必要なり

第五十一、鳩隊集中地に到着せば通信実施の任務を有するものと然らざるものとを論ぜず全鳩車の訓練を開始し作戦地の地形風土等に慣れしむること必要なり新に鳩を充実し若は補充せる鳩車にありては特に然りとす

第三節 行軍間

第五十二、行軍間鳩を利用すること少し然れども時として既に通信を開始せる鳩車の一部を旧位置に停止せしめ隔離せる側方の縦隊航空隊等に鳩哨を属し或は前方に派遣せる斥候又は小部隊等との間に電気的通信を介して無線通信の補助となすを有利とすることあり

第五十三、軍が連日行軍をなす場合には鳩隊は通常前方師団長の区署により行軍するものとす

第五十四、戦闘を予期するに至れば機を失せず鳩隊の配属を決定せらるるものとす、此の際鳩隊を配属せられたる団隊は援護の許す限り成るべく前方に鳩車を前進せしめ鳩通信網構成のため日時の余裕を多からしむるに努むること必要なり

第四節 運動戦

第一款 要領

第五十五、運動戦にありては概ね常に他の通信施設を使用し得るのみならず戦闘の経過竝戦場の転位迅速なるを以て鳩通信は陣地戦に比し使用の機会少しと雖も戦闘の終局を告ぐるに二・三日以上を要するが如き戦況にありては補助通信として有利に使用し得べし

第五十六、運動戦にありては防者は概ね常に鳩の必要を生ずべしと雖も攻者の鳩を使用するは最前方に行動し或は敵線内に潜入せる斥候若は小部隊等の報告を送達するに他の通信手段なきとき或は隔離せる部隊と其の主力間に通信施設充分ならざるとき又は最前線の部隊敵に近迫し通信手段甚だ不完全なるとき等に於て有利なるものとす

第五十七、運動戦にありては戦況の推移を予察し援護し得る限り諸種の手段を尽して鳩車を成るべく速に前方に配置して訓練に着手せしむるを要す然れども一部を後方に位置せしめ先づ速に通信を開始し稍々遠距離の通信に利用するを必要となすことあり

第五十八、運動戦にありては第一線歩兵部隊・騎兵隊・砲兵隊・航空隊に鳩哨を配属するを通常とするも航空隊及砲兵隊には鳩車を配属するを有利とすることあり

第二款 攻撃

第五十九、軍及師団は攻撃に際し攻撃計画の大要を決定し鳩通信利用の状況を推察し得るに至れば鳩隊に鳩通信網構成の基礎たるべき事項を示し速に鳩の馴致を開始せしむること必要なり而して其の後に至り更に鳩通信網構成に関する命令を下達するを有利とす

第六十、鳩隊長は攻撃開始前及攻撃当初使用せらるべき鳩哨に充当する鳩を最初に放鳩訓練をなし直に実用通信に使用する準備をなすべし

第六十一、攻撃の進捗に伴ひ高級指揮官其の位置を転ずるを予想するときは所要の鳩車を控置し適当の時機に第二の位置に之を配置し攻撃の経過間通信を中絶せざることに努むるを要す

第六十二、攻撃にありては第一線歩兵部隊の突撃前及敵陣地に突入後鳩通信の必要を生ずること多きを以て適時第一線歩兵部隊に鳩哨を配属するを必要とす

第六十三、第一線歩兵部隊の指揮官は屢々其の位置を転じ且敵火に遮蔽すること困難なるを以て第一線歩兵部隊に鳩車を配属するは概ね価値少きものとす

第六十四、攻撃間騎兵の大部隊、軍の翼側に行動する場合に於ては之に鳩車の配属を必要とすること多し

第六十五、砲兵指揮官をして其の射撃指揮を適切ならしめ決勝の時機に於ける歩砲の協力を密接ならしむるため通信網の景況により多くの鳩哨を配属するの必要なることあり斯の如き際は成し得れば鳩車を配属するを有利とす

第六十六、攻撃功を奏し追撃隊を派遣するに際しては成るべく前方の鳩車より鳩哨を派遣するを必要とす

第六十七、攻撃奏功後過早に鳩車を前進せしむるは却て通信を中絶し此の間鳩を失踪することあり

第三款 防御

第六十八、防御にありては他の通信施設を完備し得べしと雖も優勢なる砲兵を有する敵により破壊せらるること多きものとす而して鳩訓練のため多くの時日を使用し得べく又鳩通信所の転位を要すること少きを以て鳩通信は有利に利用せらるるものとす

第六十九、警戒陣地及其の前方に出ずべき部隊には多くの鳩哨を配属するを必要とす

第七十、防御陣地に於て他の通信設備の破壊若は通信の妨害せらるるは第一線付近なるを以て鳩車は成るべく前方に使用するを有利となすも鳩車位置に適当なる地形は敵眼敵火に遮蔽すること困難にして援護の処置をなし若は掩壕内に置くときは日々の運動飛翔放鳩訓練を実施し得ざるが故に他の通信網の関係を顧慮して通常師団司令部付近の線に鳩車を配置せざるべからざるに至る然るときは最前線の歩兵部隊或は砲兵斥候等より其の指揮官に発送する通信は後方の鳩車より伝令又は他の通信により伝達せらるるものとす

第七十一、防御にありては全鳩車を同時に使用し得る場合多きを以て攻撃に比し多くの鳩哨を派遣することを得然れども戦況を予想し適当に交代鳩を控置すること必要なり

第七十二、防御にありては騎兵部隊・砲兵部・航空隊に鳩車を配属するを有利とすること少からず

第七十三、敵を撃退し之を追撃するに至るも過早に鳩車を転位すべからず追撃間他の通信殊に有線通信の追及通常遅延するを以て鳩通信の利用せらるること多く此の際鳩車は旧位置に駐止しあらざるべからず

第七十四、退却を予想するときは一部の鳩車をして成るべく鳩を回収して先行せしめ爾後の使用の準備をなさしむるを必要とす残余の鳩隊は退却実施に際して他の部隊に先ち退却せしむるを有利とす

第五節 陣地戦

第七十五、陣地戦にありては運動戦に比し攻防両者共に各種通信機関を使用し巧妙なる通信網を構成し且其の援護のため諸種の手段を尽すと雖も猶敵の妨害砲弾爆煙等のため障害を受け鳩通信の外全く通信手段なきに至ることあり

第七十六、陣地戦にありては訓練のため多くの日子を使用し得るを以て計画及訓練を綿密にし通信を開始するに当り通信能力確実なる多数の鳩を使用することに着意せざるべからず

第七十七、陣地戦に於ける鳩哨配置の要領は運動戦に於けると概ね同一なるも不意に他の通信の断絶すること多きを以て仮令鳩使用の必要を感ぜざる場合に於ても重要の場所には常に鳩哨を派遣し置くを要す

第七十八、陣地戦に在りては鳩車の援護確実にして訓練に支障なき限り第一線部隊使用の鳩車は成るべく前方に配置するを必要とす

第七十九、対陣長きに亙るときは鳩車の外堅固なる建築物を利用して鳩舎を設備し鳩通信所となすを必要とす
又往復鳩及夜間鳩を訓練し使用するを有利とす

第八十、後方管区に於て居民敵意を有し屢々有線通信網を破壊せらるるが如き状況にありては鳩通信は其の価値大なるものとす
兵站部隊は予備移動性通信器材を有せざるを以て後方管区内の戦闘に於ては鳩の必要特に大なるものとす

第八十一、後方管区に於ては鳩舎を使用するを本則とす然れども新に鳩舎を設備するときは収容鳩の訓練に時日を要するを以て此の間為し得れば一時鳩車を使用するを可とす

第八十二、後方管区に於ける鳩通信所は兵站地・守備隊駐屯地等に設くべきものとす而して各通信所間の連絡は勿論守備隊の行動に際し鳩哨を配属し得る如く鳩を訓練するを要す

第八十三、適切なる往復鳩の利用は鳩哨配置の煩を醫することを得るものとす重要なる地点に於ては夜間鳩を訓練すること必要なり

第七節 要塞

第八十四、要塞には要塞内部相互間竝外部との連絡のため平時より各種通信機関完備しありと雖も一度敵の攻撃開始せるるや通信の障害を受くること陣地戦に比し遥に大にして此際鳩は重要なる通信機関たるに至るものとす

第八十五、要塞には平時より鳩舎を設置し自ら蕃殖を為し戦備に際し直に使用し得る如く訓練しあるを要す

第八十六、要塞に於ける鳩舎は敵火に対し確実に援護し得る如く設置し要すれば鳩舎を適宜分置して縦ひ其の一部を破壊せらるるも尚最後の時機に至る迄鳩を使用し得るを要す
又蕃殖に必要なる諸設備を完備し常に通信能力確実なる鳩を充分備へあるを要す

第八十七、要塞に於ける鳩は其の要塞の位置・任務に応じ有利に使用し得る如く訓練すること必要なり即ち要塞自己の戦備竝戦闘のため要塞内部を確実に連絡し得るのみならず隣接要塞及他の重要地点と連絡し得るを要す之がため要塞の鳩舎には之等要塞内外との通信に必要なる閉置室を設け且平時より閉置訓練を行ふこと緊要なり而して外部との連絡には為し得れば往復通信を可とすれども遠隔なる地点との通信のためには航空機を以て鳩の補給をなすの必要なること屢々之ありとす
夜間も亦訓練使用するを要す

第八十八、要塞に於ける鳩哨の配置は其の戦備計画に応じ之を定むべきも其位置概ね左の如し
地区司令官(独立せる分遣隊長)・地区砲兵長・支撑点守備隊長・堡壘・砲台・要塞監視哨・電燈所・各種哨船・近海に於て協同策戦する艦隊・航空隊

第八十九、臨時要塞を設くべき予定位置には平時より鳩舎を設置するを有利とす然れども若し其の設備なき場合に於ては戦時成るべく速に鳩舎を設け前述の要領に従ひ訓練するを要す

第九十、要塞攻撃に於ける鳩の用法は陣地戦に於けるものに準ずるも特に鳩車(舎)の援護を確実にし訓練の計画及実施を綿密にし充分なる鳩哨を配置し以て通信の確実を期するを要す

第三章 通信実施

第九十一、鳩を通信に使用せんとするときは左の件を顧慮するを要す
一、通信重要の度
二、使用し得る鳩の総数
三、爾後の補給
四、他の通信に依る伝達の能否

第九十二、適当に淘汰せられたる残余の鳩による通信は概ね確実なるも重要なる通信は暗号又は隠語を用ひ不可視「インキ」を使用し二通を作製し二羽の鳩に託し別々に放鳩するを必要とす

第九十三、鳩通信紙に文書記載の要領は鳩通信手簿に示されたる注意を遵守し紙数を増加して信書管・信書嚢の重量を増加し鳩の飛翔力を害せざるを要す

第九十四、鳩に依る通信は要図又は写真等を以てする通信に適し之を送付するには信書嚢を用ふるを可とす

第九十五、鳩に通信を託するには通信紙に通信事項を記載して鳩取扱兵に之を交付すべし

第九十六、胸当を装着し又は鳩籠に入れ甚だしく動揺せる鳩に通信を託するに当りては若干の休息をなさしめたる後放鳩するを必要とす然らざれば鳩は飛翔し能はざることあり



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