錬金術とは


第一質料の象徴

 これは偽りのない真実、確実にして、この上なく真正なことである。唯一なるものの奇跡を成し遂げるにあたっては、下にあるものは上にあるもののごとく、上にあるものは下にあるもののごとし。
 万物が一者から一者の瞑想によって生まれるがごとく、万物はこの唯一なるものから適応によって生じる。
 太陽がその父であり、月がその母である。風はそれを己の胎内に運び、大地が育む。
 これが全世界の完成の原理である。その力は大地に向けられる時、完全なものとなる。
 地上から天上へと昇り、ふたたび地上へと下って、上なるものの力と下なるものの力を取り集めよ。こうして汝は全世界の栄光を手に入れ、すべての暗闇は汝から離れ去るだろう。
 火から土を、粗雑なるものから精妙なるものを、ゆっくりと巧みに分離せよ。
 これはあらゆる力の中でも最強の力である。なぜなら、それはすべての精妙なものに打ち勝ち、すべての固体に浸透するからである。
 世界はそのように創造された。驚くべき適応はこのようにして起こる。こうして私は全世界の哲学の三つの部分を持つがゆえに、ヘルメス・トリスメギストスと呼ばれる。私が太陽の働きについて述べることは、以上である。

 堕天使ルシフェルの額から落ちたエメラルドの板に刻まれていたという「エメラルド板」の文章である。
 西暦千年頃に「エメラルド板」は発見されたというが、もとは四世紀のエジプトにおいてギリシャ語で記されたものが原典になっている。そして、ギリシャ語からアラビア語に、アラビア語からラテン語に、という翻訳を経てから、西洋世界に広く認識されるようになった。錬金術の創始者ヘルメス・トリスメギストスの言葉であることは、文書中に名が出ているとおりである。
 錬金術はいかがわしいもの、と誤解している人がいる。黄金の製法や不老不死の秘薬作りに興味を覚えたとしても、とても本気にはなれないからだ。しかし、化学の起源に錬金術がある功績については軽く扱えないだろう。
 西暦四世紀に、アリストテレスが提唱した四元素説から、鉄を金に生成しようとする方法が試された。西暦八世紀から西暦九世紀頃まで、アラビアにおいて研究されると、西洋世界にも紹介され、最終的に化学の基礎になった。
 さて、問題なのはその程度の認識で終わってしまっていることである。むしろ魔術と科学の分離がなされていなかった、古代や中世の統合された知識体系の方が現代の学問より優れていたのではないか、と気がつく人は少数なのだろうか。細切れに枝分かれした現代の学問に、戦術はあっても戦略がないのは誰しもが思うところである。錬金術に夢をはせることはできても、その一方で到底本気になれないという人たちを本気にさせるには、もう少し古代の知恵に踏み込む必要がありそうだ。
 錬金術師たちは鉛を金に変えたり、不老長寿の妙薬を作り出したりするだけの人々であったのだろうか。否、それは表層にすぎない。
 彼らは西洋人らしい考え方をもとに、唯一絶対の神に造られた人間が、神の秘技を実現することによって、世界のことわりを知ろうとしたのだ。小宇宙を理解することによって大宇宙を解明する、すなわち「エメラルド板」の文章における「下にあるものは上にあるもののごとく、上にあるものは下にあるもののごとし」である。試験管の中で神の奇跡を具現化させることとは、自分の尾をかむ蛇・ウロボロスのように、精神と物質は同じであり、全ては一つ、一つは全てである真実を錬金術師たちが悟っていたことを示している。
 人間という、神から見れば矮小な存在が、神や世界を理解するのは不可能である。しかし、神の手になる被創造物を解き明かすことができれば、いにしえからの哲学者たちの疑問に答えられはしないか。人間はなぜ生きているのか、世界や宇宙とは何なのか、神とは何か。
 個々の錬金術師によって根本思想はさまざまだが、要するに「実践する形而上学」というのが錬金術だ。答えの出ない思考の迷路、哲学的問いを、行動によって究明するのである。
 現代社会に失われてしまった過去の知識を今一度、再考する余地はあるだろう。間違っても、錬金術を単にいかがわしいものとして安直に退けてしまう愚や誤解が、いかに恥ずかしいことであるかは言うまでもない。


参考文献
『錬金術 ――大いなる神秘』 アンドレーア・アロマティコ 著 種村季弘 監修/創元社



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